2021年4月14日水曜日

 藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)(続々々)です。


藤田東湖の著作を読むと、その多くが「実践」「実行」「行動」を重視しているようにみえる。たとえば、藤田東湖の主著の一つである『 弘道館記述義』に 、こんな文章がある。

《 学問事業、ソノ効ヲ殊二セズ》


これは、学問と事業とはその効用を異にするものではない、ということである。さらに、こんなことを言っている。


《学問と事業を一つとするのがむずかしいというのは多くの理由によるが、もっとも大きい弊害が四つある。「実践躬行を怠る」 こと。「実用的学問をしない」こと。「型どおりのの考えに拘泥する」こと。「情勢に応じすぎる」ことの四点である。》


これは、もちろん、実践が大事で、学問は疎かにしてもいい、というような意味ではない。同じく「実用的学問」が、すぐ役に立つ学問や、どの時代の情勢に妥協し、便乗する学問のでもないことは言うまでもない。学問を極めることは、実践も伴うということだろう。実践の伴わない学問もなく、学問の伴わない実践もないということだろう。学問か実践か、というような二者択一的な 、いわゆる二元論的な意味ではない。我々は、しばしば、誤解しがちであるが、実践=行動した人間を、「彼は学問がなかった」「無知だった」と言いたがる。そうではない。学問があったからこそ、実践=行動できたのだということも出来るはずだ。私は、この論考の冒頭に、福沢諭吉が、西郷南洲について論評した、「不学が最大の欠点なり」とかいう言葉を引用したが、福沢諭吉もまた、この点に関しては、凡庸だったと思う。西郷南洲は「不学」  でも「無学」でもなかった。西郷南洲は、藤田東湖に心酔でき、また福沢諭吉の著書も熟読していた。西郷南洲が、実践=行動(西南戦争)したから、「不学」だったとか「無学」だったとか言うのは、福沢諭吉の学問の限界を示している。しかも、福沢諭吉は、西郷南洲の行動を擁護し、絶賛しさえしている。その上、西郷南洲を論じた文章(『丁丑公論』)の生前の公開を禁じている。まさに 、巧妙な「良いとこ取り」である。

藤田東湖は、「学校=藩校」の設立について も、学校を建てなかった「義公(水戸光圀)」について興味深いことを言っている。


《 してみれば、義公(水戸光圀)が学校を建てられなかったのは、そのために道があるいは廃れるかもしれぬことを懸念されたからであり、後世、学校が建てられなかったのは逆に道があるいは盛んになるかもしれぬことを懸念したからである。そもそも義公は修史に非常な熱意をもたれていた。したがって当時、学問ある人々はたいてい史館に集められていた。》

水戸学派の始祖である水戸光圀は、歴史研究や史書の編纂には熱心だったが、「学校(藩校)」は作ろうとしなかった。何故か、と藤田東湖は問う。水戸光圀は、「学校」という建物を作ると 

逆に学問は衰退し、学問が廃れる、と考えた。学校という制度や建物によって、学問が 、「学問のための学問」「教養のための学問」「趣味としての学問」に堕落し 、本来の学問の精神が失われる、と考えたからだ、と藤田東湖は言っているようにみえる。水戸学の根本精神は、ここにあるのではないか。

水戸光圀も藤田東湖も、凡庸な学者、思想家、政治家ではなかった。彼等の思想も学問も決して理解しやすいものではなかった。

そこで、私は、この問題を理解しやすくするために、参考のために、文芸評論家(&哲学者)の柄谷行人の『 政治と思想』から引用したい。

《このような「動く集会」は、近代に始まったものではない。人類は本来、遊動的な狩猟採集民であり、日々の生活が「動く集会」であった。それは定住以後に失われたが、国家以後の社会においても、様々なかたちで回復されてきた。たとえば、普遍宗教の始祖たちは、神社や寺院を拒み、人々を引き連れて歩き、また、共食した。思想家たちも都市から都市へ移動し、広場で議論した。その後にできた教会、寺院、大学などの荘厳な建物の中には「動く集会」はない。したがって、そこには生きた思想もない。ということである。》(柄谷行人『政治と思想 』)


