2021年4月30日金曜日

 ■台湾ロビー=金美齢の正体(3)


私は、十数年前から、保守や保守思想家、保守論壇・・・を批判してきた。たとえば、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論 』『 エセ保守が日本を滅ぼす』など・・・。私は、左翼側から、保守や保守思想家、保守論壇・・・を批判してきたわけではない。私は、昔から、つまり学生時代から、「左翼嫌い」であった。と言っても、保守や右翼が好きだったわけでもない。私は、小林秀雄や三島由紀夫、江藤淳・・・などを愛読しながら 、学生時代を過したから、どちらかというと、保守・右翼系の文学者や思想家、評論家の方に親しみを感じていたに過ぎない。当時は、つまり、「全共闘時代」とか「団塊の世代」とか言われた時代だが、左翼全盛時代であり、保守とか右翼と呼ばれるような言論人や思想家、学生・・・などは、ほとんどいなかった。いたとしても、ごくごく少数であり、その代わり、その「絶対的少数派」としての保守や右翼と呼ばれる文学者や思想家・・・は、小林秀雄に象徴されるように、超一流の人ばかりだった。今、保守とか保守思想家とか、自称する人達が、保守論壇や保守系ジャーナリズムには溢れているが、その中に、まともな思想家や学者 、言論人は、一人もいない。出版社や新聞社を定年退職した定年老人(年金老人)か、学者くずれの三流文化人か、あるいは利権に飛びつくビジネス右翼・ビジネス保守か、要するに、ろくな人はいない。クズかゴミの掃き溜め。

さて、話を本題に戻そう。金美齢女史のことだ。私は、金美齢の本や文章を、申し訳ないが、一度も読んだことがない。テレビ映像や「Youtube動画」などで、その傲慢、慇懃無礼、傲岸不遜・・・な「お姿」を、チラチラと拝見したことがあるだけである。私から見れば、安倍晋三と「お友達」だとか、誰々の「お友達」だとか、見えない裏の人脈を誇示するだけの、成り上がり根性丸出しの「金ピカ・オバサン」でしかない。ところが、その金美齢が、最近の日本の保守論壇や保守ジャーナリズムでは、天界から天下ってきた「女王様」みたいに 、「一流文化人」として君臨しているらしい。要するに、台湾から来た「植民地文化人」(金美齢)の垂れ流す「台湾マネー」に目が眩んで、「蝶よ花よ」(笑)と持て囃しているのが、最近の日本の保守論壇や保守ジャーナリズムの「オヤジ達」なのであろう。「お笑い三度笠」である。日本の保守論壇も保守ジャーナリズムも、ここまで堕ちたか。台湾マネーの奴隷たちよ(笑)、坂口安吾の『 堕落論』でも読みたまえ。

  ところで、小林秀雄や三島由紀夫や江藤淳等が、台湾ロビーや台湾マネーに目が眩んで、ここまで卑屈に、媚びへつらっただろうか。そもそも、台湾は日本の植民地だったのであって、日本が台湾の植民地だったのではない。金美齢は、植民地=台湾から、宗主国=日本にやってきて、日本に媚びへつらうことによって、生きのびようとしている 、哀れな「植民地の女」でしかない。しかも、最近、「台湾独立運動」を放棄=逃亡したのかどうか知らないが、日本に帰化=日本国民になったという。金美齢よ、米中の覇権争いが始まった今こそ、台湾独立に、命を賭けて戦う時だろう。そうじゃないのか。習近平が怖くなったのか。日本国民に、偉そうに「お説教」を垂れ流している暇があったら、「習近平(シーチンピン)抹殺計画」でも準備したらどうなのか。日本では 、敵前逃亡は、もっとも恥ずべき行動だよ。すべては「負け犬の遠吠え」だったのか。

   さて、何故、植民地=台湾からやってきて「負け犬の遠吠え」を吠え捲る「植民地の女」を、かくまで、のさばらせる必要があるのか。台湾マネーに目が眩んだのか。保守論壇よ。保守ジャーナリズムよ。エセ保守文化人よ。

2021年4月29日木曜日

 



台湾ロビー=金美齢の正体(2)


金美齢は新宿御苑の近くのビルにおおきな事務所を構えているそうだ。なんのための事務所なのか。安倍前首相や日本会議系の政治家たち、保守系のマスコミ関係者など、多数の日本人が出入りしているらしい。これは、金美齢事務所が、台湾ロビー活動の拠点になっているということだろうか。金美齢は、日本語学校の理事長や早稲田大学講師などもやっっていたそうだから、それ相当の財力の持ち主かもしれないが、やはり、金美齢の正体は、大物の台湾ロビーだということではないのか。政治工作資金としての多額の台湾マネーが 、日本の政界やマスコミに流れているのではないかとも言われているが、その多額の政治工作資金は、金美齢事務所を中心的な舞台として、動いているのではないか。金美齢は、一般的な日本人には、評論家、ジャーナリスト・・・ということになっているが、それは、仮の姿ではないのか。日本の政界やジャーナリズムには、「台湾タブー」が存在すると言われているが、おそらく台湾マネーが、深く関与しているのだろう。言い換えれば、台湾マネーが日本の政治やマスコミを動かしていると言っていいのかもしれない。ところで、「中国のスパイ」や「中国の工作員」「中国のハニトラ」については頻繁に語られるが、台湾に関しては、「スパイ」も「工作員」・・・についても、ほとんど語られない。「台湾マネー」が、効力を発揮しているのだろうか。

2021年4月28日水曜日

 金美齢の正体。


「金美齢」という台湾出身を売り物にする怪しい女性がいる。最近、帰化し、日本国民になったらしいが・・・。保守論壇の界隈では、それなりの知名度があるようで、一応、「保守文化人」気取りで、保守論壇界隈で、「大活躍」(笑)してきた女性だ。馬鹿な文化人気取りのエセ文化人によくある「日本人よ、しっかりしろ」などと上から目線で、まくしたてる「お説教文化人」の一人だ。元々は、岸信介の「通訳」だったとか。その縁で、安倍晋三とも親しいらしい。というわけで、保守論壇の信用を勝ち得たらしい。いずれにしろ、中身は空っぽ。その中身は、実にくだらない、三文文士的な、通俗的で、下品な人生論なのだが、最近の保守論壇とその周辺に屯する読者たちは、その程度の人生論が大好きのようで、金美齢女史は、いつのまにか、保守論壇界隈では、すっかり「一流文化人」「一流言論人」に成り上がっているということらしい。保守論壇やネット右翼の思想的レベルの低さを象徴している。桜井よしこ、曽野綾子、金美齢・・・(笑)。日本のエセ保守論壇のオヤジたちのアイドル。

