Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.
2022年5月31日火曜日
■YouTube動画「山崎行太郎と内山卓也の反論壇時評チャンネル」です。 #成田悠輔 #竹中平蔵 《「成田悠輔と竹中平蔵」成田悠輔は竹中平蔵のパシリにすぎない。》を配信しました。 是非、ご覧下さい!! ⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩ https://youtu.be/3Vig13G7rLo
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#成田悠輔 #竹中平蔵
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是非、ご覧下さい!!
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https://youtu.be/3Vig13G7rLo
■片山杜秀『日本の右翼思想』を読む(1) 片山杜秀は、日本の戦前の右翼思想について、かなり詳しいようだが、しかし残念ながら、その理解と分析は根本的に間違っている。右翼思想を甘くみて、真剣に理解しようとしていないからである。水戸学から西田幾多郎まで、あるいは本居宣長から小林秀雄まで、延々と続く民族主義的な右翼思想は、片山杜秀が、想像しているような浅薄な思想ではい。そもそも、「戦後民主主義」的な通俗的常識にとらわれたような凡庸な思想研究者に、日本の右翼思想の真髄が理解できるはずがない。たとえば、片山杜秀は、日本の右翼思想の「時間論」というものが、全く理解できないようである。『日本の右翼思想』の第五章は 、「右翼と時間 」となっているが、そのサブタイトルに「 変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる」とある。このサブタイトルからも 、片山杜秀が、「 時間論」に無知だということがわかる。片山杜秀は、日本の右翼思想(天皇制ファシズム?)の「 時間」は、「現在主義 」だと考えているようだが 、時間論的現在主義そのものを理解できていない。 もっと詳しくみてみよう。片山杜秀は、こう書いている。 《 しかし、とマンハイムはいう。ファシズムはこれらと態度を異にする。ファシズムの 時間感覚の最大に特徴は、「歴史が現在という瞬間的状況に解消されてしまうこと 」。人々が「 目の前にあるもの」にしか関心を示さなくなることにあるからだ。ファシズムは「 歴史の区分け」を否定する。そこでは、過去、現在、未来の独自な連関は消滅し、「すべての時代にかかわりなく起こるもの 」が平然と受容される。過去の経験の蓄積も、未来への理論的ヴィジョンも、もはや役割をもちえない。なぜなら、ファシズムが依拠するのは、「歴史の区分け 」以前の、「永遠に変わることなくどんな歴史の出来事の底にも基盤として横たわっている 」ような「 領域」であるのだから。》(片山杜秀『 日本の右翼思想』) 片山杜秀は、あの「マンハイム先生 」(笑 )が言っているのだから、間違っているはずがない、思っているようだが 、その「 マンハイム先生」が 、間違っているというより、そもそも「 時間論」というものが理解できていないのだから 、どうしようもない。片山杜秀は、ニーチェやハイデッガーも読んだことはないのだろう。いや、ニーチェやハイデッガーより「マンハイム先生 」の方が、正しいと思っているのだろう。そんなことはどうでもいいが 、片山杜秀は、「 時間論」というものを、もっと原理的に、あるいは本質論的に、考えてみたほうがいいだろう。「時間とは何か」・・・。
■片山杜秀『日本の右翼思想』を読む(1)
片山杜秀は、日本の戦前の右翼思想について、かなり詳しいようだが、しかし残念ながら、その理解と分析は根本的に間違っている。右翼思想を甘くみて、真剣に理解しようとしていないからである。水戸学から西田幾多郎まで、あるいは本居宣長から小林秀雄まで、延々と続く民族主義的な右翼思想は、片山杜秀が、想像しているような浅薄な思想ではい。そもそも、「戦後民主主義」的な通俗的常識にとらわれたような凡庸な思想研究者に、日本の右翼思想の真髄が理解できるはずがない。たとえば、片山杜秀は、日本の右翼思想の「時間論」というものが、全く理解できないようである。『日本の右翼思想』の第五章は 、「右翼と時間 」となっているが、そのサブタイトルに「 変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる」とある。このサブタイトルからも 、片山杜秀が、「 時間論」に無知だということがわかる。片山杜秀は、日本の右翼思想(天皇制ファシズム?)の「 時間」は、「現在主義 」だと考えているようだが 、時間論的現在主義そのものを理解できていない。
