2021年4月5日月曜日

 TSMCの正体・・・iTビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙(3)


私は、深田萌絵の「Youtube動画」を見るまで、「TSMC」の存在をまったく知らなかった。「TSMC」とは、台湾の「新竹」というところにある半導体メーカーであるらしい。私も、新竹には、「焼きそば」の名所ということで、山下聖美教授(日大芸術学部)の案内で、それを食べに行ったことがある。ついでに、市内観光もしたのだが、よく覚えていない。今は、台湾のシリコンバレーと言われているらしいが・・・。しかも、この台湾の新竹にある半導体メーカー(TSMC)の動向が、世界的な半導体不足ということで 、現在の世界経済の、あるいは、日本経済の「台風の眼」になっているらしい。つまり自動車も 、この半導体なしには 製品として完成出来ない。ということで、半導体が、世界経済の動向を左右することになっているということだ。しかし、日本は、かつて、その半導体の先進国であったにもかかわらず、半導体産業を衰退産業とみなして、外資(台湾など)に売り渡し続けている、という。それが現在の日本経済の衰退の根本原因になっているのだが・・・。日本の政治指導者たちも、マスコミのジャーナリストたちも、あるいは日本のエセ保守文化人どもも、その問題の深刻さを、まったく理解していないらしい。彼等は、つまり右派も左派も、「反中」「反韓」「反北」に・・・、あるいは、その逆に・・・夢中になるあまり、いまだに、ステレオタイプの「親日国家・台湾」の手前味噌的な独断的夢想の中で安眠を貪っているようだ。というわけで、今回は、「TSMC 」(台湾半導体メーカー)の正体について書いてみよう。まず確認しておきたい。深田萌絵も言うように、「台湾は必ずしも親日国家ではない」。日本の自称・保守派(エセ保守)のように、単純素朴に、台湾を、「親日国家」と認定し、「我等の仲間・台湾祭り」に狂奔しているようでは、話にならない。台湾は、半分は中国人(外省人)の国である。台湾の背後には中国がいる。私は、台湾に行った時のこと、「国立台湾故宮博物館」での光景を思い出す。台湾と中国(大陸)は敵対関係にあると思っていたが、現実には、大量の中国人が 、博物館に押し寄せていた。故郷を訪ねる中国人の大群、という感じだった。「  国立台湾故宮博物館  」は、蒋介石の国民党軍が、共産党との戦いで負けて、台湾へ敗走する時、「故宮博物館」から、中国の古美術品や陶器類を持ち込んだものだ。したがって、「台湾博物館」は、中国人の精神的・文化的原郷になっているのだ。要するに、台湾は、必ずしも、中国と対立=敵対しているわけではない。半分は同胞なのだ。つまり、まず、台湾は、中国と対立、戦争状態だという「台湾幻想論」を捨てるべきである。ところで 、本論に戻る。台湾の半導体メーカーTSMCについて。日本政府(経産省)は、世界的な半導体不足に関連して、TSMCへの日本誘致と資金援助を提案しているらしい。しかし、TSMCは態度を鮮明にせず、日本政府が振り回されている状態らしい。今や、世界の半導体市場をリードしているのはTSMC(台湾)とサムソン(韓国)らしく、日本の出幕はほとんどないらしい。そこで、日本政府は、資金提供をしてでも、台湾の半導体メーカー(TSMC)に頭を下げて誘致している図式だとか。しかも、TSMCは、すでに中国大陸に、大きな半導体工場を建設し、フル稼働状態で、設備も増強中だ。日本だけが、過去の栄光にしがみつきつつ、「一人負け」状態なのだ。そのうち 、トヨタなど日本の自動車メーカーも、外資の手に落ちるのではないか。こういう状態に、深刻な危機感を持って、発言しているのは深田萌絵だけだ。しかし、残念ながら、深田萌絵を取り巻く「エセ保守」や「ネットウヨ」連中を見ていると、悲しくなるというよりも、絶望と恐怖を感じる。もちろん、左翼リベラル派が、頼りになると言っているわけではない。左翼リベラル派は、もっとダメである。いずれにしろ、深田萌絵女史の発言に耳を傾けるべきである。

