2021年3月12日金曜日

 存在論としての漱石論(6)

(本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代3 』の下書きです。)


江藤淳は、吉田健一的な、あるいは西脇順三郎的な、高尚で、高踏的な文学や文学研究を、それが限りなくホンモノに近いにも関わらず、まさにホンモノに近いが故に、批判する。おそらく ,彼らが、自分自身の実存 、日本の現実、日本の時代背景、日本国民の生活・・・を無視、黙殺しているからだろう。漱石も、英国留学を経験した洋行帰りの紳士だったが、漱石は、単なる洋行帰りのノーテンキな浮かれ紳士ではなかった。森鴎外もそうだった。森鴎外は「洋行帰りの保守主義者」と言われるが、森鴎外と同様に 、漱石もまた、「洋行帰りの保守主義者」だった。江藤淳が、漱石に注目するのは、そこである。「洋行帰りの保守主義者」とは何か。洋行し、留学し、西欧文明、西欧文学を知るにも関わらず、自分自身の実存、日本の現実を忘れていないということである。しかし、その一方で、日本の近代文学を象徴する「私小説」作家たちをも批判する。両者はいずれも、文学というものに対する懐疑が欠如しているからだ。「フランスに行きたしと思えど、フランスはあまりにも遠し・・・」という言葉があった。正確には 、萩原朔太郎の詩「旅k上」の一節、「   ふらんすへ行きたしと思へども   ふらんすはあまりに遠し  せめては新しき背廣をきて  きままなる旅にいでてみん  」・・・。日本の私小説作家たちの多くは、「フランスに行きたしと思えど、フランスはあまりにも遠し・・・」というような、「洋行帰り」ならぬ、洋行にも行けなかった「洋行紳士」気取りの「田舎紳士」だった。

江藤淳は、そこで、正宗白鳥を取り上げる。

《正宗白鳥氏が、「明治文壇総評」 という優れた文章を書いたのは、昭和三年六月のことである。ここに描破されているのは我が国の近代文学の絶望的な状態であって、身をもって三代の文学の変遷に耐えて来た。この異常に洞察に富んだ批評家の苦々しい幻滅が、息を呑ませる程の率直さで語られている。しかしそれ以上にぼくらの心胆を寒からしめるのは、三十年前に書かれたこの文章が今日少しも新しさを失っていないという事実なのだ。》(江藤淳『夏目漱石 』)


正宗白鳥に対する江藤淳の評価は、高い。私は、江藤淳と、正宗白鳥と小林秀雄の「『 思想と実生活』論争をめぐって」(「海燕」平成8-3)という対談を行ったが、その時も、さかんに正宗白鳥に対する尊敬と評価の感情を吐露していた。「白鳥の批評文には常に動きがある。精神の躍動がある・・・」と。私は、小林秀雄の晩年の「正宗白鳥の作について」ぐらいしか読んでいなかったので、小林秀雄に続いて、江藤淳までが、正宗白鳥を高く評価するのが意外だったが、デビュー作『 夏目漱石』のことを考えるならば、意外でもなんでもなかったのかもしれない。江藤淳は、正宗白鳥の「明治文学総覧」から引用する。

《 明治文壇は色さまざまの百花繚乱のお趣きがあるが、それとともに植民地文学の感じがする。そして私などは、その植民地文学を喜んで自己の思想、感情を培つて来た。今日のマルクス主義、共産主義の文学にしたつて、今のところ私には植民地文学に過ぎないように思われる。   》


おそらく、正宗白鳥が言っていることは、現在でも、そのまま通用すると言っていい。

 


存在論としての漱石論(7)


正宗白鳥を援用しつつ、繰り返される江藤淳の日本の近代文学、特に「私小説」に対する批判は鋭く、過激だ。まず、正宗白鳥から。

《明治文学中の懐疑苦悶の影も要するに西洋文学の真似で付焼刃なのではないだろらうか。明治の雰囲気に育った私は、過去を回想して多少疑いが起こらないことはない 》(正宗白鳥『明治文学総覧 』)


正宗白鳥を引用した後、江藤淳は、次のように書いている。


《明治以来、ーーやや限定していえば、所謂自然主義以来ーーのぼくらの主たる不幸は、こうした「懐疑苦悶」の亡霊に陶酔しつづけて来たことにあるといっても、さして事実と遠くはない。田山花袋などが野心的にはじめた西欧文学の輸入は、実は極く素朴な感動の模倣にすぎなかったで、清新な外国文学を読んで感動した青年逹は、通俗に信じられているように「近代的な自我」に目覚めたりせず、只、その感動の自分自身による追体験を求めただけの話である。》(江藤淳『夏目漱石 』)