もっと詳しくみてみよう。片山杜秀は、こう書いている。
《 しかし、とマンハイムはいう。ファシズムはこれらと態度を異にする。ファシズムの
時間感覚の最大に特徴は、「歴史が現在という瞬間的状況に解消されてしまうこと 」。人々が「 目の前にあるもの」にしか関心を示さなくなることにあるからだ。ファシズムは「 歴史の区分け」を否定する。そこでは、過去、現在、未来の独自な連関は消滅し、「すべての時代にかかわりなく起こるもの 」が平然と受容される。過去の経験の蓄積も、未来への理論的ヴィジョンも、もはや役割をもちえない。なぜなら、ファシズムが依拠するのは、「歴史の区分け 」以前の、「永遠に変わることなくどんな歴史の出来事の底にも基盤として横たわっている 」ような「 領域」であるのだから。》(片山杜秀『 日本の右翼思想』)
片山杜秀は、あの「マンハイム先生 」(笑 )が言っているのだから、間違っているはずがない、思っているようだが 、その「 マンハイム先生」が 、間違っているというより、そもそも「 時間論」というものが理解できていないのだから 、どうしようもない。片山杜秀は、ニーチェやハイデッガーも読んだことはないのだろう。いや、ニーチェやハイデッガーより「マンハイム先生 」の方が、正しいと思っているのだろう。そんなことはどうでもいいが 、片山杜秀は、「 時間論」というものを、もっと原理的に、あるいは本質論的に、考えてみたほうがいいだろう。「時間とは何か」・・・。
2022年5月25日水曜日
■山口県阿武町誤送金事件、ほぼ全額戻る。現実は、我々の《 予想 》《 浅知恵》をはるかに超えている。 マスコミは、著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等を総動員して、事件の内容と分析、予想を、自信満々で、繰り返してきた。しかし、「著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等 」、彼らの分析や予想は、すべてはずれた。私が、興味を持つのは、、「著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等 」等の分析や予想は、何故、ことごとく外れるのか・・・という問題だ。つまり、こういうことだ。テレビや新聞など、マスコミやジャーナリズムに頻繁に登場して、訳知り顔で、自信満々に、事件の解説、分析、予想を繰り返す、「著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等 」が、いかに無能、無知かということだ。しかし、誰一人として、「 間違っていた」「予想出来なかった 」と反省するものはない。逆に、今度は、「 何故、ほぼ全額が戻って来たのか 」の解説を、ペラペラとまくし立てる始末だ。馬鹿か、お前ら(笑笑 )。「坊主になれ 」「腹をキレ 」と言いたところだが、植民地洗脳テレビ局のクズ番組で無知無能な駄弁を繰り返す破廉恥野郎どもには、何言っても無駄。これは、山口県阿武町の「 誤送金事件」だけ話ではないだろう。ウクライナ戦争も知床遊覧船事の場合も同じだろう。
■山口県阿武町誤送金事件、ほぼ全額戻る。現実は、我々の《 予想 》《 浅知恵》をはるかに超えている。
マスコミは、著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等を総動員して、事件の内容と分析、予想を、自信満々で、繰り返してきた。しかし、「著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等 」、彼らの分析や予想は、すべてはずれた。私が、興味を持つのは、、「著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等 」等の分析や予想は、何故、ことごとく外れるのか・・・という問題だ。つまり、こういうことだ。テレビや新聞など、マスコミやジャーナリズムに頻繁に登場して、訳知り顔で、自信満々に、事件の解説、分析、予想を繰り返す、「著名な弁護士やネット評論家、法律専門の大学教授等 」が、いかに無能、無知かということだ。しかし、誰一人として、「 間違っていた」「予想出来なかった 」と反省するものはない。逆に、今度は、「 何故、ほぼ全額が戻って来たのか 」の解説を、ペラペラとまくし立てる始末だ。馬鹿か、お前ら(笑笑 )。「坊主になれ 」「腹をキレ 」と言いたところだが、植民地洗脳テレビ局のクズ番組で無知無能な駄弁を繰り返す破廉恥野郎どもには、何言っても無駄。これは、山口県阿武町の「 誤送金事件」だけ話ではないだろう。ウクライナ戦争も知床遊覧船事の場合も同じだろう。
