「新自由主義」の哲学的原点ーケインズ経済学と反ケインズ経済学の「大論争」について。フリードマンとルーカス。(3)
「新自由主義」という経済思想の登場は、ケインズとケインズ経済学への批判、超克に、重要なポイントがある。その道具として採用されたのが現代数学である。数学への過剰な信頼と思い込みが、現代数学理論を駆使すれば、なんでも理解出来るかのような「数学幻想論」が「新自由主義」の大きな学問的特質である。その代表がロバート・ルーカスである。
Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.
■「新自由主義」の哲学的原点ーケインズ経済学と反ケインズ経済学の「大論争」について。フリードマンとルーカス。(2)
不況や恐慌を前にすると、自由放任主義的な経済学は無力になる。「国家の介入」による景気回復の経済政策と経済学が要求される。逆に好景気や成長が続くと、「国家の介入」による規制や政策が批判され、自由主義的な経済学が盛り返す。これに国際政治的な要因(たとえばマルクス主義や共産主義の台頭)が加わると、この傾向は、さらに複雑になる。つまり、共産主義革命の脅威がある限り、資本主義=自由主義=民主主義陣営では、共産主義陣営と対抗するために、貧困対策や福祉政策や失業対策・・・などが必要だったが、ソ連崩壊や冷戦終結とともに、過剰な自由主義が主張されることになる。それが、いわゆる「新自由主義」である。それを数学を駆使して、理論的に定式化し、社会思想運動として主導したのがミルトン・フリードマンやロバート・ルーカスら、いわゆる「シカゴ学派」の面々である。彼等の当面の敵はケインズとケインズ経済学であった。ケインズ経済学は、マルクス主義経済学とは内容は異なるが、社会民主主義的な貧困対策、福祉対策があった。いわゆる「国家の介入」による景気回復政策である。シカゴ学派は、国家の介入による規制や政策を、あるいは過保護的な貧困対策や福祉政策を激しく攻撃し、「市場の自由」を主張した。現在、日本に蔓延っているのも、小泉純一郎や竹中平蔵や橋下徹等に象徴される「構造改革一派」も、この「新自由主義」の流れに追随するものである。「福祉政策批判(カット)」「弱者切り捨て」・・・は、竹中平蔵や橋下徹の考えた自前の思想ではない。シカゴ学派(「新自由主義」)の受け売り、モノマネにすぎない。竹中平蔵が、「私は《新自由主義者》ではない」「私は《弱者切り捨て論者》ではない」とシラが切れるのは、自分の頭で考えた思想ではないからだ。エピゴーネン(竹中平蔵、橋下徹、吉村洋文、ネットウヨ・・・)ほど危険なものはない。
■「新自由主義」の哲学的原点ーケインズ経済学と反ケインズ経済学の「大論争」について。フリードマンとルーカス。
竹中平蔵や竹中一派4人組(竹中平蔵、高橋洋一、岸博幸、原知史)、あるいは、今、話題の橋下徹や吉村洋文ら「維新」グループの経済政策の原点は、冷戦終結後、アメリカに登場した「ケインズ経済学批判」にある。その批判運動を先導したのはフリードマンとルーカスという経済学者である。彼等の経済学説の主要ポイントは、国家の介入を極力排除し、市場原理にまかせるという経済理論だ。つまり、経済学的な自由主義とは、国家による管理や統制を排除し、市場経済の自由な活動にまかせよ、というアダ・ムスイス的な、古典経済学的自由主義のことである。こういう「新自由主義」が台頭してきた背景には、ソ連崩壊とマルクス主義の終焉という思想的背景がある。つまり、フリードマンやルーカス、及びフリードマンを頭目とするシカゴ学派の経済学者たちは、「マルクス主義経済学」と「ケインズ経済学」の特徴である「国家の介入」「国家の管理・統制」、つまり「格差対策」や「貧民対策」「福祉政策」を含むケインズ経済学、目の仇にしており、それらを批判、超克することから始まる経済学なのだ。もう少し分かりやすく歴史的背景を説明すると、イギリス古典派経済学であり、「市場の自由にまかせろ」という自由放任主義であるアダム・スミスの時代、アダム・スミスの自由放任主義経済学がもたらした窮乏、貧民、格差に対して、それを救ううべくマルクスが登場する。マルクス主義経済学による「共産主義革命」という過激な革命思想が、時代背景もあって、革命前夜の様相を呈し、一世を風靡するこよになる。これに危機感を持った資本主義陣営の中から、ケインズが、「共産主義革命」を横取りするかのように、「ケインズ革命」を引っさげて登場するというわけだ。ケインズ革命の本質は、「国家の介入」による「需要の喚起」を重視するという反自由主義的な経済学だった。これまた資本主義陣営で、一世を風靡することになる。