江藤淳は明治文学の「懐疑苦悶」がニセモノであり、モノマネだと言う。「懐疑苦悶」ではなく 、「懐疑苦悶の亡霊」だと。江藤淳が、文学者や多くの文芸愛好者たちに嫌われる理由は、おそらく、ここにあるのかもしれない。しかし、江藤淳はさらに、追撃する。

《 すなわち、作家達は現実に存在しない「懐疑苦悶」の亡霊を輸入し、その亡霊を誠実に信仰することからはじめたのである。当時の日本で、鉄道が敷設され、軍艦が自国の造船所で建造されることが名誉だったように 、西欧風の「懐疑苦悶」を所有していることも名誉だったのであって、所謂自然主義の作家達は、この意味では、光栄ある帝国陸海軍並の国家的貢献をしていたといわねばならない。今日からみればまるでお笑い草であるが、これを嘲笑し去るのは極めて危険なことである。》

突然だが、江藤淳と吉本隆明の違いも、ここらあたりにあるのかもしれない 。吉本隆明には、それほど激しい近代文学に対する批判はない。実は、私は、江藤淳と吉本隆明を同時並行的に読んでいた。いずれも、深く共感しつつ、熟読を繰り返した。有名な「江藤淳=吉本隆明対談」における「一周まわって一致する」とかいう吉本隆明の言葉が、腑に落ちたことを、よく覚えている。吉本隆明を読みながら、江藤淳を読むことが、可能であった時代だった。もちろん、例外は、いくらでもあっただろう。左翼リベラル系の読者たちの多くは、吉本隆明を愛読しながらも、政治思想家的には保守反動系の江藤淳を、蛇蝎のごとく嫌っていた。吉本隆明と江藤淳は違う 、と思い込んでいる人達が、多数いたことも確かだろう。そこで、私は、当時、「群像新人文学賞」を受賞して登場してきた柄谷行人を思い出す。柄谷行人は、江藤淳と吉本隆明を、両方とも高く評価していた。吉本隆明のことはともかくとして、江藤淳をも、同じように評価し、擁護する論陣を張っていた柄谷行人は、左翼リベラル系の評論家や読者たちから激しく批判されていた。が、私は、むしろ逆に 、それ故に 、柄谷行人を真剣に読み始めた。ここらあたりの微妙な立ち位置に、私の存在根拠があった、と思う。当時の私の立ち位置は、今でもほとんど変わらない。「江藤淳=吉本隆明=柄谷行人」という三位一体構造が、私の存在根拠だった。私の『江藤淳とその時代 』は、そういう立ち位置に立脚している。それこそが、私の思考のアルファでありオメガである。私は、私と同じように考えている人が、他に多数いたのか、ほとんどいなかったのか、知らない。ところで 、私は、「世代論」が嫌いである。私は、世代論に回収されるような議論や言説が嫌いである。私は、世代論的には、全共闘世代とか団塊の世代とか言われる世代に属するが、私は、この世代の思想や思考が、嫌いである。私は、「東大全共闘」関係の思い出話が、大嫌いである。「三島由紀夫と東大全共闘」とかいう懐メロ映画があったが 、私は、見たくもなかった。もちろん、見なかった。私は同世代に、共感出来るような学者、思想家、言論人を、一人も持っていない。加藤典洋や村上春樹、内田樹、高橋源一郎・・・等が、大嫌いである。少なくとも、私は、思想も思考も感受性も、彼等とは決定的に違う。それが 、私が文章を書く時のプライドである。



2021年3月8日月曜日


■昨日(3.7、日曜日)、【山崎行太郎】【内山卓也】【森哲子】の「ZOOM」によるYoutube動画『反=論壇時評』を収録、配信しました。テーマは、『 総務省スキャンダルと竹中平蔵とスガ総理』・・・。

■総務省は、小泉政権における「郵政民営化」以来、「竹中一派」(竹中平蔵、菅義偉、高橋洋一、岸博幸・・・)の利権と人脈の巣窟である。現代日本の政権中枢にくい込み、内部から「日本潰し(日本後進国化)」を目論む「スガ政権(竹中一派)」の陰謀を排除するには 、総務省解体=再構築しかない。

■今こそ、「郵政民営化一派」(構造改革一派 、竹中一派)をぶつつぶせ。

■「スガ=竹中一派」の総務省幹部の国賊官僚が二人も追放された。総務省の「スガ=竹中一派」のヒラメ官僚を根こそぎ探し出し、追放せよ。

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https://youtu.be/gjK1Jgs01hM
https://youtu.be/gjK1Jgs01hM



