2021年4月30日金曜日

 ■台湾ロビー=金美齢の正体(3)


私は、十数年前から、保守や保守思想家、保守論壇・・・を批判してきた。たとえば、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論 』『 エセ保守が日本を滅ぼす』など・・・。私は、左翼側から、保守や保守思想家、保守論壇・・・を批判してきたわけではない。私は、昔から、つまり学生時代から、「左翼嫌い」であった。と言っても、保守や右翼が好きだったわけでもない。私は、小林秀雄や三島由紀夫、江藤淳・・・などを愛読しながら 、学生時代を過したから、どちらかというと、保守・右翼系の文学者や思想家、評論家の方に親しみを感じていたに過ぎない。当時は、つまり、「全共闘時代」とか「団塊の世代」とか言われた時代だが、左翼全盛時代であり、保守とか右翼と呼ばれるような言論人や思想家、学生・・・などは、ほとんどいなかった。いたとしても、ごくごく少数であり、その代わり、その「絶対的少数派」としての保守や右翼と呼ばれる文学者や思想家・・・は、小林秀雄に象徴されるように、超一流の人ばかりだった。今、保守とか保守思想家とか、自称する人達が、保守論壇や保守系ジャーナリズムには溢れているが、その中に、まともな思想家や学者 、言論人は、一人もいない。出版社や新聞社を定年退職した定年老人(年金老人)か、学者くずれの三流文化人か、あるいは利権に飛びつくビジネス右翼・ビジネス保守か、要するに、ろくな人はいない。クズかゴミの掃き溜め。

さて、話を本題に戻そう。金美齢女史のことだ。私は、金美齢の本や文章を、申し訳ないが、一度も読んだことがない。テレビ映像や「Youtube動画」などで、その傲慢、慇懃無礼、傲岸不遜・・・な「お姿」を、チラチラと拝見したことがあるだけである。私から見れば、安倍晋三と「お友達」だとか、誰々の「お友達」だとか、見えない裏の人脈を誇示するだけの、成り上がり根性丸出しの「金ピカ・オバサン」でしかない。ところが、その金美齢が、最近の日本の保守論壇や保守ジャーナリズムでは、天界から天下ってきた「女王様」みたいに 、「一流文化人」として君臨しているらしい。要するに、台湾から来た「植民地文化人」(金美齢)の垂れ流す「台湾マネー」に目が眩んで、「蝶よ花よ」(笑)と持て囃しているのが、最近の日本の保守論壇や保守ジャーナリズムの「オヤジ達」なのであろう。「お笑い三度笠」である。日本の保守論壇も保守ジャーナリズムも、ここまで堕ちたか。台湾マネーの奴隷たちよ(笑)、坂口安吾の『 堕落論』でも読みたまえ。

  ところで、小林秀雄や三島由紀夫や江藤淳等が、台湾ロビーや台湾マネーに目が眩んで、ここまで卑屈に、媚びへつらっただろうか。そもそも、台湾は日本の植民地だったのであって、日本が台湾の植民地だったのではない。金美齢は、植民地=台湾から、宗主国=日本にやってきて、日本に媚びへつらうことによって、生きのびようとしている 、哀れな「植民地の女」でしかない。しかも、最近、「台湾独立運動」を放棄=逃亡したのかどうか知らないが、日本に帰化=日本国民になったという。金美齢よ、米中の覇権争いが始まった今こそ、台湾独立に、命を賭けて戦う時だろう。そうじゃないのか。習近平が怖くなったのか。日本国民に、偉そうに「お説教」を垂れ流している暇があったら、「習近平(シーチンピン)抹殺計画」でも準備したらどうなのか。日本では 、敵前逃亡は、もっとも恥ずべき行動だよ。すべては「負け犬の遠吠え」だったのか。

   さて、何故、植民地=台湾からやってきて「負け犬の遠吠え」を吠え捲る「植民地の女」を、かくまで、のさばらせる必要があるのか。台湾マネーに目が眩んだのか。保守論壇よ。保守ジャーナリズムよ。エセ保守文化人よ。

2021年4月29日木曜日

 



台湾ロビー=金美齢の正体(2)