2021年4月26日月曜日

 ■メルマガ『山崎行太郎の毒蛇通信 ~深田萌絵論〜』を配信しました。

■今回は、「深田萌絵」を特集しました。最近のことですが、深田萌絵女史の「Youtube動画」に、強烈な印象と影響を受けました。深田女史の「批判力」に感動しました。

■『 山崎行太郎メルマガ』では、メルマガでしか読めない「政治評論」、「社会評論」、「状況論」などを中心に書いています。

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2021年4月24日土曜日

 ■江藤淳と西尾幹二の「差異」について(2)

西尾幹二が、三島由紀夫に関する話題で、江藤淳を辛辣に批判した文章を読んだことがある。今、手元にないので、細かいことは覚えていないが、江藤淳と小林秀雄が、三島由紀夫の自決をめぐって衝突した「対談」をめぐるものだった。江藤淳が、三島由紀夫の死を、「あれは老年が来たということでしょう」とか「あれは病気でしょう」と批判的に言及したのに対して、小林秀雄が激怒し、「あんたは、日本の歴史を病気だというのか」と反論し、一瞬とはいえ、激しく火花を散らした「対談」だった。両者が立ち上がり、日本刀を抜いて、真剣勝負に出たような、きわどい「対談」だった。私は、江藤淳の対談も 、小林秀雄の対談も、ほとんど読んでいるつもりだが、こんな激しい対談は、読んだことがない。私は、この「対談」に関しては、私なりの解釈と判断をしている。一流の批評家同士が、真正面から、本気でぶつかった「対談」だったというのが私の解釈と評価だ。私は、どちらが正しいか、どちらが間違っているか 、という位相の問題とは思わなかった。ところが、三島由紀夫の衝撃的な「死」に圧倒された多くの三島由紀夫ファンや三島由紀夫信者 、三島由紀夫エピゴーネンたちは、この対談に飛びつき、小林秀雄が「正しい」、江藤淳は「間違っている」という単純素朴な二元論に依拠して、「江藤淳批判(罵倒)」を繰り返すようになった。もちろ批判も罵倒も自由である。どんどんやるべきだ。西尾幹二の「江藤淳批判」も、その一つだった。しかも、多くは江藤淳没後になされた「江藤淳批判」であった。批判、罵倒するなら、江藤淳がまだ生きているうちにしろよ、と思ったものだが、二流、三流の評論家や物書きたちは、いつも、死後にしかやらない。したがって、江藤淳を批判、罵倒し、小林秀雄や三島由紀夫を、どんなに強く擁護しようとも、擁護したことにはならない。言うまでもなく、 小林秀雄や三島由紀夫をいくら擁護したところで、小林秀雄や三島由紀夫の真意を正確に理解したことにはならない。小林秀雄や三島由紀夫は、そういうゴマスリやお世辞を、厳しく拒絶するだろう。むしろ、江藤淳こそ、三島由紀夫の「死」に激しく衝撃を受け、その存在を賭けて、ホンネをさらけ出していたのだ。三島由紀夫の死という現実に向き合っていたのだ。それが分からない連中は、言葉の上面のレベルで、どちらが正しいか 、どちらが間違っているか、というような浅薄な議論を繰り返しているに過ぎない。そこに、江藤淳と西尾幹二との「差異」は、出ている。

2021年4月23日金曜日

 『月刊日本』五月号、『江藤淳とその時代 』(3)「江藤淳と吉本隆明」が、発売になりました。よろしくお願いします。「江藤淳と吉本隆明」という問題は、江藤淳を論じる上で、もっとも重要な問題のひとつです。『 江藤淳//吉本隆明全対話』や吉本隆明による懇切丁寧な「江藤淳追悼文」があることからも分かるように、吉本隆明にとっても、「江藤淳」という存在は重要な問題です。吉本フアンは、認めたくないでしょうが・・・。c


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https://www.fujisan.co.jp/product/1224061/new/

 ■江藤淳と西尾幹二の「差異」について。


江藤淳と西尾幹二とでは、私の中では、何かが決定的に違う。江藤淳と渡部昇一、江藤淳と西部邁・・・でも同じである。決定的に何かが違う。それは、「存在論」、ないしは「存在論的思考力」があるかないかである。西尾幹二や渡部昇一、西部邁等の文章には、この「存在論」、ないしは「存在論的思考力」がない。政治イデオロギー的次元でしか読めない。江藤淳の文章は違う。誤解を恐れずに言えば、江藤淳の文章は、左翼にも通用する。それは、江藤淳の文章に「存在論」、ないしは「存在論的思考力」があるからだ。

私は、今年から 、江藤淳論『江藤淳とその時代 』の連載を、『月刊日本』という月刊雑誌で開始したが  、それは、私にとっては、かなり重要な仕事である。「江藤淳」が好きだとか嫌いだとかいうレベルとは異なる次元の思考力の問題に関わっているからだ。つまり 、私は、江藤淳を、吉本隆明や柄谷行人、廣松渉・・・と同じ次元で読むことが出来る。これは、言い換えると、右派と左派、右翼と左翼、保守と革新・・・というような政治イデオロギーの次元とは異なる次元で読むことが出来るという意味である。具体的に言えば、小林秀雄や三島由紀夫や大江健三郎を、政治イデオロギーの次元で読む人もいるだろうが、そういう人は、問題外で、多くの読者は、政治イデオロギー的二元論とは無縁な次元で、あくまでも文学として、読んでいるはずである。私は、右翼と左翼、保守と革新・・・という「二元論」が、通用しないと言っているわけではない。むしろ私は、「右翼と左翼、保守と革新・・・」という「二元論」は永久に不滅だと思っている。ただその種の二元論では、底の浅い、薄っぺらな議論しか出来ない、と言いたいだけだ。

  ところが、「ネット右翼」(「ネット左翼」?)の時代、「ネットウヨ」の時代と言ってもいい、この時代にあっては、文学を文学として読む読者は、あるいは政治イデオロギー的二元論とは異なる次元で読む読者は、極端に少なくなっているような気がする。「ネット右翼」も「ネット左翼」も、それぞれ自分たちだけの自閉的な「小宇宙」=「タコツボ」を作って、そこに閉じこもり、外部を見ようとしない。そこでは、論争も闘争も対立も起きない。右翼にも左翼にも、それぞれ、自己慰安的な閉鎖空間が出来上がっている 。これが、現代日本の文化的貧困、思想的貧困、さらに言うと政治=経済的貧困をもたらしている。

