2021年3月30日火曜日

 私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(3)。


ヘーゲルは『歴史哲学講義 』の冒頭で、事実の記述だけでは、歴史ではない、歴史は、哲学的歴史において初めて歴史になると言っている。このヘーゲル的歴史には、賛否両論があるだろうが、私は、重要な意見だと思う。小林秀雄は、その初期の段階から、ヘーゲル=マルクス主義的な「唯物史観」を激しく批判・攻撃しているが 、史料や文献だけで歴史が成立するとは言っていない。歴史への参加を主張している。また、私は、以前から東洋史学の岡田英弘(東京外語大名誉教授)の『 歴史とはなにか』を愛読しているが、岡田英弘も、歴史とは「空間軸と時間軸」の交差するところに成立するものだといっている。史料や文献だけで 、歴史という複雑なものが、理解できるとは言っていない。歴史(ヒストリー)は物語(イストワール、ヒストリー)と同義語である。当然だが、史料や文献だけでは、歴史は成り立たない。

「呉座勇一問題」で、私が、最大の根本問題だと思ったことは、呉座勇一が自慢する「歴史学者」たちの「方法」に関する問題だった。作家で歴史研究家の井沢元彦は、歴史学者を、「史料絶対主義」とか「史料第一主義」とか言って、歴史のメインテーマに踏み込まない歴史学者は専門馬鹿だとか激しく、批判・罵倒しているらしい。私は、井沢元彦をほとんど読んだことがないので、この表現が正確かどうか分からないが、私自身は、どちらかと言うと、井沢元彦の意見に賛成だ。歴史学者がつまらなのは、歴史の深層を避けて、史料や資料、あるいは文献にこだわりすぎて、その先の「歴史の哲学」とでもいうべき世界にに踏み込まないことだ。たとえば、呉座勇一は、「本能寺の変」で、明智光秀が、何故、謀反を起こして信長を攻めて死に追いやったのか・・・というような問題に、踏み込まないのが「歴史学者」だという。「本能寺の変」の謎のような一般受けするような問題を採り上げないのが歴史学者だ、と。史料や文献がないような歴史問題は、留保するのが歴史学者だ、と。やなるほど、そうか。そうであるならば、われわれが、歴史学者という人種を軽視し、軽蔑、無視するのも当然だろう。しかし呉座勇一は、それに怒り狂っているのだ。歴史学者を馬鹿にするのもいい加減にしろ 、と。呉座勇一は、八幡和郎等に反論して、こう書いている。

ーーーーーー引用始まりーーーーーー

そもそもなぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたかという動機を考える上で役に立つ史料は乏しい。安土宗論もそうだが、在野の歴史研究家が「アカデミズムの歴史学者は答えを出していない。怠慢だ!」と批判する事例は、史料が乏しくて決定打が出せないものばかりである。史料がないから歴史学者が慎重に解答を留保している事象について、在野の歴史研究者が勝手に妄想して「謎を解いた!」と一方的に勝利宣言しているだけである。

ーーーーーー引用終わりーーーーーー


「  史料がないから歴史学者が慎重に解答を留保している事象    」という一節に私は注目する。史料が見つからないような場合 、「歴史学者が慎重に解答を留保する」ことが、歴史研究者の正しい在り方だと、呉座勇一は、主張しているように見える。一方、呉座勇一は言う、「在野の歴史研究者が勝手に妄想して『 謎を解いた!』と一方的に勝利宣言しているだけである。」と。ここで、在野の歴史研究家が「勝手に妄想して・・・」というときの「妄想」という表現は、呉座勇一という人間の人間性を 、よく表しているように見える。歴史研究や歴史解釈には、あまり良くない表現だが、この「妄想力」が必要だろう。この「妄想力」とは、言い換えれば、「思考力」ということであり「想像力」、「構想力」ということだろう。呉座勇一は、それを否定し、拒絶し、嘲笑しているということだ。呉座勇一という三流の歴史学者の歴史研究がつまらないのは、そのためだろう。


(先日、早稲田大学に行ってきました。さすがに、学生は、いませんでした。大隈講堂で、大学進学直前、大江健三郎の講演を聴いたことを思い出します。)