2021年4月3日土曜日

 台湾幻想論・・・iTビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙(2)


右派であれ左派であれ、日本には、根強い「台湾幻想論」がある。台湾を、必要以上に、美しく理想化し 、かつて日本の植民地だった台湾の現実や 、その具体的実例「霧社事件」、中国大陸から台湾に逃れてきて、台湾を軍事支配した蒋介石や国民党軍(外省人)の戒厳令時代 、を忘れて、それぞれの夢想する幻想に酔う日本人・・・。特に自称・保守派には、そういう美化された「台湾幻想論」に酔う日本人が少なくない。おそらく、それを克服し、冷静に、台湾のあるがままの現実と向き合うことは、なかなか困難だろう。昨年、李登輝没後に、日本国内に溢れかえった 、手放しの『李登輝賛美論 』には、親日家だった李登輝に対する追悼論としては仕方なかったのかもしれないが、やはり、あまりにも無防備すぎたような気がする。言うまでもなく、私自身、長い間、台湾幻想論の中にいた。しかし、私は、大学関係者等と、一度だけ 、台湾旅行をした事があり、「アレ、ちょっと違うな」と、台湾幻想論から目覚めたという経験がある。それでも、私は、台湾幻想論から、完全に自由になっていたわけではない。昨年から、深田萌絵の「Youtube動画」や深田萌絵の著書を、見たり、読んだりしはじめたが  、その理想と現実の落差には、驚きの連続だった。ところで、私が行ったのは、淡江という風光明媚なところにある「淡江大学」だった。淡江大学の女性教授(名古屋大学留学、大学院修了)の話によると、日本と台湾の文化交流は頻繁に行われているようだったが、ほぼ左派系の教授や文化人、芸能人・・・に独占されているようだった。そこで、私が感じたことは、政治関係者には、政治関係のレベルのた台湾のイメージが、大学や文化人関係者には、そのレベルの台湾のイメージが、旅行者には、旅行者レベルの台湾のイメージが・・・というように、それぞれ、一面的イメージが出来上がっており、それらは、決して台湾総体のイメージではないだろう、ということだった。その意味で、深田萌絵が発信する「it・半導体」関係の台湾のイメージは、これまで、あまり語られることのなかった台湾イメージだった 、と言っていいのではないか。今後、日本は、保守派だけではなく、政治・経済関係者たちも、ビジネス関係者たちも、深田萌絵の台湾論から、学ぶべきことが少なくないのではないか。左派であれ、右派であれ、あまりにも現実を無視した幻想的な台湾論は、現実の台湾にも失礼である・・・。「台湾幻想論は日本を滅ぼす」のだ。台湾を見くびるなかれ・・・。


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深田萌絵の「Youtube動画」

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https://youtu.be/-J6slXkQ2Pc