2021年4月21日水曜日

 エセ右翼雑誌『WILL 』の編集長は「台湾ロビー」の恐喝に屈したのか。ー深田萌絵小論(2)


深田萌絵女史の原稿が『WILL 』に掲載されなくなったのは、『WILL 』編集部が、「台湾ロビー」や「台湾利権」に脅えた結果らしい。情けない右翼雑誌である。まさに「エセ右翼雑誌」というほかはない。私は、月刊雑誌『WILL 』を読んだことはない。新聞や雑誌類の広告で、その目次らしいものを、時々、覗き見るぐらいである。執筆メンバーを見て、とても読んでみる気にならない。しかし、かなり売れているらしい。本屋の店頭にうず高く積まれているのを見たこともある。私は、思想的に左翼でもリベラルでもないが、これが、日本国民の現在の知的レベルなのだと思うと暗然とするのが、いつものことであった。深田萌絵女史も、執筆メンバーの一人だったと思う。私は、新聞も雑誌も、ほとんど読まないし、テレビも見ない。テレビは、時計代わりにつけっぱなしにしているが、地震や台風の情報、あるいは各種の緊急速報・・・以外は、見ない。「お笑い芸人」や「お笑い芸人」と同じレベルの「エセ文化人」たちの井戸端会議や居酒屋政治漫談は、見ると精神衛生上悪いので、見る気がしない。時間の無駄である。私が、今、テレビ番組でハマっているのは、午前4時頃の再放送『 暴れん坊将軍』だけだ。それ以外は、若い時から買い溜めている書籍類を、再読、三読、四読・・・することと、お気に入りの「Youtube動画」を、定期的に覗くことぐらいだ。深田萌絵女史の最近の「Youtube動画」は、私には、実に面白い。「目から鱗が落ちる」という言葉があるが、深田萌絵女史の「Youtube」は、まさに「目から鱗」だった。深田萌絵女史は、以前は、『WILL 』編集部員の「Youtube動画」に、ゲストのような形で出ていた。その頃は、ほとんど見なかった。しかし、最近、深田萌絵女史が、『WILL 』編集部と、何かトラブルがあったらしく、個人用の「Youtube動画」で、かなり過激な発言を開始した頃から、私はずっと見続けていりる。最近、深田萌絵女史は、『WILL 』編集部と何かがあった、と告白し始めた。『WILL 』編集長の判断で、深田萌絵女史の原稿は、台湾問題の暗部(闇)を追及すると「訴訟リスク」が出てくるという理由で、「掲載拒否」ということになったらしい。なるほど、そうだったのか。予想していたこととはいえ、深田萌絵女史の口から出てきたことには、ちょっと驚いた。こういう事態になると、エセ右翼文化人の大部分の「男ども」(笑)は、有耶無耶にして、時間が過ぎるのを待つか、原稿の中身を適当に書き換えて、ダボハゼみたいに編集部に迎合し、生き延びようとするはずである。その結果、読むに値しない、くだらない、「エセ右翼雑誌」(正論、WIL、HANADA・・・)が出来上がるというわけだ。と、ここまで書いてきて、『WILL 』編集長のことを思い出した。今でも、「T氏」が編集長なのだろうか。もし「T氏」だとすると、私は面識がある人だ。「T氏」が、某大手出版社に勤務していた頃、私は、ちょっとだけだが、交流があった。今、どうしているのだろう。いずれにしろ、深田萌絵女史は、不退転の決意で、言論表現を続けているようだ。いわゆる「深田萌絵事件」(?)によって、出版界に大きな地殻変動が起きるような気がする。「エセ右翼雑誌」(正論、WIL、HANADA・・・)の沈没、解体、破産が、目前に・・・。私が、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論 』で、予告しておいたとおりだ。エセ右翼雑誌の「産みの親」(笑)と言うべき「西尾幹二、渡部昇一、西部邁・・・」を、私がクダラナイと書いたら、「渡部昇一信者」(笑)とおぼしい読者が、「渡部昇一大先生を、罵倒するとは許せない」とばかりに 、コメントで脅迫してきたので、ブロックした。「渡部昇一はクズだよ」。それが分からない時点で、お前らはバカだよ。さっさと消えろ。

 米中対立という二元論が隠蔽した差異の哲学・・・深田萌絵小論。


私は、最近 、熱中して見るものも読むものも 、ほとんどない。これもダメ、あれもダメ  、 ともっぱら批判や嫌悪の対象しか見つからない。そうした中で、私は、深田萌絵という「ITビジネス・アナリスト」と名乗っている女性の言論に注目している。私が、認める言論人とは、それぞれの専門領域で独自の業績を持ち、批判や罵倒においては個人名を挙げ、名指しして批判や罵倒ができる人である。だから、私は、西尾幹二も渡部昇一も、西部邁も評価しない。たとえば、専門領域でろくな仕事しかしていないくせに、やたらに政治問題や社会問題に口を出し、口先だけの過激な発言をする言論人がいるが、「西尾幹二や渡部昇一、西部邁・・・」もその部類である。「西尾幹二も渡部昇一も、西部邁も・・・」自分の専門領域で、目立った業績をあげていない。仕事の大半は、居酒屋政治漫談か、井戸端会議的な立ち話程度ものにすぎない。私が高く評価する「江藤淳や吉本隆明や柄谷行人等・・・」は、彼等とは違う。江藤淳は「漱石論」「漱石研究」を死ぬまで続けた。吉本隆明や柄谷行人も同様である。政治漫談だけが本業のすべてではない。さらに言うと、批判や罵倒はするが、いつも集団的な、付和雷同的な批判や罵倒ばかりで、訴訟覚悟の個人相手の批判が出来ない言論人を、私は評価しない。ところで、菅 首相が訪米し、日米会談が開かれたようだが  、それに対する論評も、くだらないものだらけだった。その中で、深田萌絵女史の論評だけは、出色のものだった。深田萌絵女史の言論は、現場体験を踏まえた独特の「半導体論」と「台湾論」を土台にしている。おそらく、彼女の言論は何処かの誰かの「受け売り」でも「パクリ」でもない。実は、私は、深田萌絵において、台湾を批判する日本人を初めて見た。米ソ冷戦時代から、現在の米中対立の時代まで、台湾問題は常に重要問題であったが、この台湾問題 、いわゆる台湾海峡問題に、正面から向き合った日本人は、これまで皆無だった。台湾問題は米ソ対立、米中対立という二元論が、隠蔽していた小さな差異の問題だったのだ。ネット右翼やネットウヨは、中国批判には熱心だが、台湾批判はしない。台湾問題が見えていないのだ。深田萌絵が、初めて台湾問題を正面から向き合った、と私は見る。「台湾は親日国家ではない」と深田萌絵は言う。ということは、深田萌絵は、「台湾親日国家論」にドップリとハマっている保守系言論人を激しく批判しているということだ。私は、一流の言論人は、常に具体的であり、批判や罵倒も具体的個人名をあげて、個人的に批判、罵倒するものだという考えを持っている 。私は、批判や罵倒の対象をボカして、抽象的な一般論として批判や罵倒を繰り返す言論人を信用しない。朝日新聞や野党を、毎日の日課のように 、安全地帯から批判するネットウヨ(笑)。批判する時は  、相手を名指しして訴訟覚悟で 批判しろよ、と思う。深田萌絵女史は、自民党の「台湾問題プロジェクトチーム」代表である「佐藤正久」自民党議員を、名指しして、「半導体」の知識ゼロ、「台湾のTSMC」の知識もゼロ・・・と断罪する。自民党議員を名指しして、「お前はバカだ、アホだ・・・」と批判するのだから、相当の覚悟が必要だろう。深田萌絵女史は、それを、堂々とやってのけている。言うまでもなく、彼女は、左派的な立場から自民党議員(佐藤正久)やネットウヨを批判しているのではない。純然たる保守、愛国者として批判しているのだ。日米首脳会談の分析と評価も 鋭い。日本再生も、日本復活も、女性に頼るしかないな・・・と思う、今日この頃だ。


