Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.
2022年11月7日月曜日
■ネットウヨの溜まり場ー《虎ノ門ニュース》が番組打ち切りを発表・・・(笑)だとさ。残念だな〜。もっと頑張って、もっともっと、恥を晒して欲しかったのに。「 YouTube動画 」業界も、破産寸前のテレビ局の残党が流れ込み、「 YouTube動画 」が通俗化、定番化し、見たくもないクズ番組ばかりになり、寂しくなるねえ。ああ、《虎ノ門ニュース 》の打ち切りの理由ですか。アレでしょうね、アレ。ほら、ツボですよ。金の切れ目が縁の切れ目ってやつでしょうね。●●●●●●●●《 「夕刊フジ」より》インターネット人気番組「真相深入り! 虎ノ門ニュース」が18日の放送で終了することが発表された。司会の居島一平が7日朝の放送で明らかにした。理由などの言及はなかった。極めて残念というしかない。#虎ノ門ニュース#18日放送で終了#7日朝の放送で明らかに●●●●●●●●
2022年9月17日土曜日
■『 沖縄集団自決論争 」始末記(2)…大江健三郎『 沖縄ノート』を読みながら…。 沖縄集団自決問題が 、論争から裁判にまで発展拡大した事件は、元を辿れば、その発端は大江健三郎の「沖縄ノート」という岩波新書にあった。大江健三郎は、この新書で、沖縄集団自決事件を取り上げているからだ。しかし、これだけで、論争から裁判にまで発展拡大するはずはなかっただろう。実は、沖縄集団自決が、論争から裁判にまで発展拡大した直接的な原因は、大江健三郎の「沖縄ノート」にはない。論争から裁判にまで拡大することになる直接的な原因は、曽野綾子が、大江健三郎の「沖縄ノート」を批判する「ある神話の背景」を、文藝春秋社の「諸君」に連載し、同じ文藝春秋社から出版したことに、ある。大江健三郎の『 沖縄ノート』は、岩波書店発行の総合雑誌『 世界』連載されたのではなかったろうか。つまり、大江健三郎と曽野綾子の「差異」と「対立」は、岩波書店と文藝春秋の「差異」と「対立」でもあった と言ってもいいだろう。それが、左翼論壇と右翼論壇を巻き込み、論争から裁判にまで発展拡大した理由でもあっただろうと思われる。当時、隆盛をきわめていた左翼論壇と左翼ジャーナリズムを打倒するべく創刊されたのが文藝春秋の『 諸君!』であり 、その目的にそった企画の一つが、曽野綾子の連載『 ある神話の背景』であった。
■『 沖縄集団自決論争 」始末記(2)…大江健三郎『 沖縄ノート』を読みながら…。
沖縄集団自決問題が
、論争から裁判にまで発展拡大した事件は、元を辿れば、その発端は大江健三郎の「沖縄ノート」という岩波新書にあった。大江健三郎は、この新書で、沖縄集団自決事件を取り上げているからだ。しかし、これだけで、論争から裁判にまで発展拡大するはずはなかっただろう。実は、沖縄集団自決が、論争から裁判にまで発展拡大した直接的な原因は、大江健三郎の「沖縄ノート」にはない。論争から裁判にまで拡大することになる直接的な原因は、曽野綾子が、大江健三郎の「沖縄ノート」を批判する「ある神話の背景」を、文藝春秋社の「諸君」に連載し、同じ文藝春秋社から出版したことに、ある。大江健三郎の『 沖縄ノート』は、岩波書店発行の総合雑誌『 世界』連載されたのではなかったろうか。つまり、大江健三郎と曽野綾子の「差異」と「対立」は、岩波書店と文藝春秋の「差異」と「対立」でもあった
と言ってもいいだろう。それが、左翼論壇と右翼論壇を巻き込み、論争から裁判にまで発展拡大した理由でもあっただろうと思われる。当時、隆盛をきわめていた左翼論壇と左翼ジャーナリズムを打倒するべく創刊されたのが文藝春秋の『 諸君!』であり 、その目的にそった企画の一つが、曽野綾子の連載『 ある神話の背景』であった。
2022年8月28日日曜日
■『保守論壇亡国論』の頃。何年前の記事(写真)だろうか。「 9年前 」と書いてあるが、もっとはるか昔のことのようにみえるが、『 保守論壇亡国論』刊行の頃だから、おそらくそういうことだろう。私が、『保守論壇亡国論』で問題にしたのは、当時の思想的に堕落した「保守論壇」や「保守思想家」、あるいは「保守系言論人」であった。私は、当時から、「保守思想」や「保守思想家」や「保守系文学者」を尊敬し、畏怖していた。たとえば、小林秀雄、福田恆存、田中美知太郎、三島由紀夫 、江藤淳などであった。しかし、私が『保守論壇亡国論』を書いた頃は、保守論壇や保守思想は、堕落し、劣化し、大きく変化していた。堕落、劣化の原因は何処にあるのか。私は私なりに、深く考えて、『保守論壇亡国論』を書いたのである。「統一教会 」などには触れていない。問題を、社会問題や新興宗教問題などにしたくなかったのである。私は、あくまでも「思想問題」として、現代日本の思想状況を分析してみたかったのである。私は、桜井よしこや西部邁、渡部昇一、中西輝政・・・らを、「エセ保守」「エセ右翼」として厳しく批判している。安倍銃殺事件が起きて、問題が一挙に吹き出している。私が、ほぼ10年前(9年前)に考えていた問題が••••••。
■『保守論壇亡国論』の頃。
何年前の記事(写真)だろうか。「 9年前 」と書いてあるが、もっとはるか昔のことのようにみえるが、『 保守論壇亡国論』刊行の頃だから、おそらくそういうことだろう。私が、『保守論壇亡国論』で問題にしたのは、当時の思想的に堕落した「保守論壇」や「保守思想家」、あるいは「保守系言論人」であった。私は、当時から、「保守思想」や「保守思想家」や「保守系文学者」を尊敬し、畏怖していた。たとえば、小林秀雄、福田恆存、田中美知太郎、三島由紀夫 、江藤淳などであった。しかし、私が『保守論壇亡国論』を書いた頃は、保守論壇や保守思想は、堕落し、劣化し、大きく変化していた。堕落、劣化の原因は何処にあるのか。私は私なりに、深く考えて、『保守論壇亡国論』を書いたのである。「統一教会 」などには触れていない。問題を、社会問題や新興宗教問題などにしたくなかったのである。私は、あくまでも「思想問題」として、現代日本の思想状況を分析してみたかったのである。私は、桜井よしこや西部邁、渡部昇一、中西輝政・・・らを、「エセ保守」「エセ右翼」として厳しく批判している。安倍銃殺事件が起きて、問題が一挙に吹き出している。私が、ほぼ10年前(9年前)に考えていた問題が••••••。