 

 「存在論としての漱石論」(5)


夏目漱石は、「維新の志士」たちのように、命懸けで 文学をやりたいと言っている。それは「英文学としての文学」ではない。漱石は、「英文学者」になろうとしてなれなかった人である。何故、なれなかったのか。漱石に、学者としての能力がなかったから、なれなかったのか。無論、そうではない。では、何故 、なれなかったのか。漱石の有名な言葉に、「英文学に欺かれたるが如き不安の念」というのがある。これは、東京帝国大学の講義ノート『 文学論』の中の言葉である。漱石は、東京帝国大学講師を辞めて、作家として、朝日新聞に入社した。漱石が東京帝国大学講師という職を投げ出して、新聞社の社員となった背景には、「怒り」があったはずである。

2021年3月7日日曜日

 『月刊日本』に連載開始した『 江藤淳とその時代 (2)』の二発目の原稿を書き終えました。サブタイトルは、「存在論としての漱石論」です。江藤淳は、文芸評論家であるにもかかわら ず、激しい「文学」及び「文学的なるもの」への反感、批判、拒否感情をもっていました。江藤淳は、日比谷高校から、同窓生たちが東大へ進学していくのを尻目に、早々と東大進学を断念し、敢えて、慶應義塾大学文学部へ進学し、英文学を専攻しました。飛び抜けた秀才で、教師からも一目置かれていました。しかし、そこで、天敵というか宿敵というか、西脇順三郎という英文学者、 詩人にめぐり逢い、火花を散らすことになります。相手は、「ノーベル賞候補」にもなった詩人=学者です。大学院進学後は、江藤淳の敵意を感じ取った西脇順三郎教授に徹底的に嫌われ、ジャーナリズムで雑文を書くのなら大学院をやめたまえ、と宣告されます。 江藤淳は、「喧嘩別れ」のような形で、大学院を中退し、無宿渡世の「文芸評論家」になります。私は、デビュー作『 夏目漱石』における江藤淳の何物かに対する激しい「怒り」に注目します。江藤淳の「存在論的批評」の根っこには、この「怒り」があります。・・・。詳しくは、『月刊日本』をお読みください。


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『月刊日本』

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発行人 南丘喜八郎

編集人 中村友哉


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2021年3月6日土曜日

 言論誌『維新と興亜』第5号が発売中です。キンドル版(500円)も・・・。定期購読も募集中です。

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『維新と興亜』第5号のキンドル版(500円)もよろしくお願いいたします。

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2021年3月4日木曜日

 (本稿は、例によって、『 月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の下書きです。)


存在論としての漱石論(3)


江藤淳が標的にしているのは、主に吉田健一であるが、実は、文面には出てこないが、当時、慶應義塾大学英文科教授で、詩人だった西脇順三郎がいる。ちなみに、西脇順三郎は 、江藤淳の大学の指導教授の一人であった。江藤淳は、指導教授に喧嘩を仕掛けているのだ。並々ならぬ決意が感じられるだろう。その頃、慶應義塾大学英文科の優秀な学生として、慶應義塾大学教授になることを目標にしていた江藤淳にしてみれば、西脇順三郎に喧嘩売るということは、自殺行為に等しかった。それでも 、江藤淳は、漱石論を、吉田健一や西脇順三郎等の「文学論」の対極に位置づけようとしている。つまり、江藤淳は、漱石論を、吉田健一的な高等趣味的な文学論でもなく、西脇順三郎的な高尚な詩歌や文学研究でもなく、もっと生々しい、「生きるか死ぬか」というような、いわゆる実存的な問題として展開しようとしている。吉田健一や西脇順三郎的な文学論から見れば、明らかに、江藤淳の漱石論は、「野暮な仕事」にほかならない。しかし、江藤淳は、敢えて、その「野暮な仕事から」始めようとする。

《しかし、ぼくらは野暮な仕事からはじめねばならぬ。近代日本文学の生み得た 寥々たる文学作品を拾い上げ、その系譜を明らかにすることがそれであって、これは同時に、この国の文学が書かれ得るためにはどれ程の苦悩が要求されかを知ることでもある。》(『 夏目漱石』)

「 この国の文学が書かれ得るためにはどれ程の苦悩が要求されかを・・・ 」というところに、この文章のポイントはある。特に「苦悩」という単語に。近代日本文学が、まだ、海のものとも山のものとも分からない段階において、文学を生み出すということには「苦悩」が伴う。「苦悩」の伴わない文学は、西欧文学の表面的な模倣と反復にしか過ぎない「植民地文学」でしかない。