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深田萌絵女史の「Youtube動画」を見よ。

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https://youtu.be/CGX7RKuoaq0


https://youtu.be/shDbiNTbV1E


https://youtu.be/pJMeCe0F8NE


https://youtu.be/AaJiWU8vuME

2021年4月20日火曜日

 「防衛省見学ツアー」に参加して・・・拙著『小説三島由紀夫事件 』を振り返りつつ・・・。


昨日は、若い友人で政治学者の内山卓也君に誘われて、市ヶ谷の「防衛省見学ツアー」に参加してきました。私は、『小説三島由紀夫事件 』を書く時、地図の上では、詳しく調べたのですが、不覚にも、市ヶ谷のホンモノの防衛省の存在を、知りませんでした。すぐ近くにある「ホテル・グランドヒル市ヶ谷」には、何回も行ったことがありますが・・・。そのちょっと先に防衛省はありました。入口の門構えも、私がイメージしていたものとは大きく違いました。三島由紀夫が、演説したバルコニーも 、解体=移築されて、残されていましたが、意外に 、小ぶりなものでした。東京裁判の舞台となった講堂も詳しく見学出来ましたが、こちらも、私のイメージとは大きく異なりました。写真や動画類から受けた印象では、もっと、「どでかい」ものと想像していました。昨日の「防衛省見学ツアー」で、もっとも印象に残ったのは、東條英機の写真でした。何回も見たことはありますが、東京裁判の場所で、あらためて拝見して、その背筋をピンと伸ばした、凛々しい姿に、感銘を受けました。あまり評判の良くない東條英機ですが、やはり戦前の日本軍人ですね。この後、絞首刑になるわけですが、「死の恐怖」

など、その顔からは微塵も感じられないです。「戦う気概」を失っていませんね。

2021年4月17日土曜日

 『維新と興亜 』(隔月刊)に連載中の「藤田東湖と西郷南洲(3)」を、書き終えました。今回は 、予定を変更して、藤田東湖の『弘道館記述義』について書きました。藤田東湖によると、水戸学の始祖である水戸光圀(水戸黄門)は、「学校(藩校)」を作ることに反対だったそうです。私は、この、水戸光圀(水戸黄門)が、「学校」建設に反対だったということに 、大変、興味を持ちました。学問好きであった水戸光圀(水戸黄門)が、何故、学校建設に反対だったのか。水戸光圀(水戸黄門)にとって学問とは何だったのか。・・・

詳しいことは、『維新と興亜 』(隔月刊)の五月号でお読みください。


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『維新と興亜 』チャンネル

https://youtu.be/NgoSYU8G2qw

https://youtu.be/NgoSYU8G2qw

2021年4月14日水曜日

 藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)(続々々)です。


藤田東湖の著作を読むと、その多くが「実践」「実行」「行動」を重視しているようにみえる。たとえば、藤田東湖の主著の一つである『 弘道館記述義』に 、こんな文章がある。

《 学問事業、ソノ効ヲ殊二セズ》


これは、学問と事業とはその効用を異にするものではない、ということである。さらに、こんなことを言っている。


《学問と事業を一つとするのがむずかしいというのは多くの理由によるが、もっとも大きい弊害が四つある。「実践躬行を怠る」 こと。「実用的学問をしない」こと。「型どおりのの考えに拘泥する」こと。「情勢に応じすぎる」ことの四点である。》


これは、もちろん、実践が大事で、学問は疎かにしてもいい、というような意味ではない。同じく「実用的学問」が、すぐ役に立つ学問や、どの時代の情勢に妥協し、便乗する学問のでもないことは言うまでもない。学問を極めることは、実践も伴うということだろう。実践の伴わない学問もなく、学問の伴わない実践もないということだろう。学問か実践か、というような二者択一的な 、いわゆる二元論的な意味ではない。我々は、しばしば、誤解しがちであるが、実践=行動した人間を、「彼は学問がなかった」「無知だった」と言いたがる。そうではない。学問があったからこそ、実践=行動できたのだということも出来るはずだ。私は、この論考の冒頭に、福沢諭吉が、西郷南洲について論評した、「不学が最大の欠点なり」とかいう言葉を引用したが、福沢諭吉もまた、この点に関しては、凡庸だったと思う。西郷南洲は「不学」  でも「無学」でもなかった。西郷南洲は、藤田東湖に心酔でき、また福沢諭吉の著書も熟読していた。西郷南洲が、実践=行動(西南戦争)したから、「不学」だったとか「無学」だったとか言うのは、福沢諭吉の学問の限界を示している。しかも、福沢諭吉は、西郷南洲の行動を擁護し、絶賛しさえしている。その上、西郷南洲を論じた文章(『丁丑公論』)の生前の公開を禁じている。まさに 、巧妙な「良いとこ取り」である。

