Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.
2021年3月8日月曜日
「存在論としての漱石論」(5)
夏目漱石は、「維新の志士」たちのように、命懸けで 文学をやりたいと言っている。それは「英文学としての文学」ではない。漱石は、「英文学者」になろうとしてなれなかった人である。何故、なれなかったのか。漱石に、学者としての能力がなかったから、なれなかったのか。無論、そうではない。では、何故 、なれなかったのか。漱石の有名な言葉に、「英文学に欺かれたるが如き不安の念」というのがある。これは、東京帝国大学の講義ノート『 文学論』の中の言葉である。漱石は、東京帝国大学講師を辞めて、作家として、朝日新聞に入社した。漱石が東京帝国大学講師という職を投げ出して、新聞社の社員となった背景には、「怒り」があったはずである。
2021年3月7日日曜日
『月刊日本』に連載開始した『 江藤淳とその時代 (2)』の二発目の原稿を書き終えました。サブタイトルは、「存在論としての漱石論」です。江藤淳は、文芸評論家であるにもかかわら ず、激しい「文学」及び「文学的なるもの」への反感、批判、拒否感情をもっていました。江藤淳は、日比谷高校から、同窓生たちが東大へ進学していくのを尻目に、早々と東大進学を断念し、敢えて、慶應義塾大学文学部へ進学し、英文学を専攻しました。飛び抜けた秀才で、教師からも一目置かれていました。しかし、そこで、天敵というか宿敵というか、西脇順三郎という英文学者、 詩人にめぐり逢い、火花を散らすことになります。相手は、「ノーベル賞候補」にもなった詩人=学者です。大学院進学後は、江藤淳の敵意を感じ取った西脇順三郎教授に徹底的に嫌われ、ジャーナリズムで雑文を書くのなら大学院をやめたまえ、と宣告されます。 江藤淳は、「喧嘩別れ」のような形で、大学院を中退し、無宿渡世の「文芸評論家」になります。私は、デビュー作『 夏目漱石』における江藤淳の何物かに対する激しい「怒り」に注目します。江藤淳の「存在論的批評」の根っこには、この「怒り」があります。・・・。詳しくは、『月刊日本』をお読みください。
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『月刊日本』
発行所 株式会社K&Kプレス
発行人 南丘喜八郎
編集人 中村友哉
〒102-0093
東京都 千代田区 平河町 2-13-1 読売平河町ビル5F
電 話: 03-5211-0096
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2021年3月6日土曜日
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2021年3月4日木曜日
(本稿は、例によって、『 月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の下書きです。)
存在論としての漱石論(3)
江藤淳が標的にしているのは、主に吉田健一であるが、実は、文面には出てこないが、当時、慶應義塾大学英文科教授で、詩人だった西脇順三郎がいる。ちなみに、西脇順三郎は 、江藤淳の大学の指導教授の一人であった。江藤淳は、指導教授に喧嘩を仕掛けているのだ。並々ならぬ決意が感じられるだろう。その頃、慶應義塾大学英文科の優秀な学生として、慶應義塾大学教授になることを目標にしていた江藤淳にしてみれば、西脇順三郎に喧嘩売るということは、自殺行為に等しかった。それでも 、江藤淳は、漱石論を、吉田健一や西脇順三郎等の「文学論」の対極に位置づけようとしている。つまり、江藤淳は、漱石論を、吉田健一的な高等趣味的な文学論でもなく、西脇順三郎的な高尚な詩歌や文学研究でもなく、もっと生々しい、「生きるか死ぬか」というような、いわゆる実存的な問題として展開しようとしている。吉田健一や西脇順三郎的な文学論から見れば、明らかに、江藤淳の漱石論は、「野暮な仕事」にほかならない。しかし、江藤淳は、敢えて、その「野暮な仕事から」始めようとする。