■大阪駅前雑居ビル火災と心療内科と大阪維新の会。
大阪で、24名以上の死者を出した雑居ビル火災の報道を見ていて、即座に、私は、「大阪維新の会」を連想した。しかも、「大阪市長」の松井一郎は、行方不明(?》の状態らしく、いまだに、マスコミの前には登場して来ないらしい。大阪駅前雑居ビルの大火災である。大阪市長や大阪府知事らが、無関係であるはずがない。「消防法」上は問題なかったらしいが、それですむ問題ではなかろう。大阪市や大阪府を政治的に支配・管理する「維新の会」は、橋下徹大阪府知事以来、公務員批判を繰り返し、各種の公的組織を解体したり、縮小したりしてきたが、消防関係の組織縮小や人員削減はなかったのか、気にかかる。それにしても、「文通費100万円」などでは、朝から晩まで、マスコミに出まくっていた「維新の会」関係者だが、肝心な時に、特に大阪市長が、「行方不明」(?)とは、これ、いかに・・・。
ところで、「心療内科」とは何か。火災現場となった雑居ビル4fに入っていたのは、心療内科の「ビル診」だったらしいが、私には、心療内科と聞いて、「ピーン」と来るものがあった。「小泉・竹中改革」の頃から、心療内科と精神科の垣根が低くなり、実質的に同一化されている。60過ぎの初老の男に放火された、このクリニックも、例によって、繁盛していたらしいが、さらにマスコミの情報によると、院長の医師の評判もいいらしいが、私は、そこに疑問を感じるのだ。つまり、心療内科と精神科の垣根を取り払うことによって、心療内科という口当たりのいい、ソフトな病気の患者として、病気でない健康な人達まで、病院(ビル診)に殺到することになった。それが「小泉・竹中改革」以後の風景である。その結果、ホンモノの精神病患者が大量に発生し、正確に言えば、精神病患者が、「心療内科医」によって粗製濫造され、大量の「薬」が消費されることになった。つまり、病弱だが、実は健康な人間を「クスリ漬け」にすることによって、ホンモノの精神病患者が偽造されたのである。おそらく、この「ビル診」スタイルの小綺麗なクリニックにも、健康な擬似病人とホンモノの精神病者が混在していたはずである。そもそも精神科や精神病院が、大阪駅前の雑居ビルにあるということがおかしいだろう。
「吉村洋文」って、札付きの「偽善者」だな。大阪市民や大阪府民なんて、「吉本興業」の漫才ばかり見ているうちに目が腐って来たんじゃないのか。
吉村洋文は、2014年12月、大阪市議時代にも、大阪を辞職した時、二日でボーナス満額受給。一日や二日で満額受給の常習犯だったらしい。とんでもない偽善者だ。
吉村洋文に、以下のような「驚くべき事実」が判明。「文春オンライン」より。
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(文春オンライン)
2015年10月に衆院議員を辞職した際、在職1日で10月分の文書通信交通滞在費(文通費)100万円を満額受給していたことが判明した吉村洋文・大阪府知事が、2014年12月に大阪市議会議員を辞職した際にも、在職2日でボーナスに相当する期末手当と12月分の月給にあたる歳費を満額受給していたことが「週刊文春」の取材でわかった。
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小誌が大阪市議会事務局に確認すると、吉村氏が11月末までに辞職すれば、期末手当の支給額は満額の238万6千円ではなく、その8割の190万8千円だったが、12月1日以降に辞職したために満額支給されていた。また、歳費も12月分の満額である77万6千円が支給されていた。
つまり、吉村氏は12月に2日間だけ市議に在職したことで、ボーナスと月給の合計約316万円を満額受給していたのだ。
11月中に辞職していれば、期末手当の差額と歳費の約125万円分、税金の負担が減ったことになる。
ーーーー引用終りーーーー
■昨夜は蕨駅前の某居酒屋で呑み会だった。