https://youtu.be/-uqmAlf_5AI


https://youtu.be/OfOmoTEAHXg


https://youtu.be/_90Rzhx4K2U


https://youtu.be/grTfcK9F-yw


https://youtu.be/WHziRi06DOg

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2021年4月2日金曜日

ITビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙。

iTビジネス・アナリスト=深田萌絵への手紙。


深田萌絵という女性がいる。私が、最近、夢中になっている女性である。彼女の「台湾論」(「半導体論」)は、実に刺激的で、思想的にも面白い。「台湾は決して親日国家ではない」「台湾と中国(大陸)は常に、対立、抗争しているわけではない」「日本の半導体(IT技術)は、台湾を経由して中国に奪われている」・・・と。彼女の専門は、「半導体」のようだ。日米台中をめぐる「半導体戦争」の秘密情報とその分析が、実に面白く、且つテリブルだ。深田萌絵は半導体関連のベンチャー企業の経営者でもあるらしい。彼女の提供する多くの情報は、伝聞情報でもテレビや新聞からの第二次情報でもなく、明らかに第一次情報である。私は、最近、新聞もテレビも、雑誌や週刊誌類も、見ないし、読まない  。時間の無駄だからだ。私が、最近、情報源として活用しているメディアは、「Youtube動画」とメルマガである。もちろん「Youtube動画」業界も、玉石混淆のようだが、「居酒屋漫談」以下、「井戸端会議」以下に堕落している新聞やテレビ、雑誌 、週刊誌・・・ではありえないような、高度、精密な、しかも具体的な、現場情報を、頻繁に発信しているものもある。私にとって、そういう「Youtube動画」が、いくつかあるが、そのひとつが、深田萌絵の「Youtube動画」(深田萌絵TV)である。私が 、これまでボンヤリ考えていた「日本後進国論」「日本衰退論」を、具体的、実証的な情報で、裏付け、証明してくれているからだ。そして、その問題の核心に「台湾」と「半導体」があるというわけだ。私は、4、5年前から「Youtube動画」を見るようになったが、それまでは、「Youtube動画」なんて  、暇と労力を持て余した「引きこもり」か「専業主婦」「病人」「寝たきり老人」「ネットウヨ」・・・の見るものだろう 、と思って軽視・軽蔑していた。しかし、友人の清水正(日大教授)が、しきりに勧めるので、「Youtube動画」を見るようになったのだが、次第に気づいてきたことがあった。大多数の「Youtube動画」は、見るに堪えないような、見るも無惨な、酷いものばかりだが、その中に、見るに値するもの、聞くに値するものが、要するに学ぶに値するものが、極々少数ではあるが、確実に存在するという現実だった。私は、当初は、深田萌絵の「Youtube動画」も信用していなかった。深田萌絵の周辺の人脈が、「WILL」の編集者を含め、「エセ保守」「ネットウヨ」系のエセ文化人ばかりだったからだ。深田萌絵の話は面白いが、所詮、深田萌絵もそういう種類の「ネットウヨ」系の女性だろうと、推測していた。しかし、昨年後半、ネットウヨ系のエセ文化人とは離れて、深田萌絵個人の、独立した「Youtube動画」を発信し始めた時点で、私は、深田萌絵という女性が、タダモノではないと、確信するようになった。ひょっとしたら、日本の「救世主」、「日本のジャンヌ・ダルク」 になるのではないか、と。深田萌絵は、日本の大手家電メーカー「シャープ」を台湾企業が買収した事件についても、独自の見解を述べているが、この買収事件が、彼女の思考の原点にあるらしい。私も、実は、「シャープ買収事件」については多くの疑問を持ったが、この買収事件に対する彼女の分析だけでも、深く共感できる。また、彼女は、最近、台湾問題に関連して、何か不可解な事件に巻き込まれているようなので、私は、微力ながら、応援したいと思った次第である。私は、ジェンダー・フリーにもフェミニズムにも、「おひとり様」=上野千鶴子的言動にも、懐疑的、批判的だが、一方で、才能のある女性の活躍には大賛成であり大歓迎である。


深田萌絵の「Youtube動画」

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https://youtu.be/-J6slkQ2Pc

https://youtu.be/-uqmAlf_5AI

https://youtu.be/OfOmoTEAHXg


https://youtu.be/_90Rzhx4K2U


https://youtu.be/grTfcK9F-yw


https://youtu.be/WHziRi06DOg



2021年4月1日木曜日

おはようございます。4月1日。新年度になりました。私的には、生活環境に大きな変化があり、今年は、新たな決意の元で、新年度を迎えました。今後ともよろしくお願いします。(山崎行太郎)

 おはようございます。4月1日。新年度になりました。私的には、生活環境に大きな変化があり、今年は、新たな決意の元で、新年度を迎えました。今後ともよろしくお願いします。(山崎行太郎)