金美齢は新宿御苑の近くのビルにおおきな事務所を構えているそうだ。なんのための事務所なのか。安倍前首相や日本会議系の政治家たち、保守系のマスコミ関係者など、多数の日本人が出入りしているらしい。これは、金美齢事務所が、台湾ロビー活動の拠点になっているということだろうか。金美齢は、日本語学校の理事長や早稲田大学講師などもやっっていたそうだから、それ相当の財力の持ち主かもしれないが、やはり、金美齢の正体は、大物の台湾ロビーだということではないのか。政治工作資金としての多額の台湾マネーが 、日本の政界やマスコミに流れているのではないかとも言われているが、その多額の政治工作資金は、金美齢事務所を中心的な舞台として、動いているのではないか。金美齢は、一般的な日本人には、評論家、ジャーナリスト・・・ということになっているが、それは、仮の姿ではないのか。日本の政界やジャーナリズムには、「台湾タブー」が存在すると言われているが、おそらく台湾マネーが、深く関与しているのだろう。言い換えれば、台湾マネーが日本の政治やマスコミを動かしていると言っていいのかもしれない。ところで、「中国のスパイ」や「中国の工作員」「中国のハニトラ」については頻繁に語られるが、台湾に関しては、「スパイ」も「工作員」・・・についても、ほとんど語られない。「台湾マネー」が、効力を発揮しているのだろうか。

2021年4月28日水曜日

 金美齢の正体。


「金美齢」という台湾出身を売り物にする怪しい女性がいる。最近、帰化し、日本国民になったらしいが・・・。保守論壇の界隈では、それなりの知名度があるようで、一応、「保守文化人」気取りで、保守論壇界隈で、「大活躍」(笑)してきた女性だ。馬鹿な文化人気取りのエセ文化人によくある「日本人よ、しっかりしろ」などと上から目線で、まくしたてる「お説教文化人」の一人だ。元々は、岸信介の「通訳」だったとか。その縁で、安倍晋三とも親しいらしい。というわけで、保守論壇の信用を勝ち得たらしい。いずれにしろ、中身は空っぽ。その中身は、実にくだらない、三文文士的な、通俗的で、下品な人生論なのだが、最近の保守論壇とその周辺に屯する読者たちは、その程度の人生論が大好きのようで、金美齢女史は、いつのまにか、保守論壇界隈では、すっかり「一流文化人」「一流言論人」に成り上がっているということらしい。保守論壇やネット右翼の思想的レベルの低さを象徴している。桜井よしこ、曽野綾子、金美齢・・・(笑)。日本のエセ保守論壇のオヤジたちのアイドル。

2021年4月26日月曜日

 ■メルマガ『山崎行太郎の毒蛇通信 ~深田萌絵論〜』を配信しました。

■今回は、「深田萌絵」を特集しました。最近のことですが、深田萌絵女史の「Youtube動画」に、強烈な印象と影響を受けました。深田女史の「批判力」に感動しました。

■『 山崎行太郎メルマガ』では、メルマガでしか読めない「政治評論」、「社会評論」、「状況論」などを中心に書いています。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

山崎行太郎のメルマガ『毒蛇 通信』の登録は以下からお願いします。

⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎

https://www.mag2.com/m/0001151310.html

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

2021年4月24日土曜日

 ■江藤淳と西尾幹二の「差異」について(2)

西尾幹二が、三島由紀夫に関する話題で、江藤淳を辛辣に批判した文章を読んだことがある。今、手元にないので、細かいことは覚えていないが、江藤淳と小林秀雄が、三島由紀夫の自決をめぐって衝突した「対談」をめぐるものだった。江藤淳が、三島由紀夫の死を、「あれは老年が来たということでしょう」とか「あれは病気でしょう」と批判的に言及したのに対して、小林秀雄が激怒し、「あんたは、日本の歴史を病気だというのか」と反論し、一瞬とはいえ、激しく火花を散らした「対談」だった。両者が立ち上がり、日本刀を抜いて、真剣勝負に出たような、きわどい「対談」だった。私は、江藤淳の対談も 、小林秀雄の対談も、ほとんど読んでいるつもりだが、こんな激しい対談は、読んだことがない。私は、この「対談」に関しては、私なりの解釈と判断をしている。一流の批評家同士が、真正面から、本気でぶつかった「対談」だったというのが私の解釈と評価だ。私は、どちらが正しいか、どちらが間違っているか 、という位相の問題とは思わなかった。ところが、三島由紀夫の衝撃的な「死」に圧倒された多くの三島由紀夫ファンや三島由紀夫信者 、三島由紀夫エピゴーネンたちは、この対談に飛びつき、小林秀雄が「正しい」、江藤淳は「間違っている」という単純素朴な二元論に依拠して、「江藤淳批判(罵倒)」を繰り返すようになった。もちろ批判も罵倒も自由である。どんどんやるべきだ。西尾幹二の「江藤淳批判」も、その一つだった。しかも、多くは江藤淳没後になされた「江藤淳批判」であった。批判、罵倒するなら、江藤淳がまだ生きているうちにしろよ、と思ったものだが、二流、三流の評論家や物書きたちは、いつも、死後にしかやらない。したがって、江藤淳を批判、罵倒し、小林秀雄や三島由紀夫を、どんなに強く擁護しようとも、擁護したことにはならない。言うまでもなく、 小林秀雄や三島由紀夫をいくら擁護したところで、小林秀雄や三島由紀夫の真意を正確に理解したことにはならない。小林秀雄や三島由紀夫は、そういうゴマスリやお世辞を、厳しく拒絶するだろう。むしろ、江藤淳こそ、三島由紀夫の「死」に激しく衝撃を受け、その存在を賭けて、ホンネをさらけ出していたのだ。三島由紀夫の死という現実に向き合っていたのだ。それが分からない連中は、言葉の上面のレベルで、どちらが正しいか 、どちらが間違っているか、というような浅薄な議論を繰り返しているに過ぎない。そこに、江藤淳と西尾幹二との「差異」は、出ている。

