2020年7月28日火曜日

竹中平蔵研究(4)・・・そのコンプレックスとルサンチマン。あ0

竹中平蔵研究(4)・・・そのコンプレックスとルサンチマン。

●竹中平蔵の批判は簡単である。しかし、竹中平蔵を倒すことは、至難の業である、と私は思う。これまで、無数の竹中平蔵批判がなされてきた。しかし、竹中平蔵本人は、ビクともしていない。微動だにしていない。ニヤニヤとせせら笑っているだけだ。竹中平蔵は、あらゆる批判を、素人・大衆からの批判を含め、経済学者や政治学者たち、いわゆる専門家たちの理論的批判をも、あるいは政治家たち(亀井静香等)からの批判をも、ものともせず、ますます、日本政府(安倍政権)の中枢に食い込み 、やりたい放題をやっている。何故、それが可能なのか。何故、これまでの多くの竹中平蔵批判が、竹中平蔵本人に、なんの影響もダメージも与えることが出来なかったのか。この問題について考えてみたい。
●竹中平蔵には、ネット右翼レベルの、あるいは小市民左翼レベルの薄っぺらな批判や罵倒は通用しない。竹中平蔵は、もっと底の深い、恐ろしい人間である。竹中平蔵は、たとえば「天皇」や「天皇制」というものを、どう思っているのだろうか。日本という国家や国民というものを、どう思っているのだろうか。あるいは、先祖か築き、護って来た歴史や文化や伝統、あるいはまた、鎮守の森や氏神さまや田の神、山の神、水神さまを・・・。竹中平蔵は、すべてを唾棄すべき、解体すべき、無きものとすべき、悪しきもの と思っているのではないだろうか。
●私は、日本共産党や新左翼系過激派の言う「革命」を、それほど重視していないが、つまり実現性のない空想的な幻想論だと思っているが、竹中平蔵がやろうとしている「日本革命」は、かなり、リアルな問題だと思う。竹中平蔵が目指しているかもしれない「日本革命」=「日本解体」は 空想論でも幻想論でもない。すでに着々と実行されている。小泉純一郎も安倍晋三も、あるいは、ネット右翼も、市民左翼リベラルも、多くの日本国民も、無自覚のうちに、つまり無意識のうちに、それに、加担、協力、支援している。「明るい未来」「明日の日本」「美しい日本」「日本復活」・・・(笑)という美辞麗句に幻惑されて・・・。だから、三島由紀夫は、『 反革命宣言』で、「明日」と「未来」・・・を語る思考を拒絶すると宣言しているのだ。明日と未来を語る言葉には欺瞞がある。詐欺師特有の欺瞞である。
●明日を語るな、今を語れ・・・。ここがロドスだ 、ここで踊れ。

(続く)