2021年2月5日金曜日

 ■小沢一郎を先頭に 、「ヴゥ・ナロード」(民衆の中へ!)の政治哲学で政権交代を実現せよ。


今日(2021/1/30)は、午後二時から、「小沢一郎議員を支援する会」(弁護士・伊東章会長)の「ZOOMシンポジウム」(豊島区民センター)が、行われました。白井聡先生の「ZOOM講演」と、小沢一郎議員の挨拶(ビデオメッセージ)、森ゆうこ参議院議員の「ZOOM挨拶」、辻恵元衆議院議員の挨拶、そして私も、最後に、ゲストスピーカーとして、「ZOOM」で登場させてもらいました。私は、来たるべき選挙では、「政権交代」に向けて、「小沢一郎を先頭に立てて、戦え」「策士=小沢一郎なら『 政権交代』も実現出来る」「野党の議員は、山本太郎のように『地方遊説』と『 ドサ回り』(小沢一郎式「川上戦略」)から始めよ」「国会論戦とテレビ出演だけでは、野党の支持率は落ちるだけだ」「日本国民、一般大衆、民衆を畏れよ」・・・と主張しました。

今回の「ZOOMシンポジウム」は、前もって、このFacebookやTwitterなどでも「告知」すべきかとも思いましたが、「コロナ禍」の「緊急事態宣言」中ということもあり、諸般の事情を踏まえ、遠慮しました。主催者側スタッフによると、今回の経験を踏まえ、また二回目、三回目とやっていくそうです。というわけで、次回から、「告知」します。なお、JWA(岩上安身)とかいうネット放送局によって、「Youtube動画」か「TwitCasting

」で、実況中継されたようです。参加人数も、80名を超えたようです。大成功。次回が楽しみ。







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 (以下は『月刊日本』連載予定の原稿の下書きです。詳しくは『月刊日本』でお読みくだださい。)

江藤淳とその時代(1)

私が、江藤淳という名前を知ったのは、高校時代、初めて、自分の金で 、

文庫本というものを買った時だった。それまで、私には、自分の金で本を買うという習慣はなかった。私は、どちらかと言えば、「読書嫌い」の少年だった。私は、遅ればせながら、高校時代、初めて 

「読書」というものに目覚めた。そして初めて文庫本というものを買ったのだ。新潮文庫の大江健三郎の初期小説集『 死者の奢り・飼育』がそれだった。その新潮文庫の解説を書いていたのが「江藤淳」だった。しかし、その時は 、それほど深く「江藤淳」という名前に関心を持つことはなかった。私は、その時、大江健三郎の小説に夢中になりかけたばかりで、大江健三郎しか眼中にない状態だったからだ。しかし、今から考えると、私の「大江健三郎狂い」に、さらに刺激を与えたのは、江藤淳の文章の力だったのかもしれない。江藤淳は、解説で、こう書いている。

《 大江健三郎という作家を初めて識ったのは、一九五七年の六月頃である。ちょうどそのころ、「文学界」に批評を書きはじめていた私は、ある日、文芸春秋社の地下にある文春クラブで、焦茶の背広をややぎこちなく身につけた色白の少年を見かけた。ついぞ見かけたことのない特徴のある顔立ちだったが、彼はやがて編集者に軽く会釈すると、こちらには見むきもせず、ひどく癖のある足取りで外に出ていった。あれは誰だときくと、東大新聞の懸賞小説で一等になった大江健三郎という学生だという。大江はそのとき眼鏡をかけていなかった。》(江藤淳『 死者の奢り・飼育』解説より)