藤田東湖は、「学校=藩校」の設立について も、学校を建てなかった「義公(水戸光圀)」について興味深いことを言っている。


《 してみれば、義公(水戸光圀)が学校を建てられなかったのは、そのために道があるいは廃れるかもしれぬことを懸念されたからであり、後世、学校が建てられなかったのは逆に道があるいは盛んになるかもしれぬことを懸念したからである。そもそも義公は修史に非常な熱意をもたれていた。したがって当時、学問ある人々はたいてい史館に集められていた。》

水戸学派の始祖である水戸光圀は、歴史研究や史書の編纂には熱心だったが、「学校(藩校)」は作ろうとしなかった。何故か、と藤田東湖は問う。水戸光圀は、「学校」という建物を作ると 

逆に学問は衰退し、学問が廃れる、と考えた。学校という制度や建物によって、学問が 、「学問のための学問」「教養のための学問」「趣味としての学問」に堕落し 、本来の学問の精神が失われる、と考えたからだ、と藤田東湖は言っているようにみえる。水戸学の根本精神は、ここにあるのではないか。

水戸光圀も藤田東湖も、凡庸な学者、思想家、政治家ではなかった。彼等の思想も学問も決して理解しやすいものではなかった。

そこで、私は、この問題を理解しやすくするために、参考のために、文芸評論家(&哲学者)の柄谷行人の『 政治と思想』から引用したい。

《このような「動く集会」は、近代に始まったものではない。人類は本来、遊動的な狩猟採集民であり、日々の生活が「動く集会」であった。それは定住以後に失われたが、国家以後の社会においても、様々なかたちで回復されてきた。たとえば、普遍宗教の始祖たちは、神社や寺院を拒み、人々を引き連れて歩き、また、共食した。思想家たちも都市から都市へ移動し、広場で議論した。その後にできた教会、寺院、大学などの荘厳な建物の中には「動く集会」はない。したがって、そこには生きた思想もない。ということである。》(柄谷行人『政治と思想 』)


柄谷行人の文章を読むと、私は、自然に水戸光圀(水戸黄門)の「水戸黄門漫遊記」の「漫遊」を連想する。私は、『 水戸黄門漫遊記』の話が、どこまで史実であり、どこからがフィクションであるかは、明言出来ないが、意外に、「漫遊」という言葉には、深い意味があるのではないか 、と思う。柄谷行人が「遊動」という言葉と 、水戸光圀の「漫遊」という言葉は、その思想を共有しているのではないか。水戸学派の始祖である水戸黄門(水戸光圀)は、学問好きな水戸藩二代目藩主であり、歴史研究や歴史書の編纂事業には異常に熱心だったが、不思議なことに「学校=藩校」を作ることには、熱心ではなかった。熱心ではなかったというより、むしろ反対だったようだ。何故か。藤田東湖の『弘道館記述義』を読むと、その理由が分かるような気がする。

 東芝社長(車谷)追放へ。いいザマだな。この手の経営者は、次々と追放すべきだよ。車谷って、三井住友銀行副頭取からマッキンゼー、英国ファンド日本法人社長、東芝社長・・・らしい。最近 

この手のいかがわしい経営者が増えたみたいだ。要するに、金目当てで、あっちこっちとふらついて、上前をはねている、何もやる気のない「東大病」だね。さっさと消えろ。大恥をかかせてやれ。それはともかくとして裏で誰が動いているのか。日本の企業を守らなければならない「経産省」は、いったい、何をしているのか。なんと、「経産相官僚」は、車谷社長や投資ファンド「cvcキャピタルパートナーズ」と、「外資への東芝売り飛ばし」の事前調整(密談)していたみたいだ。車谷の自己保身のため、だとか。経産省こそ「日本売」を推し進める売国奴だ。(笑)私は、東芝という一民間企業などには 、全く興味ないが、日本の大企業を外資に次々と売り飛ばす・・・竹中平蔵的な最近の風潮をみていると 、「許せない」「こんな奴は、サッサとたたっ斬れ」と思う。


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東芝・車谷社長が辞任へ 後任は綱川会長が復帰2021/4/14 0:


 東芝の車谷暢昭社長が14日午前の臨時取締役会で辞任を表明することがわかった。後任の社長には綱川智会長が復帰する。綱川氏は車谷氏の前任の社長だった。英国系投資ファンドから買収提案を受けているさなかでの異例のトップ交代となる。


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 複数の関係者によると、14日の臨時取締役会では、取締役会議長の永山治社外取締役(中外製薬特別顧問)が車谷氏の解任をはかる構えだった。取締役会は、英国系投資ファンドCVCキャピタル・パートナーズからの買収提案をめぐり、株主への対応などを議論するとして招集されている。


 車谷氏は三井住友銀行の元副頭取。CVCの日本法人のトップを経て、2018年4月、東芝会長に就任した。20年4月には外部出身者として約50年ぶりとなる社長に就いていた。


 東芝では、15年に全社的な不…


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2021年4月13日火曜日

藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)(続々)です。


この「井伊直弼暗殺事件」(桜田門外の変)は、元々、西郷南洲と無縁な事件ではなかった。事件当時、奄美大島に島流しの身だったとはいえ、島流しの直前まで、水戸藩と薩摩藩、そして朝廷との間を頻繁に行き来し、反幕府的な政治工作活動を行っていたのが、西郷南洲その人だった。もちろん、当面の敵は大老=井伊直弼だった。井伊直弼暗殺事件の直接的な契機になったと言われる「戊午の密勅」騒動には、西郷南洲も深く関わっていた。そもそも、正式の密勅(「戊午の密勅」)とは別に、水戸藩への「密書」を、京都から江戸へ運んだのは西郷南洲だった。ともあれ、幕府の手を通さずに、密勅を朝廷から直接、受け取った水戸藩は、返納すべきか、返納すべきでないか、をめぐり藩内が分裂し、大きく揺れることになる。たとえば、水戸学派の重鎮である会沢正志斎は返納派であり、水戸学派の「三田」の一人と言われた武田耕雲斎は反返納派だった。幕府は、「水戸藩/取り潰し」もチラつかせつつ、密勅の即時返還を要求してきた。それに対して水戸藩では、反返納派で、尊皇攘夷派の藩士達が水戸街道を武力で封鎖して、幕府に対抗した。尊皇攘夷派の水戸藩士たちの一部は(高橋多一郎、金子孫二郎)、江戸在住の薩摩藩士たち(有村三兄弟、堀)と連携しつつ 、「井伊直弼暗殺事件」(桜田門外の変)へ向けて、綿密な地下工作を開始していた。あくまでも、この井伊直弼暗殺事件は、薩摩藩の尊皇攘夷派と水戸藩の尊皇攘夷派の共同作戦だった。水戸藩の実行部隊は、脱藩届を出した上で、続々と江戸市中を目指し、あらかじめ指定された潜伏先に身を潜め、決行の日を待った。薩摩藩邸も、潜伏先の一つだった。指導者の金子孫二郎は、薩摩藩邸に身を潜め、そこから、各隊員へ指揮をとっていた。実行部隊は水戸藩中心だったが、薩摩藩の有村雄助、次左衛門兄弟らも含まれていた。しかも、井伊直弼の首を撃ちとったのは、薩摩示現流の免許皆伝で、江戸で道場まで開いていた剣豪の有村次左衛門であった。

 藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)(続)です。


高橋多一郎 、金子孫二郎等 、水戸藩の急進派の藩士達が中心になり、江戸在住の薩摩藩の藩士たちと連携し、密約を交わした末に、「お家断絶」も覚悟の上で実行したのが、大老=井伊直弼暗殺事件 、いわゆる「桜田門外の変」であった。もちろん、藩主=徳川慶篤、前藩主=徳川斉昭をはじめ、水戸藩の上層部=中枢部は 、それを押しとどめようとしたが、しかし、急進派藩士たちは、あらゆる説得や脅迫を跳ね除け、それをかいくぐって実行に移した。私は、この事件を調べて行くうちに、あらためて、水戸学というものの学問的、思想的な底の深さと徹底性を感じないわけにはいかなかった。水戸学の思想は、思想としては「尊皇攘夷」ということになっている。しかし、この「尊皇攘夷」という思想は、それを貫けば、いずれ「死」や「お家断絶」が待っていることは確実な思想だった。前にも書いたが、「尊皇攘夷論」とは、徳川幕府政権下では、どう美辞麗句を並べ 、多弁で取り繕うとも、「革命思想」であることにかわりはなかった。井伊直弼殺害には成功したとはいえ、この暗殺事件に関わった水戸藩士達は、ほとんどの者が、自決したり、獄死したりしている。不思議なことは、「薩摩藩」との約束の元に実行されたこの井伊直弼殺害事件で、綿密な計画と密約の上で、動くはずだった薩摩藩の兵士三千の大軍は、まったく動かなかったことだ。大阪に潜伏していた事件の指導者=高橋多一郎等は、井伊直弼殺害成功を聞き、祝杯をあげつつ  、薩摩藩の軍隊の登場を待っていた。しかし、援軍として登場するはずだった薩摩藩の軍隊三千は、影も形もなかった。

2021年4月12日月曜日

 藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)です。


藤田東湖が安政の大地震で急死し、西郷南洲が奄美大島に島流しにあっている時、その事件は起きた。水戸藩士(脱藩浪士)たちを中心とする暗殺グループが、時の大老井伊直弼を、桜田門外において、血祭りに上げた、いわゆる「桜田門外の変」である。実は、私は、幕末から維新にいたる歴史的大変革の時代において、もっとも重要な事件だったのではないかと思っている。ここには、良かれ悪しかれ、水戸学の精神が、もっとも鮮明に生きていると言っていいのではないだろうか。水戸学は、何回も言うが、学問のための学問でも、空理空論としての学問でもなく、生きた学問であり、それは実践、実行、行動をともなう学問だった。藤田東湖亡き後 、水戸学派は迷走を始め、暴走を繰り返したあげく、壊滅的打撃を受けて、歴史の表舞台から消えていった、という人も少なくないようだが、私は、そういう史観は、歴史を、「損得勘定」や「結果論」でしか見ない歪んだ史観である、と思う。「生きた歴史」、あるいは「生きられた歴史」とは、そういうものではない。つまり、藤田東湖という水戸学派の指導者が生きていたら、桜田門外の変は、防げただろうか。確かに桜田門外の変以外の方法が有り得たかもしれない。しかし、藤田東湖や戸田忠太夫等が、大地震で、あっけなく死んでしまったように、歴史とは、思い通りにいくものではない。私が、この事件に注目するのは、この事件が、水戸藩と薩摩藩の共同作戦として計画、実行された事件だったからだ。もちろん、藩が総力をあげていどんだ暗殺=謀殺事件だったわけではない。水戸藩にしろ薩摩藩にしろ、一部の過激分子が 、藩中枢の反対を押し切って 、あるいは秘密作戦として、決死の覚悟でいどんだ暗殺=謀殺事件だった。暗殺=謀殺の実行部隊は、水戸藩士が中心だっったが 、この「義挙」が成功した暁には、薩摩藩の大群が 、一挙、上京し 、京都の朝廷を守護し 、さらに倒幕の行動に出るはずだった。こういう密約を信じて、水戸藩士たちと薩摩藩の有村次左衛門 ・雄助兄弟等は、井伊直弼暗殺=謀殺を実行したのだった。しかし 、薩摩藩の大群は、事件後も動かなかった。動けなかったのかもしれない。その結果 、事件にかかわった水戸藩の藩士たちは 行き場も逃げ場も失い 、ほぼ全員が逮捕されたり、自決に追い込められたりしている。

 「東芝買収騒動」の意味を問う。


東芝という会社には何の興味もなかった。今、東芝が 、どういう苦境にあるのかも知らなかった。知れば、「いいザマだな」と思ったかもしれない。しかし、英国投資ファンドによる「東芝買収」の話には、正直のところ 、驚いた。ええっ、そこまで追い詰められていたのか。政治家も経営者も、そして経済学者や経済評論家や経済ジャーナリストも、見て見ぬふりをしていたのか。これは、国家論の問題である。極めて政治的な問題である。一民間企業の問題ではない。シャープ買収事件を放置した日本政府は、またまた放置するだろうか。ジックリと見ていこうと思う次第だ。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワンごっこ」に浮かれていた「エセ保守」や「ネット右翼」の皆さん、お元気ですか。(笑)

(山崎行太郎)