2021年4月23日金曜日

 『月刊日本』五月号、『江藤淳とその時代 』(3)「江藤淳と吉本隆明」が、発売になりました。よろしくお願いします。「江藤淳と吉本隆明」という問題は、江藤淳を論じる上で、もっとも重要な問題のひとつです。『 江藤淳//吉本隆明全対話』や吉本隆明による懇切丁寧な「江藤淳追悼文」があることからも分かるように、吉本隆明にとっても、「江藤淳」という存在は重要な問題です。吉本フアンは、認めたくないでしょうが・・・。c


〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


https://www.fujisan.co.jp/product/1224061/new/

 ■江藤淳と西尾幹二の「差異」について。


江藤淳と西尾幹二とでは、私の中では、何かが決定的に違う。江藤淳と渡部昇一、江藤淳と西部邁・・・でも同じである。決定的に何かが違う。それは、「存在論」、ないしは「存在論的思考力」があるかないかである。西尾幹二や渡部昇一、西部邁等の文章には、この「存在論」、ないしは「存在論的思考力」がない。政治イデオロギー的次元でしか読めない。江藤淳の文章は違う。誤解を恐れずに言えば、江藤淳の文章は、左翼にも通用する。それは、江藤淳の文章に「存在論」、ないしは「存在論的思考力」があるからだ。

私は、今年から 、江藤淳論『江藤淳とその時代 』の連載を、『月刊日本』という月刊雑誌で開始したが  、それは、私にとっては、かなり重要な仕事である。「江藤淳」が好きだとか嫌いだとかいうレベルとは異なる次元の思考力の問題に関わっているからだ。つまり 、私は、江藤淳を、吉本隆明や柄谷行人、廣松渉・・・と同じ次元で読むことが出来る。これは、言い換えると、右派と左派、右翼と左翼、保守と革新・・・というような政治イデオロギーの次元とは異なる次元で読むことが出来るという意味である。具体的に言えば、小林秀雄や三島由紀夫や大江健三郎を、政治イデオロギーの次元で読む人もいるだろうが、そういう人は、問題外で、多くの読者は、政治イデオロギー的二元論とは無縁な次元で、あくまでも文学として、読んでいるはずである。私は、右翼と左翼、保守と革新・・・という「二元論」が、通用しないと言っているわけではない。むしろ私は、「右翼と左翼、保守と革新・・・」という「二元論」は永久に不滅だと思っている。ただその種の二元論では、底の浅い、薄っぺらな議論しか出来ない、と言いたいだけだ。

  ところが、「ネット右翼」(「ネット左翼」?)の時代、「ネットウヨ」の時代と言ってもいい、この時代にあっては、文学を文学として読む読者は、あるいは政治イデオロギー的二元論とは異なる次元で読む読者は、極端に少なくなっているような気がする。「ネット右翼」も「ネット左翼」も、それぞれ自分たちだけの自閉的な「小宇宙」=「タコツボ」を作って、そこに閉じこもり、外部を見ようとしない。そこでは、論争も闘争も対立も起きない。右翼にも左翼にも、それぞれ、自己慰安的な閉鎖空間が出来上がっている 。これが、現代日本の文化的貧困、思想的貧困、さらに言うと政治=経済的貧困をもたらしている。