京浜東北線に、蕨(わらび)という小さな駅と古い街がある。私は、その隣の街に住んでいるが、時々、気分転換も兼ねて、古い街並がひろがる蕨駅前あたりに出かける。そこに、焼き鳥のお美味しい店があり、かなり以前から「お気に入り」だ。焼き鳥と言っても、普通の「焼き鳥」ではない。「味噌だれ」とかいう独自のタレに漬けた焼き鳥を炭火で焼くというだけのことだが、.これが、ちょっと、変わっている。他では食べたことがない。独特の濃厚な味がする。先代の「オヤジ」の時代に、偶然、立ち寄った店で、その「味噌だれ焼き鳥」に出会った。江戸時代の名残りを残したような「コ」の字型のカウンターがあり、その中で、オヤジが「苦虫を噛み潰したような・・・」無愛想な顔をして、パタパタと炭火をあおいでいる。煤で薄汚れた裸電球。ケムリがもうもうと立ちこめる店内の壁には、油で染めたような薄汚れた紙が貼ってあり、「レバ刺し〇〇円」とか「煮込み〇〇円」とか、料理の名前や値段などが書かれていた。無口だが、「政治漫談」好きの変わったオヤジだった。社会経験のとぼしい私は、怖くて、ほとんど口を聞いたこともなかった。黙って、オヤジのかなり鋭い政治漫談を聴きながら、黙々とビールを呑み、黙々と焼き鳥を食べ、終わると、勘定を払い、静かに年季の入ったガラス戸を開け、静かに店を後にするだけだった。私は、食通でも美食家でもグルメでもない。自分で食べて、美味しいと思ったものを、腹一杯食べるだけだ。さて、何年か通っているうちに、ある日、その店に立ち寄ると、店が閉まっていた。オヤジが体調を崩したらしい。それから一年もたたないうちに、店は、本格的な閉店になった。オヤジが、胃癌かなんかで亡くなったらしい。
ここまで書いているうちに、私の記憶違い、勘違いに気ずいた。私は、何故、オヤジが体調を崩したとか、亡くなったとかいう情報を、友人もいないのに、知っているのだろう。それで思い出した。店は、オヤジの娘と娘婿が、途中から引き継ぐことになったようだった。娘婿は、勤めていた会社を辞め、焼き鳥屋の二代目になっていた。私は、この若い二代目から、オヤジが体調を崩したことや、一年後に亡くなったことを聞いたのだった。「本格的な閉店」というのは、私の記憶違いだった。店は、コロナ禍で、一時はテイクアウトのみだったようだが、今でも変わりなく営業している。
実は、昨夜は、蕨駅の近くに住んでいる『維新と興亜』編集長(坪内さん)、副編集長(小野さん)の三人で、その焼き鳥屋で呑み会をやろうと思って、店の前までいったのだが、閉まっていた。張り紙があったので見てみると、最近は、コロナの影響もあり、月水金だけの営業のようだった。きのうは午後五時から、『維新と興亜』の「維新をぶっ潰せ」「橋下徹よ、お前こそ詐欺師だ」とかいう特集企画で、インタビュー取材を受けたのだった。それが一段落したので、さー、呑みに行こうというわけで、焼き鳥屋を目指したというわけだったのだが、目印の「大きな赤提灯」が消えていた。仕方なく、もう一軒の居酒屋へ。ここもよく行く居酒屋だが、最近、経営者が代わり、だいぶ若者向けの店になったようで、少し落ち着かない。しかし 、遅れて来た小野さんも合流し、楽しい呑み会が出来た。「くたばれ維新!!!」「くたばれ橋下徹!!!」「橋下徹よ、お前こそ詐欺師だ!!!」・・・で盛り上がったことは言うまでもない。
■小林秀雄の『様々なる意匠』について。
小林秀雄の言う「意匠」とは思想、理論、イデオロギー・・・のことです。いわゆる思想体系です。主に「マルクス主義」という思想体系のことです。
小林秀雄は 、これを 、「自分で考えたものではない」と批判します。
一方で、マルクスやマルクス的思考を肯定します。マルクスは 自分で考えた人だからです。
小林秀雄は、マルクス主義やマルクス主義、マルクス主義者を批判します。
自分で考えたのではなく、他の誰かが考えた思想(たとえばマルクス主義 、保守主義、合理主義、新自由主義・・・)などを、学習し、模倣しているだけだ・・・と。
マルクスとマルクス主義者とは違うということです。
つまり、マルクスと、マルクスの考えだした「マルクス主義」という思想を、学習し、暗記した人たちと区別し、批判します。
自分で何かを考える人は、ゼロの地点(虚無)から考えます。マルクスもデカルトも・・・。藤田東湖も福沢諭吉も・・・。だから、歴史に残っているというわけです。