柄谷行人の文章を読むと、私は、自然に水戸光圀(水戸黄門)の「水戸黄門漫遊記」の「漫遊」を連想する。私は、『 水戸黄門漫遊記』の話が、どこまで史実であり、どこからがフィクションであるかは、明言出来ないが、意外に、「漫遊」という言葉には、深い意味があるのではないか 、と思う。柄谷行人が「遊動」という言葉と 、水戸光圀の「漫遊」という言葉は、その思想を共有しているのではないか。水戸学派の始祖である水戸黄門(水戸光圀)は、学問好きな水戸藩二代目藩主であり、歴史研究や歴史書の編纂事業には異常に熱心だったが、不思議なことに「学校=藩校」を作ることには、熱心ではなかった。熱心ではなかったというより、むしろ反対だったようだ。何故か。藤田東湖の『弘道館記述義』を読むと、その理由が分かるような気がする。

 東芝社長(車谷)追放へ。いいザマだな。この手の経営者は、次々と追放すべきだよ。車谷って、三井住友銀行副頭取からマッキンゼー、英国ファンド日本法人社長、東芝社長・・・らしい。最近 

この手のいかがわしい経営者が増えたみたいだ。要するに、金目当てで、あっちこっちとふらついて、上前をはねている、何もやる気のない「東大病」だね。さっさと消えろ。大恥をかかせてやれ。それはともかくとして裏で誰が動いているのか。日本の企業を守らなければならない「経産省」は、いったい、何をしているのか。なんと、「経産相官僚」は、車谷社長や投資ファンド「cvcキャピタルパートナーズ」と、「外資への東芝売り飛ばし」の事前調整(密談)していたみたいだ。車谷の自己保身のため、だとか。経産省こそ「日本売」を推し進める売国奴だ。(笑)私は、東芝という一民間企業などには 、全く興味ないが、日本の大企業を外資に次々と売り飛ばす・・・竹中平蔵的な最近の風潮をみていると 、「許せない」「こんな奴は、サッサとたたっ斬れ」と思う。


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東芝・車谷社長が辞任へ 後任は綱川会長が復帰2021/4/14 0:


 東芝の車谷暢昭社長が14日午前の臨時取締役会で辞任を表明することがわかった。後任の社長には綱川智会長が復帰する。綱川氏は車谷氏の前任の社長だった。英国系投資ファンドから買収提案を受けているさなかでの異例のトップ交代となる。


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 複数の関係者によると、14日の臨時取締役会では、取締役会議長の永山治社外取締役(中外製薬特別顧問)が車谷氏の解任をはかる構えだった。取締役会は、英国系投資ファンドCVCキャピタル・パートナーズからの買収提案をめぐり、株主への対応などを議論するとして招集されている。


 車谷氏は三井住友銀行の元副頭取。CVCの日本法人のトップを経て、2018年4月、東芝会長に就任した。20年4月には外部出身者として約50年ぶりとなる社長に就いていた。