   私は、当然の事ながら、江藤淳のこの文章で、「文学界」とか「文芸春秋」とか、「文春クラブ」・・・などというものを初めて知った。ここに描かれている「大江健三郎」は、大江健三郎の小説作品の中から飛び出してきた人物のように、生き生きと描かれている。「東大新聞の懸賞小説で一等になった大江健三郎という学生・・・」「焦茶の背広をややぎこちなく身につけた色白の少年・・・」という江藤淳の言葉は、当時、高校生だった私には、充分に刺激的だった。目の前に作者がいる。私は、小説には 、小説という作品だけではなく、「作者」という具体的な人間がいるのだということを、初めて自覚的に認識した。「作者」という存在を印象づけられた文章だった。私の文学体験の原体験は、ここから始まったと言っていい。私が、それまで、悶々とした内向的な少年時代を過ごしながらも、文学や読書に目覚めることが出来なかったのは、文学作品には 、それを書いた「作者」がいるということを認識出来なかったからだ。私は、この時、初めて、今、ここに、存在し、動いている「作者」というものを知った。作者とは何か。作家とは何か。私は、大江健三郎の小説作品に夢中になると同時に、大江健三郎という「作者」という存在にも夢中になった。たとえば芸能界や芸能人に憧れる少女たちのように、あるいは漫画や漫画家に憧れる漫画少年・少女たちのように、私もまた、芸能人や漫画家や作家に憧れ始めたのだと思う。そして、その憧れの対象は、作者その人だった。

江藤淳は、慶應義塾大学の学生だった時、「三田文学」に発表した『夏目漱石論 』で、デビューし、『漱石とその時代 』を書き続ける途中で、亡くなっている。文芸評論家・江藤淳の人生は、夏目漱石で始まり、夏目漱石で終わった人生だった。『閉された 言語空間』や『 一九四六年憲法』などに象徴されるような政治評論や戦後史研究などが中心ではなかった。私は、銀座の「三笠会館」で、一度だけ江藤淳と対談(インタビュー)したことがあるが、その時、私が、「政治評論」に言及した時、激しくそれを否定し、「自分の仕事の中心は『文芸評論 』だ」「『政治評論 』は『文芸評論 』の延長だ」「私の『政治評論 』は、新聞社の政治記者上がりの政治評論家の書くものとは違う」・・・と頑強に主張したことを覚えている。あまりにも激しかったので、よく覚えている。その後、中断していた『 漱石とその時代』の続編の連載(「新潮」)が始まった。

言うまでもなく江藤淳の批評の本質をもっとも鮮明に体現しているのは漱石論である。しかも、江藤淳の漱石論は、デビュー作から、一貫して作品論中心ではなく、夏目漱石その人を論じる作家論、作者論、つあり「評伝夏目漱石」が主体であった。誤解を恐れずに言えば、江藤淳の漱石論は、作品論ではなく、作者論・作家論であった。

《その晩年のある時期に立って、過去の業績をふり返ってみると、文学史的評価や位置づけなどは児戯に類する一些事のように思われて来る作家がある。彼の生涯の重みが、そのような「人間の作った小刀細工」 を拒否している。たまたま、自分の一生の密かな旋律を、「文学作品」というものの中に歌いこめて来た一人の男がいて、やがて死のうとしていることを考えると、一国の文芸がどうなろうと、その中でこの作家の位置がどうなろうと、そんなことはすべて第二義的な、軽薄な議論に思われて来る。つまり人間の一生などというものはそれほど厳粛なものなので、ぼくらはそんな重苦しいものに向かいあっているのがいやなばかりに、かえってさまざまな小手先の細工を案出するのである。》(『夏目漱石』)

江藤淳の漱石論には、漱石論や漱石研究に留まらない危険な魅力がある 。つまり、漱石論ではあるが、同時に江藤淳論であり、江藤淳研究であるという魅力である。江藤淳は漱石論で、「自分自身を語っている」。江藤淳の漱石論以後、雨後の筍のように量産されるようになった「漱石論」や「漱石研究」がつまらないのは、あくまでも、「漱石論」や「漱石研究」にとどまっているからだろう 。江藤淳の漱石論は、その種の「漱石論」や「漱石研究」とは根本的に異なる。

それは、江藤淳の漱石論のスタンスそのもの由来している。江藤淳の漱石論のスタンスとは、漱石を、作者・漱石を中心に論じていくというスタンスである。それは、同時に、漱石を論じながら、江藤淳という自己自身を論じているというところだ。

2021年1月13日水曜日

「『山崎行太郎公式ブログ「毒蛇山荘日記」 』を、再びhatenaに移動しました。」

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https://yamazakikoutarou.hatenadiary.com