2021年3月30日火曜日

 私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(3)。


ヘーゲルは『歴史哲学講義 』の冒頭で、事実の記述だけでは、歴史ではない、歴史は、哲学的歴史において初めて歴史になると言っている。このヘーゲル的歴史には、賛否両論があるだろうが、私は、重要な意見だと思う。小林秀雄は、その初期の段階から、ヘーゲル=マルクス主義的な「唯物史観」を激しく批判・攻撃しているが 、史料や文献だけで歴史が成立するとは言っていない。歴史への参加を主張している。また、私は、以前から東洋史学の岡田英弘(東京外語大名誉教授)の『 歴史とはなにか』を愛読しているが、岡田英弘も、歴史とは「空間軸と時間軸」の交差するところに成立するものだといっている。史料や文献だけで 、歴史という複雑なものが、理解できるとは言っていない。歴史(ヒストリー)は物語(イストワール、ヒストリー)と同義語である。当然だが、史料や文献だけでは、歴史は成り立たない。

「呉座勇一問題」で、私が、最大の根本問題だと思ったことは、呉座勇一が自慢する「歴史学者」たちの「方法」に関する問題だった。作家で歴史研究家の井沢元彦は、歴史学者を、「史料絶対主義」とか「史料第一主義」とか言って、歴史のメインテーマに踏み込まない歴史学者は専門馬鹿だとか激しく、批判・罵倒しているらしい。私は、井沢元彦をほとんど読んだことがないので、この表現が正確かどうか分からないが、私自身は、どちらかと言うと、井沢元彦の意見に賛成だ。歴史学者がつまらなのは、歴史の深層を避けて、史料や資料、あるいは文献にこだわりすぎて、その先の「歴史の哲学」とでもいうべき世界にに踏み込まないことだ。たとえば、呉座勇一は、「本能寺の変」で、明智光秀が、何故、謀反を起こして信長を攻めて死に追いやったのか・・・というような問題に、踏み込まないのが「歴史学者」だという。「本能寺の変」の謎のような一般受けするような問題を採り上げないのが歴史学者だ、と。史料や文献がないような歴史問題は、留保するのが歴史学者だ、と。やなるほど、そうか。そうであるならば、われわれが、歴史学者という人種を軽視し、軽蔑、無視するのも当然だろう。しかし呉座勇一は、それに怒り狂っているのだ。歴史学者を馬鹿にするのもいい加減にしろ 、と。呉座勇一は、八幡和郎等に反論して、こう書いている。

ーーーーーー引用始まりーーーーーー

そもそもなぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたかという動機を考える上で役に立つ史料は乏しい。安土宗論もそうだが、在野の歴史研究家が「アカデミズムの歴史学者は答えを出していない。怠慢だ!」と批判する事例は、史料が乏しくて決定打が出せないものばかりである。史料がないから歴史学者が慎重に解答を留保している事象について、在野の歴史研究者が勝手に妄想して「謎を解いた!」と一方的に勝利宣言しているだけである。

ーーーーーー引用終わりーーーーーー


「  史料がないから歴史学者が慎重に解答を留保している事象    」という一節に私は注目する。史料が見つからないような場合 、「歴史学者が慎重に解答を留保する」ことが、歴史研究者の正しい在り方だと、呉座勇一は、主張しているように見える。一方、呉座勇一は言う、「在野の歴史研究者が勝手に妄想して『 謎を解いた!』と一方的に勝利宣言しているだけである。」と。ここで、在野の歴史研究家が「勝手に妄想して・・・」というときの「妄想」という表現は、呉座勇一という人間の人間性を 、よく表しているように見える。歴史研究や歴史解釈には、あまり良くない表現だが、この「妄想力」が必要だろう。この「妄想力」とは、言い換えれば、「思考力」ということであり「想像力」、「構想力」ということだろう。呉座勇一は、それを否定し、拒絶し、嘲笑しているということだ。呉座勇一という三流の歴史学者の歴史研究がつまらないのは、そのためだろう。