 東芝では、15年に全社的な不…


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2021年4月13日火曜日

藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)(続々)です。


この「井伊直弼暗殺事件」(桜田門外の変)は、元々、西郷南洲と無縁な事件ではなかった。事件当時、奄美大島に島流しの身だったとはいえ、島流しの直前まで、水戸藩と薩摩藩、そして朝廷との間を頻繁に行き来し、反幕府的な政治工作活動を行っていたのが、西郷南洲その人だった。もちろん、当面の敵は大老=井伊直弼だった。井伊直弼暗殺事件の直接的な契機になったと言われる「戊午の密勅」騒動には、西郷南洲も深く関わっていた。そもそも、正式の密勅(「戊午の密勅」)とは別に、水戸藩への「密書」を、京都から江戸へ運んだのは西郷南洲だった。ともあれ、幕府の手を通さずに、密勅を朝廷から直接、受け取った水戸藩は、返納すべきか、返納すべきでないか、をめぐり藩内が分裂し、大きく揺れることになる。たとえば、水戸学派の重鎮である会沢正志斎は返納派であり、水戸学派の「三田」の一人と言われた武田耕雲斎は反返納派だった。幕府は、「水戸藩/取り潰し」もチラつかせつつ、密勅の即時返還を要求してきた。それに対して水戸藩では、反返納派で、尊皇攘夷派の藩士達が水戸街道を武力で封鎖して、幕府に対抗した。尊皇攘夷派の水戸藩士たちの一部は(高橋多一郎、金子孫二郎)、江戸在住の薩摩藩士たち(有村三兄弟、堀)と連携しつつ 、「井伊直弼暗殺事件」(桜田門外の変)へ向けて、綿密な地下工作を開始していた。あくまでも、この井伊直弼暗殺事件は、薩摩藩の尊皇攘夷派と水戸藩の尊皇攘夷派の共同作戦だった。水戸藩の実行部隊は、脱藩届を出した上で、続々と江戸市中を目指し、あらかじめ指定された潜伏先に身を潜め、決行の日を待った。薩摩藩邸も、潜伏先の一つだった。指導者の金子孫二郎は、薩摩藩邸に身を潜め、そこから、各隊員へ指揮をとっていた。実行部隊は水戸藩中心だったが、薩摩藩の有村雄助、次左衛門兄弟らも含まれていた。しかも、井伊直弼の首を撃ちとったのは、薩摩示現流の免許皆伝で、江戸で道場まで開いていた剣豪の有村次左衛門であった。

 藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)(続)です。


高橋多一郎 、金子孫二郎等 、水戸藩の急進派の藩士達が中心になり、江戸在住の薩摩藩の藩士たちと連携し、密約を交わした末に、「お家断絶」も覚悟の上で実行したのが、大老=井伊直弼暗殺事件 、いわゆる「桜田門外の変」であった。もちろん、藩主=徳川慶篤、前藩主=徳川斉昭をはじめ、水戸藩の上層部=中枢部は 、それを押しとどめようとしたが、しかし、急進派藩士たちは、あらゆる説得や脅迫を跳ね除け、それをかいくぐって実行に移した。私は、この事件を調べて行くうちに、あらためて、水戸学というものの学問的、思想的な底の深さと徹底性を感じないわけにはいかなかった。水戸学の思想は、思想としては「尊皇攘夷」ということになっている。しかし、この「尊皇攘夷」という思想は、それを貫けば、いずれ「死」や「お家断絶」が待っていることは確実な思想だった。前にも書いたが、「尊皇攘夷論」とは、徳川幕府政権下では、どう美辞麗句を並べ 、多弁で取り繕うとも、「革命思想」であることにかわりはなかった。井伊直弼殺害には成功したとはいえ、この暗殺事件に関わった水戸藩士達は、ほとんどの者が、自決したり、獄死したりしている。不思議なことは、「薩摩藩」との約束の元に実行されたこの井伊直弼殺害事件で、綿密な計画と密約の上で、動くはずだった薩摩藩の兵士三千の大軍は、まったく動かなかったことだ。大阪に潜伏していた事件の指導者=高橋多一郎等は、井伊直弼殺害成功を聞き、祝杯をあげつつ  、薩摩藩の軍隊の登場を待っていた。しかし、援軍として登場するはずだった薩摩藩の軍隊三千は、影も形もなかった。