「『山崎行太郎公式ブログ「毒蛇山荘日記」 』を、再びhatenaに移動しました。」以下のアドレスです。竹中一派も、スガ没落とともに落ち目のようですので、使い慣れたhatenaに戻しました。


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https://yamazakikoutarou.hatenadiary.com


https://yamazakikoutarou.hatenadiary.com

2021年1月12日火曜日

「トランプ騒動」や「緊急事態宣言騒動」から遠く離れて・・・。 今だからこそ、水戸学派の「革命思想=尊皇攘夷論」について話そう。

 




「トランプ騒動」や「緊急事態宣言騒動」から遠く離れて・・・。

今だからこそ、水戸学派の「革命思想=尊皇攘夷論」について話そう。

水戸学に学ぶ。「政治指導者」とは何か。どうあるべきか。


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《 参考史料》

西郷南洲。藤田東湖。藤田幽谷(『正名論 』)。徳川光圀(水戸黄門)。徳川斉昭。会沢  正志齋(『 新論』)。吉田松陰。梅田雲浜。


水戸学。水戸学派。彰考館。大日本史。安政の大獄。桜田門外の変。水戸天狗党の乱。明治維新。


儒学。朱子学。王道。覇道。尊皇攘夷論。


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山崎行太郎のYoutube動画「反=論壇時評」

https://youtu.be/uZ_vg5k_kLg

https://youtu.be/uZ_vg5k_kLg


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鹿児島・薩摩半島の拙宅「毒蛇山荘」から徒歩5分。

橋口酒店。(しょうちゅうハシグチ)

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http://sotsuya-hashiguchi.com/

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2021年1月10日日曜日

トランプの「闘う民主主義」を支持する。

 


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アメリカ大統領選挙風雲録。

闘う民主主義が、私は好きだ。闘わない民主主義は、民主主義の放棄であり、民主主義の自殺であり、全体主義の予備群でしかない。日本のテレビや新聞は、トランプが「敗北宣言」をしたかのように伝えているが・・・。そうだろうか。私は、トランプの「命懸けの闘い」を支持する。荒々しい闘い方だが、これぞ「生きた民主主義」だと思う。明らかに、ディープステート(マスコミ、国際金融、軍産複合体、民主党・・・)による反民主主義的陰謀で、「トランプ的正義」=「民衆の正義」は消されようとしているが・・・。アメリカ民衆の「命懸けの闘い」=「闘う民主主義」は素晴らしいと私は思う。 https://t.co/KbM79quajJ

橋下徹とA級戦犯

 


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最近、テレビに出まくって 、大口を叩いている橋下徹が、スガ首相の迷走ぶりを批判して、戦時中の日本政府と同じだと言っていた。おいおい 、ちょっと待てよ 。橋下徹の仲間であるスガのことはどーでもいい。お前は、大東亜戦争の戦争指導者たちを、スガと同じだと 、冒涜するのか。負けたのだから批判はあるだろう。しかし、「負けると分かっていても戦わなければならない時もあるのだ」。小林秀雄も江藤淳も、まともな日本人なら、批判していない。お前は馬鹿か。 お前が、あの時の戦争指導者だったら 、「勝てた!」(笑)とでも妄想しているのか。小林秀雄は、「戦争が終わると、必ず『 ああすれば勝てた、こうすれば負けなかったはずだ』という奴が出てくるが 、歴史はもっと恐ろしいものだ。」と、お前のような「知ったぶり」を、批判、罵倒している。お前は、小林秀雄や江藤淳より 、偉いと思っているのか。橋下徹よ、お前には人を見る目がない。歴史を見る目がない。政治を語る資格がない。戦争を語る資格がない。東條英機等、あの大東亜戦争の指導者達(A級戦犯)たちは、昭和天皇の身代わりになって処刑台の露となったのだ。スガと戦争指導者たちは同じではない。江藤淳の『南洲残影 』でも読みたまえ。くだらない法律論議しか出来ないならば、おとなしく悪徳弁護士でもやってろ。さっさとテレビから消えろ。お前の言説は、私の大嫌いな、吉本興行の「お笑い芸人」以下だよ。まさしく、お笑いだよ。(笑)