(先日、早稲田大学に行ってきました。さすがに、学生は、いませんでした。大隈講堂で、大学進学直前、大江健三郎の講演を聴いたことを思い出します。)

 私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(2)。


私は、呉座勇一をめぐる「呉座勇一●八幡和郎論争」や「呉座勇一●井沢元彦論争」をネット上で傍観しながら、「歴史問題」だけではなく、現在の日本が直面している多くの問題の根っこが、ここにあるのではないか、と考えた。それは、私が、日ごろから考えている日本人の「思考力の衰弱」「思考力の欠如」という問題であった。現在の日本では、「考えている人間」、あるいは「考えようとしている人間」を 、「考ええない人間」、あるいは「考える力のない人間」が、学歴や職歴、肩書きなどを武器にして、批判、攻撃し、バッシングしているという問題であった。受験馬鹿や受験秀才は、普通、「考える力」のある人間と思われている。しかし、それは、おおきな間違いである。彼らは、「考える力」「考える能力」「考える意欲」を放棄し、喪失した、「雑学=クイズ=マニア」的な丸暗記型のロボット人間である場合が少なくない。もちろん、例外はあるが・・・。呉座勇一がその具体的見本である。私が、呉座勇一の言動や論争時の言葉使いを傍観していて感じたことは、この人は、「考える力」のない人間だなー、ということだった。考える力のある人間は、自分の学歴や職歴、肩書きに、安易に依存する言論をしない。むしろ、そういう言論を恥じるものだ。私は、呉座勇一が、「在野の歴史研究者」という表現で、「在野の人間」を見下し、嘲笑し、愚弄している言論を見た時、すぐにそれを感じた。私自身 、東大卒でも国立大卒でもないので、ましてや国立大を盲目的に崇め奉る習癖のある地方の公立高出身なので、そういうことに敏感なのだ。さて、「呉座勇一問題」に戻る。呉座勇一は、井沢元彦と八幡和郎を相手に、以下のような文章(論争文)を書いている。タイトルからして、巫山戯ている。

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在野の歴史研究家に望むこと

2019年03月21日 

呉座 勇一

国際日本文化研究センター助教

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この文章は、論争文であり、当然、激しい口調になっているが、それはともかくとして、この文章の中に、私の「癇に障る」表現があった。たとえば「在野」という言葉である。ここで、呉座勇一は、論争相手である、作家の井沢元彦と官僚出身で地方の私立大学教授でもある八幡和郎を、「在野の歴史研究家」と呼んで、見くだしているのである。逆に、「オレ様・・・」は、大学や国立の研究機関に勤務する、いわゆる「アカデミズム」の歴史学者であると、誇らしげに、言おうとしているのである。こんな文章がある。

ーーーーーー   引用始まり ーーーーーー

そもそも井沢氏(ついでに言うと八幡氏もだが)がおかしな陰謀論を唱えなければ、私がわざわざそれを批判する必要もなかったわけで、在野のトンデモ歴史研究家によって、教育普及活動を行っている歴史学者は足を引っ張られているわけである。妨害している当の本人が歴史学者に「もっと教育普及活動に力を入れろ。百田・井沢の説をきちんと具体的に批判しろ」と言うのは、泥棒が「盗難事件が多いのは警察がだらしないからだ。もっとちゃんと仕事をしろ」と文句をつけるようなものである。(呉座勇一)