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朝日新聞デジタル


拡大する東芝の車谷暢昭社長

東芝の車谷暢昭社長

東芝、「奇策」にのるか もの言う株主との悩ましい関係

小出大貴


2021/4/7 12:09 有料会員記事

東芝のロゴ入り看板=東京都

 東芝が、異例の「奇策」に出るかもしれない。買収の提案を英投資ファンド「CVCキャピタル・パートナーズ」から受けていることを明らかにした。日本を代表する企業が外資に狙われているように聞こえるが、そんな単純な構図ではなさそうだ。


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 東芝は近年、苦境が続いてきた。


 2015年、全社的な不正会計問題が発覚した。翌16年には米国の原子力事業での巨額損失を公表した。


 資金繰りに行き詰まり、上場廃止も危ぶまれていた17年末、増資を引き受けてくれたのが、約60もの海外投資家だった。窮地を救ってもらった半面、「もの言う株主」を抱え込むことになった。


 こうしたファンドの一部が、増資から3年経った今も議決権ベースで3割ほどを占め、経営に影響を及ぼしている。


 昨夏の定時株主総会では、車谷…


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 昨日、月刊誌『月刊日本』に連載中の『江藤淳とその時代 』(3)ー江藤淳と吉本隆明ーの原稿を書き終えました。Facebookに書いた下書き(メモ)を元に推敲し 、完成させました。今回は、江藤淳と吉本隆明が、「ひと回りして一致する」といった言葉について 書きました。二人は、「存在論的思考力」において「一致する」と私は理解します。詳しくは 『月刊日本』五月号でお読みください。


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2021年4月5日月曜日

 TSMCの正体・・・iTビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙(3)


私は、深田萌絵の「Youtube動画」を見るまで、「TSMC」の存在をまったく知らなかった。「TSMC」とは、台湾の「新竹」というところにある半導体メーカーであるらしい。私も、新竹には、「焼きそば」の名所ということで、山下聖美教授(日大芸術学部)の案内で、それを食べに行ったことがある。ついでに、市内観光もしたのだが、よく覚えていない。今は、台湾のシリコンバレーと言われているらしいが・・・。しかも、この台湾の新竹にある半導体メーカー(TSMC)の動向が、世界的な半導体不足ということで 、現在の世界経済の、あるいは、日本経済の「台風の眼」になっているらしい。つまり自動車も 、この半導体なしには 製品として完成出来ない。ということで、半導体が、世界経済の動向を左右することになっているということだ。しかし、日本は、かつて、その半導体の先進国であったにもかかわらず、半導体産業を衰退産業とみなして、外資(台湾など)に売り渡し続けている、という。それが現在の日本経済の衰退の根本原因になっているのだが・・・。日本の政治指導者たちも、マスコミのジャーナリストたちも、あるいは日本のエセ保守文化人どもも、その問題の深刻さを、まったく理解していないらしい。彼等は、つまり右派も左派も、「反中」「反韓」「反北」に・・・、あるいは、その逆に・・・夢中になるあまり、いまだに、ステレオタイプの「親日国家・台湾」の手前味噌的な独断的夢想の中で安眠を貪っているようだ。というわけで、今回は、「TSMC 」(台湾半導体メーカー)の正体について書いてみよう。まず確認しておきたい。深田萌絵も言うように、「台湾は必ずしも親日国家ではない」。日本の自称・保守派(エセ保守)のように、単純素朴に、台湾を、「親日国家」と認定し、「我等の仲間・台湾祭り」に狂奔しているようでは、話にならない。台湾は、半分は中国人(外省人)の国である。台湾の背後には中国がいる。私は、台湾に行った時のこと、「国立台湾故宮博物館」での光景を思い出す。台湾と中国(大陸)は敵対関係にあると思っていたが、現実には、大量の中国人が 、博物館に押し寄せていた。故郷を訪ねる中国人の大群、という感じだった。「  国立台湾故宮博物館  」は、蒋介石の国民党軍が、共産党との戦いで負けて、台湾へ敗走する時、「故宮博物館」から、中国の古美術品や陶器類を持ち込んだものだ。したがって、「台湾博物館」は、中国人の精神的・文化的原郷になっているのだ。要するに、台湾は、必ずしも、中国と対立=敵対しているわけではない。半分は同胞なのだ。つまり、まず、台湾は、中国と対立、戦争状態だという「台湾幻想論」を捨てるべきである。ところで 、本論に戻る。台湾の半導体メーカーTSMCについて。日本政府(経産省)は、世界的な半導体不足に関連して、TSMCへの日本誘致と資金援助を提案しているらしい。しかし、TSMCは態度を鮮明にせず、日本政府が振り回されている状態らしい。今や、世界の半導体市場をリードしているのはTSMC(台湾)とサムソン(韓国)らしく、日本の出幕はほとんどないらしい。そこで、日本政府は、資金提供をしてでも、台湾の半導体メーカー(TSMC)に頭を下げて誘致している図式だとか。しかも、TSMCは、すでに中国大陸に、大きな半導体工場を建設し、フル稼働状態で、設備も増強中だ。日本だけが、過去の栄光にしがみつきつつ、「一人負け」状態なのだ。そのうち 、トヨタなど日本の自動車メーカーも、外資の手に落ちるのではないか。こういう状態に、深刻な危機感を持って、発言しているのは深田萌絵だけだ。しかし、残念ながら、深田萌絵を取り巻く「エセ保守」や「ネットウヨ」連中を見ていると、悲しくなるというよりも、絶望と恐怖を感じる。もちろん、左翼リベラル派が、頼りになると言っているわけではない。左翼リベラル派は、もっとダメである。いずれにしろ、深田萌絵女史の発言に耳を傾けるべきである。

2021年4月3日土曜日

 台湾幻想論・・・iTビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙(2)