2021年1月7日木曜日

『 スガ=竹中平蔵=アトキンソン』への退場勧告。


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■『 スガ=竹中平蔵=アトキンソン』への退場勧告。


日本を迷走させている海賊船の船乗りたちよ、さっさと消えてくれ。スガ首相の相談相手は、竹中平蔵とアトキンソンらしいが、スガが馬鹿だということは、竹中平蔵やアトキンソンを、ブレーンにしていることからも明白だ。スガ首相が、原稿を棒読みしたり、コロナ対策で、途方に暮れて、右往左往するしか能がないのは、自分では何も考えていないからだ。今、スガ批判は言うまでもなく、竹中平蔵批判やアトキンソン批判も、各所で沸き起こっている。あまりの竹中平蔵批判の多さに驚いたのか、竹中平蔵は、今年(新年)になって、人気回復をはかるべく、突然、YouTube動画の配信を始めたが、あまりの「悪評」に、「コメント欄」や「Goodボタン」などを 、閉鎖している。竹中平蔵の相棒・アトキンソンの正体も、すでに明らかだ。英国人で、元ゴールドマン・サックスの国際金融マン。日本に送り込まれた金融スパイ。小泉政権下で、竹中平蔵とともに 、冷酷無惨、傍若無人の不良債権処理に参加。日本の資産を、二束三文で、ハゲタカファンドにたたき売り。以後、隠遁・変身するかのように、世捨て人のように、「お茶」を始めたり、京都の小西工芸社社長として、日本の伝統工芸の修復作業に従事したり 。すっかり枯れた文化人気取り。言うまでもなく、死んだフリのスパイの偽装工作。それが、偽装工作だったことは、スガ政権下に、首相ブレーンとして華々しく復活したことで明らかだろう。アトキンソンの今回の政治目的は、日本の「中小企業潰し」。スガは、アトキンソンの言うがままに 、中小企業潰しへ邁進。竹中平蔵とスガ、アトキンソン、高橋洋一・・・。「悪夢の小泉政権の構造改革一派」(笑)が 、スガ政権で復活。日本のたたき売りが、またまた始まった。しかし、二匹目のドジョウがいるのか、いないのか。

今、日本の各所で沸き起こっている激しい「スガ批判」、「竹中平蔵批判」、「アトキンソン批判」は、何を意味するのか。日本の一般庶民、一般国民・・・が、「スガ政権」を、拒絶しているということだ。

今回の「スガ政権批判」「スガ政権バッシング」の特徴は、小泉政権や安倍政権を熱烈に支持・応援してきた「ネットウヨ」までが、参加していることだ。

スガは、安倍政権末期に、突然、訪米している。官房長官としてのスガは、何故 

何のために訪米したのか。その時の写真が以下である。左側にスガ、右側に国際金融・・・。

安倍が、持病の悪化(仮病?)を理由に、突然、辞任。安倍に印籠を渡したのは、誰か。

その後、スガは、首相就任と同時に、安倍の片腕だった内閣官房副長官の今井尚也を切り捨て、その代わりに竹中平蔵、アトキンソン、高橋洋一・・・等と会食。次々と、小泉政権下の「構造改革一派」が、スガ政権のブレーンとして復活する。一方で、スガは、「安倍潰し」を始動。「桜を見る会」問題で捜査開始(笑)。安倍は、事情聴取を受け、逮捕寸前かと騒がれる。安倍は、一応、「嫌疑不十分」で命拾いするが、安倍復活の可能性は、完全に潰される。安倍は、スガに対して「激怒」していると言われるが・・・。今頃、遅い。

私は、「安倍潰し」の裏で、糸をひいているのは竹中平蔵だとうと思っている。スガ首相は、竹中平蔵の傀儡であり、ロボットである。竹中平蔵の書いた下手くそな作文を、ドモリドモリ読んで、時々、顔を上げて 、腐ったイワシのような濁った目で、日本国民という一般庶民を、怯えながら、見上げているのがスガだろう。日本国民は、スガとともに集団自決するのか、それとも、スガを、政治の表舞台から、排除・追放するのか。






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