2021年3月22日月曜日

 藤田東湖と西郷南洲(3)


内村鑑三の『 代表的日本人』は、西郷南洲(西郷隆盛)の話から始まっている。それは、内村鑑三が、西郷南洲をいかに高く評価していたかを示している。その『 代表的日本人』の中の西郷南洲の話の中に、藤田東湖が登場する。藤田東湖と西郷南洲の出会いについて、こう書いている。

《 しかし、重要で、もっとも大きな精神的感化は、時代のリーダーであった人物から受けました。それは、「大和魂のかたまり」である水戸の藤田東湖です。東湖はまるで日本を霊化したような存在でした。》


つまり、内村鑑三の西郷南洲に対する評価は、政治や軍事的な側面ではなく、どちらかというと、精神的、道徳的 、倫理的、宗教的な側面だったように見える。そして、それらの側面を、水戸の藤田東湖に教わったのではないか、と。キリスト教徒であった内村鑑三は、宗派的なイデオロギーを超えて、西郷南洲だけではなく、藤田東湖をも、高く評価していた。おそらく、内村鑑三は、二人のなかに、「日本的霊性」(鈴木大拙)を発見していたのではないか。続けて、こう書いている。


《 外形きびしく、鋭くとがった容貌は、火山の富士の姿であり、そのなかに誠実そのものの精神を宿していました。正義の熱愛者であり、「西欧の蛮人」の嫌悪者である東湖の近くには、時代をになう若者たちが集いました。西郷は遠方にありながら東湖の名声を耳にして、藩主とともに江戸に滞在していたとき、接見の機会をのがさず会いに行きました。》


私は、内村鑑三のような一流の文化人、思想家、宗教家が、西郷南洲だけではなく、藤田東湖までを高く評価し、「霊化」とか「霊性」という次元で絶賛するのに、興味を持つ。藤田東湖はともかくとして、西郷南洲は、毀誉褒貶の激しい人である。聖人君子のように崇拝する人もいれば、「ウドの大木」とか「木偶の坊」とか呼ぶ人もいる。しかし、私は、内村鑑三が、西郷南洲を、「霊的人物」として評価していることに、ホットする。私は、西郷南洲を偶像崇拝することにも違和感を感じるが、西郷南洲を愚鈍な俗人扱いすることにも激しい違和感を感じる。

西郷南洲は、小説やテレビドラマなどでは、必ずと言っていいぐらいに、度の強い鹿児島弁(薩摩弁?)を使うことになっているが、これも、かなり怪しい。年上の大学者=藤田東湖とも、どういう言葉で対話、歓談したのだろうか。西郷南洲は、史料を調べると、服装も言葉遣いも、かなり気を遣い 、丁寧であったと言われる。