2021年4月12日月曜日

 藤田東湖と西郷南洲(3)・・・『維新と興亜 』連載中の原稿の下書き(メモ)です。


藤田東湖が安政の大地震で急死し、西郷南洲が奄美大島に島流しにあっている時、その事件は起きた。水戸藩士(脱藩浪士)たちを中心とする暗殺グループが、時の大老井伊直弼を、桜田門外において、血祭りに上げた、いわゆる「桜田門外の変」である。実は、私は、幕末から維新にいたる歴史的大変革の時代において、もっとも重要な事件だったのではないかと思っている。ここには、良かれ悪しかれ、水戸学の精神が、もっとも鮮明に生きていると言っていいのではないだろうか。水戸学は、何回も言うが、学問のための学問でも、空理空論としての学問でもなく、生きた学問であり、それは実践、実行、行動をともなう学問だった。藤田東湖亡き後 、水戸学派は迷走を始め、暴走を繰り返したあげく、壊滅的打撃を受けて、歴史の表舞台から消えていった、という人も少なくないようだが、私は、そういう史観は、歴史を、「損得勘定」や「結果論」でしか見ない歪んだ史観である、と思う。「生きた歴史」、あるいは「生きられた歴史」とは、そういうものではない。つまり、藤田東湖という水戸学派の指導者が生きていたら、桜田門外の変は、防げただろうか。確かに桜田門外の変以外の方法が有り得たかもしれない。しかし、藤田東湖や戸田忠太夫等が、大地震で、あっけなく死んでしまったように、歴史とは、思い通りにいくものではない。私が、この事件に注目するのは、この事件が、水戸藩と薩摩藩の共同作戦として計画、実行された事件だったからだ。もちろん、藩が総力をあげていどんだ暗殺=謀殺事件だったわけではない。水戸藩にしろ薩摩藩にしろ、一部の過激分子が 、藩中枢の反対を押し切って 、あるいは秘密作戦として、決死の覚悟でいどんだ暗殺=謀殺事件だった。暗殺=謀殺の実行部隊は、水戸藩士が中心だっったが 、この「義挙」が成功した暁には、薩摩藩の大群が 、一挙、上京し 、京都の朝廷を守護し 、さらに倒幕の行動に出るはずだった。こういう密約を信じて、水戸藩士たちと薩摩藩の有村次左衛門 ・雄助兄弟等は、井伊直弼暗殺=謀殺を実行したのだった。しかし 、薩摩藩の大群は、事件後も動かなかった。動けなかったのかもしれない。その結果 、事件にかかわった水戸藩の藩士たちは 行き場も逃げ場も失い 、ほぼ全員が逮捕されたり、自決に追い込められたりしている。

 「東芝買収騒動」の意味を問う。


東芝という会社には何の興味もなかった。今、東芝が 、どういう苦境にあるのかも知らなかった。知れば、「いいザマだな」と思ったかもしれない。しかし、英国投資ファンドによる「東芝買収」の話には、正直のところ 、驚いた。ええっ、そこまで追い詰められていたのか。政治家も経営者も、そして経済学者や経済評論家や経済ジャーナリストも、見て見ぬふりをしていたのか。これは、国家論の問題である。極めて政治的な問題である。一民間企業の問題ではない。シャープ買収事件を放置した日本政府は、またまた放置するだろうか。ジックリと見ていこうと思う次第だ。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワンごっこ」に浮かれていた「エセ保守」や「ネット右翼」の皆さん、お元気ですか。(笑)

(山崎行太郎)


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朝日新聞デジタル


拡大する東芝の車谷暢昭社長

東芝の車谷暢昭社長

東芝、「奇策」にのるか もの言う株主との悩ましい関係

小出大貴


2021/4/7 12:09 有料会員記事

東芝のロゴ入り看板=東京都

 東芝が、異例の「奇策」に出るかもしれない。買収の提案を英投資ファンド「CVCキャピタル・パートナーズ」から受けていることを明らかにした。日本を代表する企業が外資に狙われているように聞こえるが、そんな単純な構図ではなさそうだ。


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 東芝は近年、苦境が続いてきた。


 2015年、全社的な不正会計問題が発覚した。翌16年には米国の原子力事業での巨額損失を公表した。


 資金繰りに行き詰まり、上場廃止も危ぶまれていた17年末、増資を引き受けてくれたのが、約60もの海外投資家だった。窮地を救ってもらった半面、「もの言う株主」を抱え込むことになった。


 こうしたファンドの一部が、増資から3年経った今も議決権ベースで3割ほどを占め、経営に影響を及ぼしている。


 昨夏の定時株主総会では、車谷…


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 昨日、月刊誌『月刊日本』に連載中の『江藤淳とその時代 』(3)ー江藤淳と吉本隆明ーの原稿を書き終えました。Facebookに書いた下書き(メモ)を元に推敲し 、完成させました。今回は、江藤淳と吉本隆明が、「ひと回りして一致する」といった言葉について 書きました。二人は、「存在論的思考力」において「一致する」と私は理解します。詳しくは 『月刊日本』五月号でお読みください。


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