ーーーーーー引用終わりーーーーーー


はー(?)。私は、この論争文の一節を読んで、はっきり言って、不快感だけではなく、怒りに近いものを感じた。呉座勇一は、井沢元彦や八幡和郎の「主張」を 、「陰謀論」と呼んでいる。私は、呉座勇一の主張の多くは正しいだろうと、推察する。しかし、井沢元彦や八幡和郎らの主張を、「 在野のトンデモ歴史研究家  ・・・」の「陰謀論」と切り捨てることには、首をかしげざるをえない。しかも、「 在野のトンデモ歴史研究家」を「泥棒」にたとえ、自分たち、「官学アカデミズムの歴史学者」 を警官にたとえている。この一文を読みながら、私は、不謹慎にも、「この男、頭は大丈夫か」と思ったものだ。


ーーーーーー引用始まりーーーーーー

もちろん在野の歴史研究家が新説を唱えるのは自由である。だが「学界の通説を一蹴した」といった誇大宣伝はやめてほしい。現に、古今東西の歴史に通暁しているはずの八幡氏でさえ井沢氏の主張を鵜呑みにして「井沢元彦が安土宗論に関する学界の通説を一蹴した」と思い込んでいたではないか。まして一般の読者なら井沢氏の自信満々な口ぶりに騙され、「井沢氏の言っていることこそが歴史の真実であり、歴史学者は馬鹿ばかり」と誤解しても不思議はない。(呉座勇一)

 ーーーーーー引用終わりーーーーーー


この口ぶりには、唖然とせざるをえなかった。「学界」とか「歴史学者」というものに、誇りとプライドを持つことはいいだろう。さらに、「在野の歴史研究家」(歴史学者ではない!)と「歴史学者」とを、やや身分差別的に、明確に分けることも、しかたない。だが、考えてみるがいい。そもそも、「歴史学者」の歴史研究には誤りはなく、「在野の歴史研究家」の歴史研究は「陰謀論」ばかりというのは、言い過ぎというより、まさに「暴論」「愚論」でしかないのではないか。幸田露伴や森鴎外等の「歴史小説」や「歴史研究」には意味も価値もないのか。「江戸学の父」と言われる三田村鳶魚(えんぎょ)は、「官学アカデミズム」と無縁であったが、三田村鳶魚も、「在野のトンデモ歴史研究家」にしか過ぎないのか。あるいは 、小林秀雄の『 本居宣長』は、歴史研究に値しないのか。江藤淳の『 近代以前』という江戸思想史研究はどうか。あるいは 、秋田師範学校を出て、小学校教員や10数年のジャーナリスト生活を経て、京都帝国大学国史学科教授となり、東京帝国大学の白鳥倉吉教授とともに、戦前の歴史学界を二分した内藤湖南は、どうか。呉座勇一の説に従えば、内藤湖南の前半は、明らかに「在野のトンデモ歴史研究家」だったということになるのではないか。もし、若き日の内藤湖南が「在野のトンデモ歴史研究家」でしかなかったとすれば、何故  、京都帝国大学は、内藤湖南を教授に招聘したのか。内藤湖南の歴史研究を、評価したからではないのか。呉座勇一の井沢元彦や八幡和郎への批判には 、正しい批判もあるが、根本的間違いもある。  呉座勇一は、そもそも「歴史とは何か」という歴史研究の根本問題がわかっていない。