右派であれ左派であれ、日本には、根強い「台湾幻想論」がある。台湾を、必要以上に、美しく理想化し 、かつて日本の植民地だった台湾の現実や 、その具体的実例「霧社事件」、中国大陸から台湾に逃れてきて、台湾を軍事支配した蒋介石や国民党軍(外省人)の戒厳令時代 、を忘れて、それぞれの夢想する幻想に酔う日本人・・・。特に自称・保守派には、そういう美化された「台湾幻想論」に酔う日本人が少なくない。おそらく、それを克服し、冷静に、台湾のあるがままの現実と向き合うことは、なかなか困難だろう。昨年、李登輝没後に、日本国内に溢れかえった 、手放しの『李登輝賛美論 』には、親日家だった李登輝に対する追悼論としては仕方なかったのかもしれないが、やはり、あまりにも無防備すぎたような気がする。言うまでもなく、私自身、長い間、台湾幻想論の中にいた。しかし、私は、大学関係者等と、一度だけ 、台湾旅行をした事があり、「アレ、ちょっと違うな」と、台湾幻想論から目覚めたという経験がある。それでも、私は、台湾幻想論から、完全に自由になっていたわけではない。昨年から、深田萌絵の「Youtube動画」や深田萌絵の著書を、見たり、読んだりしはじめたが  、その理想と現実の落差には、驚きの連続だった。ところで、私が行ったのは、淡江という風光明媚なところにある「淡江大学」だった。淡江大学の女性教授(名古屋大学留学、大学院修了)の話によると、日本と台湾の文化交流は頻繁に行われているようだったが、ほぼ左派系の教授や文化人、芸能人・・・に独占されているようだった。そこで、私が感じたことは、政治関係者には、政治関係のレベルのた台湾のイメージが、大学や文化人関係者には、そのレベルの台湾のイメージが、旅行者には、旅行者レベルの台湾のイメージが・・・というように、それぞれ、一面的イメージが出来上がっており、それらは、決して台湾総体のイメージではないだろう、ということだった。その意味で、深田萌絵が発信する「it・半導体」関係の台湾のイメージは、これまで、あまり語られることのなかった台湾イメージだった 、と言っていいのではないか。今後、日本は、保守派だけではなく、政治・経済関係者たちも、ビジネス関係者たちも、深田萌絵の台湾論から、学ぶべきことが少なくないのではないか。左派であれ、右派であれ、あまりにも現実を無視した幻想的な台湾論は、現実の台湾にも失礼である・・・。「台湾幻想論は日本を滅ぼす」のだ。台湾を見くびるなかれ・・・。


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深田萌絵の「Youtube動画」

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https://youtu.be/-J6slXkQ2Pc


https://youtu.be/-uqmAlf_5AI


https://youtu.be/OfOmoTEAHXg


https://youtu.be/_90Rzhx4K2U


https://youtu.be/grTfcK9F-yw


https://youtu.be/WHziRi06DOg

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2021年4月2日金曜日

ITビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙。

iTビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙。


深田萌絵という女性がいる。私が、最近、夢中になっている女性である。彼女の「台湾論」(「半導体論」)は、実に刺激的で、思想的にも面白い。「台湾は決して親日国家ではない」「台湾と中国(大陸)は常に、対立、抗争しているわけではない」「日本の半導体(IT技術)は、台湾を経由して中国に奪われている」・・・と。彼女の専門は、「半導体」のようだ。日米台中をめぐる「半導体戦争」の秘密情報とその分析が、実に面白く、且つテリブルだ。深田萌絵は半導体関連のベンチャー企業の経営者でもあるらしい。彼女の提供する多くの情報は、伝聞情報でもテレビや新聞からの第二次情報でもなく、明らかに第一次情報である。私は、最近、新聞もテレビも、雑誌や週刊誌類も、見ないし、読まない  。時間の無駄だからだ。私が、最近、情報源として活用しているメディアは、「Youtube動画」とメルマガである。もちろん「Youtube動画」業界も、玉石混淆のようだが、「居酒屋漫談」以下、「井戸端会議」以下に堕落している新聞やテレビ、雑誌 、週刊誌・・・ではありえないような、高度、精密な、しかも具体的な、現場情報を、頻繁に発信しているものもある。私にとって、そういう「Youtube動画」が、いくつかあるが、そのひとつが、深田萌絵の「Youtube動画」(深田萌絵TV)である。私が 、これまでボンヤリ考えていた「日本後進国論」「日本衰退論」を、具体的、実証的な情報で、裏付け、証明してくれているからだ。そして、その問題の核心に「台湾」と「半導体」があるというわけだ。私は、4、5年前から「Youtube動画」を見るようになったが、それまでは、「Youtube動画」なんて  、暇と労力を持て余した「引きこもり」か「専業主婦」「病人」「寝たきり老人」「ネットウヨ」・・・の見るものだろう 、と思って軽視・軽蔑していた。しかし、友人の清水正(日大教授)が、しきりに勧めるので、「Youtube動画」を見るようになったのだが、次第に気づいてきたことがあった。大多数の「Youtube動画」は、見るに堪えないような、見るも無惨な、酷いものばかりだが、その中に、見るに値するもの、聞くに値するものが、要するに学ぶに値するものが、極々少数ではあるが、確実に存在するという現実だった。私は、当初は、深田萌絵の「Youtube動画」も信用していなかった。深田萌絵の周辺の人脈が、「WILL」の編集者を含め、「エセ保守」「ネットウヨ」系のエセ文化人ばかりだったからだ。深田萌絵の話は面白いが、所詮、深田萌絵もそういう種類の「ネットウヨ」系の女性だろうと、推測していた。しかし、昨年後半、ネットウヨ系のエセ文化人とは離れて、深田萌絵個人の、独立した「Youtube動画」を発信し始めた時点で、私は、深田萌絵という女性が、タダモノではないと、確信するようになった。ひょっとしたら、日本の「救世主」、「日本のジャンヌ・ダルク」 になるのではないか、と。深田萌絵は、日本の大手家電メーカー「シャープ」を台湾企業が買収した事件についても、独自の見解を述べているが、この買収事件が、彼女の思考の原点にあるらしい。私も、実は、「シャープ買収事件」については多くの疑問を持ったが、この買収事件に対する彼女の分析だけでも、深く共感できる。また、彼女は、最近、台湾問題に関連して、何か不可解な事件に巻き込まれているようなので、私は、微力ながら、応援したいと思った次第である。私は、ジェンダー・フリーにもフェミニズムにも、「おひとり様」=上野千鶴子的言動にも、懐疑的、批判的だが、一方で、才能のある女性の活躍には大賛成であり大歓迎である。


深田萌絵の「Youtube動画」

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https://youtu.be/-J6slkQ2Pc

https://youtu.be/-uqmAlf_5AI

https://youtu.be/OfOmoTEAHXg


https://youtu.be/_90Rzhx4K2U


https://youtu.be/grTfcK9F-yw


https://youtu.be/WHziRi06DOg



2021年4月1日木曜日

おはようございます。4月1日。新年度になりました。私的には、生活環境に大きな変化があり、今年は、新たな決意の元で、新年度を迎えました。今後ともよろしくお願いします。(山崎行太郎)

 おはようございます。4月1日。新年度になりました。私的には、生活環境に大きな変化があり、今年は、新たな決意の元で、新年度を迎えました。今後ともよろしくお願いします。(山崎行太郎)