2021年3月4日木曜日

 (本稿は、例によって、『 月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の下書きです。)


存在論としての漱石論(3)


江藤淳が標的にしているのは、主に吉田健一であるが、実は、文面には出てこないが、当時、慶應義塾大学英文科教授で、詩人だった西脇順三郎がいる。ちなみに、西脇順三郎は 、江藤淳の大学の指導教授の一人であった。江藤淳は、指導教授に喧嘩を仕掛けているのだ。並々ならぬ決意が感じられるだろう。その頃、慶應義塾大学英文科の優秀な学生として、慶應義塾大学教授になることを目標にしていた江藤淳にしてみれば、西脇順三郎に喧嘩売るということは、自殺行為に等しかった。それでも 、江藤淳は、漱石論を、吉田健一や西脇順三郎等の「文学論」の対極に位置づけようとしている。つまり、江藤淳は、漱石論を、吉田健一的な高等趣味的な文学論でもなく、西脇順三郎的な高尚な詩歌や文学研究でもなく、もっと生々しい、「生きるか死ぬか」というような、いわゆる実存的な問題として展開しようとしている。吉田健一や西脇順三郎的な文学論から見れば、明らかに、江藤淳の漱石論は、「野暮な仕事」にほかならない。しかし、江藤淳は、敢えて、その「野暮な仕事から」始めようとする。

《しかし、ぼくらは野暮な仕事からはじめねばならぬ。近代日本文学の生み得た 寥々たる文学作品を拾い上げ、その系譜を明らかにすることがそれであって、これは同時に、この国の文学が書かれ得るためにはどれ程の苦悩が要求されかを知ることでもある。》(『 夏目漱石』)

「 この国の文学が書かれ得るためにはどれ程の苦悩が要求されかを・・・ 」というところに、この文章のポイントはある。特に「苦悩」という単語に。近代日本文学が、まだ、海のものとも山のものとも分からない段階において、文学を生み出すということには「苦悩」が伴う。「苦悩」の伴わない文学は、西欧文学の表面的な模倣と反復にしか過ぎない「植民地文学」でしかない。