2021年3月29日月曜日

 私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(1)。


知らない人は不思議に思うかもしれないが、呉座勇一に関しては、私は、野次馬的興味もないわけではないが、かなり真剣に、拘っている。私は、最近、「歴史」という問題に、関心を持っている。私は、これまで、「文学」や「哲学」、あるいは「政治」などには、関心を持ってきたが、正直のところ「歴史」には、さほど興味がなかった。私が、最近、「歴史」に関心と興味を持つようになったのには思想的理由がある。私は、NHKの歴史大河ドラマは、昔からほとんど見ていないが、たまたま、2、3年前、西郷南洲をメインテーマにした『 西郷どん(セゴドン)』が放映された時、主な舞台や主人公が、自分の郷里や郷里の出身者たちでもあり、またNHKドラマ『 西郷どん(セゴドン)』の「時代考証」を担当した原口泉(鹿児島大学名誉教授)が、高校時代のクラスメートでもあったことなどから、興味を持って見ることにした。しかし、『 西郷どん (セゴドン) 』は、第一回目から、林真理子原作で、原作自体がいい加減なもので、放映されたドラマも期待はずれだった。その上、時代考証なども、かなり粗雑なものだった。西郷南洲が、殿様(島津斉彬)と相撲をとったり、西郷南洲と篤姫が恋愛感情をもっていたり 、錦江湾に飛び込んで心中事件を引き起こした西郷南洲と月照が「ボーイズラブ」だったりとか・・・。面白おかしく仕立てられた漫画チックな「ファンタジーノベル」か「ライトノベル」でしかなかった。違和感どころか、不愉快になり 、怒りさえ感じ始めたので、精神衛生上良くないので、後は見なかった。違和感や怒りを感じたのは私だけではなかったようで、「時代考証」担当の原口泉に問い詰める人もいたらしい。驚くべきことに、原口泉の答えは、「アレはドラマですから・・・」というものだったらしい。原口泉は、鹿児島では、NHKテレビに頻繁に登場することもあって、芸能人なみに「超有名人」(笑)らしく、講演会や各種のイベントなどに「引っ張りだこ」のようだが、専門のはずの歴史研究や時代考証の方は、おざなりらしい。私は、同級生の悪口は、これ以上、言いたくないので、やめるが、南洲墓地の横に「大久保利通記念碑」を建てるなど、「東京大学歴史学科卒」「国立大学教授」というような学歴や職歴を利用して、他にもいろいろ問題や騒動をしでかしているようなのだ。西郷南洲の縁戚の人間で、NHKドラマにも協力し、かたわら西郷南洲関係の歴史研究を続けている「某氏」などは、原口泉の「西郷南洲研究」を、目の仇にしている・・・という具合だ。というわけで、私は、突然、「歴史」や「歴史学」、あるいは「歴史哲学」「時代考証」「史料分析」・・・というものに思想的関心を持つようになった。ところで、たまたま、その頃、私の視界に、「呉座勇一」という名前の歴史研究者が、飛び込んで来たのである。それは、井沢元彦や八幡和郎らと、ネット上で、「歴史」や「歴史研究」、あるいは「資料」「文学」「アカデミズムと在野」・・・などをめぐって、論争している呉座勇一であった。私は、面白かったので、しばらく静観していたが、次第に、私自身の問題関心にも、かなり強い刺激を与えるものだったので、その論争に、野次馬的に、横から介入していったのである。呉座勇一は、そこで、作家や評論家の「歴史研究」を 、「在野の素人の歴史研究」と位置づけ、「われわれ(呉座勇一等)、官学アカデミズムに属する歴史研究者だけが、正式の歴史研者である」、「ド素人は黙っていろ」というような暴論と暴言を吐きまくっていたので、これは、黙っているわけにはいかない、と、不肖、私、山崎行太郎大先生(笑)が、満を持して、立ち上がったわけである。そして、例によって、例のごとく、ネット上で、執拗に「呉座勇一批判」を繰り返したのである。すると  、ある日、とつぜん、呉座勇一の「子分」(笑)と思しきチンケな野郎(生駒哲郎 、

「日本史史料研究」会長?)からチンケなメールが届いた。「呉座勇一批判はやめろ」「呉座勇一先生に謝罪しろ」「謝罪文は以下( 謝罪文) にしろ」「この警告メールを無視したら 、とんでもないことになるぞ」・・・というような恐喝メールだった。笑った 、笑った、笑った。今どき、こんな大バカ野郎が、この日本に棲息しているとは・・・。世間知らずにもほどがある。何を考えて歴史研究をやっているんだろう 、コイツらは・・・。これが「官学アカデミズム」の実態なのか・・・。子どものチャンバラごっこのような、そのチンケな警告を、当然、私は無視した。その後、どうなったか。続きは次回に。