《しかし、ぼくらは野暮な仕事からはじめねばならぬ。近代日本文学の生み得た 寥々たる文学作品を拾い上げ、その系譜を明らかにすることがそれであって、これは同時に、この国の文学が書かれ得るためにはどれ程の苦悩が要求されかを知ることでもある。》(『 夏目漱石』)
「 この国の文学が書かれ得るためにはどれ程の苦悩が要求されかを・・・ 」というところに、この文章のポイントはある。特に「苦悩」という単語に。近代日本文学が、まだ、海のものとも山のものとも分からない段階において、文学を生み出すということには「苦悩」が伴う。「苦悩」の伴わない文学は、西欧文学の表面的な模倣と反復にしか過ぎない「植民地文学」でしかない。
■存在論としての漱石論(2)。
江藤淳の「批評」が、本質的、原理的、存在論的・・・だということは、どういうことだろうか。江藤淳は、漱石について、面白いことを言っている。文壇や文学研究者たちの世界で、一種の「常識」となっている「作品至上主義」とも言うべき固定観念を激しく批判・攻撃している。
《小説作家としての漱石を考える時、ぼくらは、彼にとって小説の創作が必ずしも唯一最大の関心事ではなかったことに注意する必要がある。芸術作品の創造とか、作品のまったき完成のためにのみ、自らの生活を捧げ尽くすような作家がいるものだ。こうした作家に接する時、彼らが作家以外の職業についたとしたら、どういうことになるのだろうか、などという疑問は浮かばないものである。芸術が彼らの生活を呑みこんでいる。ぼくらは、彼らの伝記を作品の片隅に書き加えられた注釈ようにしか読まない。
漱石はそのような作家ではない。》(『 夏目漱石』)
江藤淳は、激しい口調で、「漱石はそのような作家ではない。」と主張する。では、「そのうな作家」とは 、どういう作家か。
たとえば、江藤淳は、英文学者=吉田健一(吉田茂の息子)を批判する。
『維新と興亜 』という雑誌があります。友人の坪内隆彦氏が編集長です。私も、『藤田東湖と西郷南洲 』を前号より連載しています。第五号が発売中です。内容は以下の通りです。Amazonやネットより、お求めください。定期購読者も募集中です。よろしくお願いします。
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道義国家日本を再建する言論誌
『維新と興亜』第5号(令和3年2月)発売中です!(坪内隆彦)
《目 次》
【特集】自主防衛に舵を切れ
国益を損なうアメリカ依存(田母神俊雄)
「軍隊を動かす原理」を持たない国でいいのか(西村眞悟)
米中結託による世界二分割構想の終焉(稲村公望)
【巻頭言】地位協定改訂なくして主権回復なし(坪内隆彦)
●時論 コロナで露呈したグローバリズムと戦後民主主義の弊害(折本龍則)
●時論 原田伊織『昭和維新という過ち』の過ち(小野耕資)
吉田松陰の根本精神は絶対尊皇思想である(四宮正貴)
愛郷心を育み郷土を取り戻そう(杉本延博)
三島由紀夫『英霊の聲』再読①(玉川博己)
【特集】大河ドラマ『青天を衝け』と渋沢栄一
渋沢栄一を支えた水戸学と楠公精神(本誌編集部)
藤田東湖と西郷南洲②(山崎行太郎)
タブーなき論戦 グローバリズム 竹中平蔵 天皇親政 CIA ……(加藤嶺、野尻誠斗、中村一晃、仲原和孝、海野学、三角直矢、佐野允彦)
川島澄之助が関与した「大楽源太郎殺害事件」(浦辺登)
天皇親政のための君徳培養(坪内隆彦)
崎門学の必読書『靖献遺言』(折本龍則)
興亜先覚の地、弘前─陸羯南と山田良政(小野耕資)
村上一郎と三島由紀夫事件②(山本直人)
影佐禎昭 日中和平工作の謀略と信義(野尻誠斗)
田中角榮が総理大臣を辞めた理由②(田口仁)
菅原兵治先生『農士道』を読む⑦(三浦夏南)
【蔵書紹介】権藤成卿『自治民範』他
【書評】 小野耕資『大和魂の精神史』
活動報告
編集後記
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