■小生も『 顧問』『 執筆者』として参加する右翼民族派思想雑誌『維新と興亜』グループの発行人、編集長、副編集長、その他の面々が、「水道民営化反対 」の抗議行動を、「ヴェオリア ・ジャパン」前で行ったようです。動画をご覧ください。 《 水道事業を外国資本に売り渡してはならない。》 ⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ 「 維新と興亜」チャンネル https://youtu.be/y0_qbaK5UvI
■小生も『 顧問』『 執筆者』として参加する右翼民族派思想雑誌『維新と興亜』グループの発行人、編集長、副編集長、その他の面々が、「水道民営化反対 」の抗議行動を、「ヴェオリア ・ジャパン」前で行ったようです。動画をご覧ください。
《 水道事業を外国資本に売り渡してはならない。》
⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎
「 維新と興亜」チャンネル
https://youtu.be/y0_qbaK5UvI
2022年5月24日火曜日
■「成田祐輔」とか「ひろゆき」とかいう天才気取りの「天才バカボン」が、「老人は消えろ」とか「老人は死ね」とかいうような幼稚で乱暴な議論をし 、通俗的な「世代交代論」を主張しているらしい。別に 、何を主張しようとかまわないが、自称「天才気取りのエセ天才」なら、もっとマシなことを主張してくれ 、と思うのだが・・・。私は、昔から、ひねくれていたので、「若者が明日の日本を創る」などという言葉が、真っ赤な嘘だと思っていた。私は、高校生の頃から「若者」が嫌いだった。老人になった今でも、そう思っている。というわけで 、山口県阿武町の「若者(24歳)」の逮捕には笑った。「成田祐輔と田口翔」を比較してみたくなった。「若者」なんていうのは厄介なゴミみたいなものだ。不潔で嫌らしい。「若者に未来がある」なんて真っ赤な大嘘。「若者」には刑務所が良くにあう。
■「成田祐輔」とか「ひろゆき」とかいう天才気取りの「天才バカボン」が、「老人は消えろ」とか「老人は死ね」とかいうような幼稚で乱暴な議論をし 、通俗的な「世代交代論」を主張しているらしい。別に 、何を主張しようとかまわないが、自称「天才気取りのエセ天才」なら、もっとマシなことを主張してくれ 、と思うのだが・・・。私は、昔から、ひねくれていたので、「若者が明日の日本を創る」などという言葉が、真っ赤な嘘だと思っていた。私は、高校生の頃から「若者」が嫌いだった。老人になった今でも、そう思っている。というわけで 、山口県阿武町の「若者(24歳)」の逮捕には笑った。「成田祐輔と田口翔」を比較してみたくなった。「若者」なんていうのは厄介なゴミみたいなものだ。不潔で嫌らしい。「若者に未来がある」なんて真っ赤な大嘘。「若者」には刑務所が良くにあう。
■近頃、世にはびこるものに、「成田悠輔」という「天才気取りのバカボン」がいる。さかんにテレビ局やメデイアに売り込んでいるようだ。成田悠輔の「売り」は、「エール大学助教授」だが、どうも、この肩書きが、怪しい。《《「助教授」と「助教」とは全く違うだろう!!!》
》笑。どっちなんだよ。というわけで、「老人の僻み、嫉み」を武器に、成田悠輔の正体に迫ってみました。成田悠輔の背後には、あの「竹中平蔵」(笑)がいますね。
「成田悠輔とひろゆき」パート2。
《「助教授」と「助教」とは全く違うだろう!!!》
を配信しました。是非、ご覧下さい。
⇩◆⇩◆⇩◆⇩◆⇩◆⇩◆⇩◆
https://youtu.be/MSMEcIiXbEg
山崎行太郎と内山卓也の反論壇時評チャンネル
●『夏目漱石』論と『小林秀雄』論(6)(『江藤淳とその時代』)
江藤淳は、『小林秀雄』論の「あとがき」の中で、
「小林秀雄の文学観を批判しつくしたいという野心が私になかったわけではない。だが、文学観の批判がいったい何であろうか。このように赤裸々な心を開いて私の前に立っている一人の人間の存在の重さにくらべれば。」
いうまでもなく、「小林秀雄の文学観」とは、一種のイデオロギーである。小林秀雄の頭に浮かんだものを体系化したものである。言い換えれば、小林秀雄の言うところの「 様々なる意匠」の一つである。もちろん、それも大事だろう。しかし、もっと大事な、もっと本質的なものがあるだろう、と江藤淳は、言おうとしているのだ。それが、「 私の前に立っている一人の人間の存在の重さ」という問題である。
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