2022年7月6日水曜日
■「参政党」とは何か。「参政党」が人気沸騰らしいが、所詮は、「 ネットウヨ政党 」で「 第二自民党 」、「自民党の補完勢力」にすぎないだろう。 をアップしました。是非、ご覧下さい。 ★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★ https://youtu.be/2YXVq5VLYkE ■文芸評論家=山崎行太郎の反論壇時評チャンネル。 ⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ https://youtu.be/2YXVq5VLYkE
■「参政党」とは何か。「参政党」が人気沸騰らしいが、所詮は、「 ネットウヨ政党 」で「 第二自民党 」、「自民党の補完勢力」にすぎないだろう。
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★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★
https://youtu.be/2YXVq5VLYkE
■文芸評論家=山崎行太郎の反論壇時評チャンネル。
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2022年6月30日木曜日
2022年6月26日日曜日
山崎行太郎公式(サブ)チャンネルです。 ⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ■■■■■■■■■■ 私(山崎行太郎)は「選挙」に行きません。選挙は、昼寝でもしながら、外野の野次馬として、テレビか「YouTube動画 で見ながら、楽しみます。 https://youtu.be/QhIza02KUVs 山崎行太郎公式サブチャンネル ⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩ https://youtu.be/QhIza02KUVs
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私(山崎行太郎)は「選挙」に行きません。選挙は、昼寝でもしながら、外野の野次馬として、テレビか「YouTube動画 で見ながら、楽しみます。
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2022年6月21日火曜日
■片山杜秀の「 中今(なかいま)」の時間論の解釈について(3)。 片山杜秀は三井甲之について次のように批判している。 《 たとえば右翼歌人、三井甲之は、この「盛りの真中 の世」 を拡大解釈を試みている。『 しきしまのみち原論』(1934年)で三井は、「 中今 」を 「過去なく未来なく ただ現在の生成のみであるといふことの予感的言い現し」とし、宣長の解釈にも、その「 予感的閃きがみとめらる 」という。ここに、「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》(『近代日本の右翼思想』) 片山杜秀の時間論は、最後の《「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》という文章に象徴的に要約されている。要するに、「現在に生きる」こと、「現在を直視する」ことが、否定的にとらえられている。逆に、「過去」や「未来」を考えることが、肯定的にとらえられている。片山杜秀が、どういう時間感覚を持っていようと、どういう哲学的時間論を持っていようとかまわない。テレビのお笑い番組や居酒屋漫談や井戸端会議に夢中になっている「おじさん、おばさん」程度の思想の持ち主だろうとかまわない。問題は、片山杜秀が、自分の議論が、幼稚で、素朴すぎるということを自覚していないことである。驚くべきことに、片山杜秀は、三井甲之だけを批判、嘲笑、愚弄しているわけではなく、西田幾多郎や田辺元、高山岩男・・・のような超一流とまでは言わないが、少なくとも、一流に属すると思われる思想家や哲学者までを、上に引用したような幼稚な時間論を武器に、批判し愚弄しようとしている。
■片山杜秀の「 中今(なかいま)」の時間論の解釈について(3)。
片山杜秀は三井甲之について次のように批判している。
《 たとえば右翼歌人、三井甲之は、この「盛りの真中 の世」 を拡大解釈を試みている。『 しきしまのみち原論』(1934年)で三井は、「 中今 」を「過去なく未来なく ただ現在の生成のみであるといふことの予感的言い現し」とし、宣長の解釈にも、その「 予感的閃きがみとめらる 」という。ここに、「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》(『近代日本の右翼思想』)
片山杜秀の時間論は、最後の《「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》という文章に象徴的に要約されている。要するに、「現在に生きる」こと、「現在を直視する」ことが、否定的にとらえられている。逆に、「過去」や「未来」を考えることが、肯定的にとらえられている。片山杜秀が、どういう時間感覚を持っていようと、どういう哲学的時間論を持っていようとかまわない。テレビのお笑い番組や居酒屋漫談や井戸端会議に夢中になっている「おじさん、おばさん」程度の思想の持ち主だろうとかまわない。問題は、片山杜秀が、自分の議論が、幼稚で、素朴すぎるということを自覚していないことである。驚くべきことに、片山杜秀は、三井甲之だけを批判、嘲笑、愚弄しているわけではなく、西田幾多郎や田辺元、高山岩男・・・のような超一流とまでは言わないが、少なくとも、一流に属すると思われる思想家や哲学者までを、上に引用したような幼稚な時間論を武器に、批判し愚弄しようとしている。
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