2022年2月24日木曜日

■ウクライナの大統領は元「コメディアン」である。コメディアンを大統領に選んでいるウクライナ国民。不謹慎かもしれないが、自業自得というものだろう。 ロシアのウクライナ攻撃が始まったようだ。日本のマスコミ、学者、文化人は、すべて当てにならない。ほとんど全ての情報源が、米国政府、CIA・・・だ。いうまでもなく、それらは客観的な情報ではない。加工された二次情報、三次情報である。「国際社会」という奇怪な陣営では、「ロシア非難」「プーチン批判」一色だが、私のような全くの門外漢で、テレビも新聞も見みない後期高齢の暇人の眼を通して見ると、様相は全く逆だ。現象学の哲学者=フッサールの言葉に、「事象そのものへ」というものがある。「事象」とは「現実」の言い換えに他ならない。言うならば 、「真の現実」のことだ。そして、真の現実としての「事象」に至る有効な方法として、「思考停止」を主張した。ウクライナ問題を具体的な例として、言い換えると、ウクライナ問題を正しく理解するためには、「情報を遮断せよ」ということだろう。つまり欧米マスコミやそれに洗脳された日本国内のマスコミや学者らが情報を垂れ流す情報を「遮断せよ」ということだろう。さて、戦争を 、一番、待ち望でいたのは米国CIAとバイデンであった。ウクライナ国内では、すでに早い段階で、米国CIAとその要員が、多数、潜入し 、軍事行動を含めて 、活発に動いていた。小学校爆破や地雷攻撃による住民虐殺など・・・・・。ウクライナは内戦状態にあった。ロシア系住民(東部2州)への攻撃を繰り返し、ロシアのプーチン大統領を、米国CIAが仕掛ける「侵略戦争」という罠に引き摺りこもうと暗躍してきた。それが、小生の見る現実だが、西側マスコミも、ロシアを専門とする「学者たち」も ,「軍事ジャーナリスト」も、それらの情報を、エセ情報として無視してきた。いよいよ、米国CIAやバイデンの望み通り、プーチンが動いたわけだが、次にバイデンは、どう出るのか。バイデンは 、何も出来ないだろう。このウクライナ問題で、最初に、重大な警告(コメント)を出していたのは、佐藤優と鈴木宗男だった。佐藤優も鈴木宗男も、欧米川からではなく、ロシアサイドから 、ウクライナ問題を分析していた。佐藤優は、TBSの番組(プライムニュース?)で、「ウクライナの大統領は、元何者だったかを知っているか・・・」と、専門家や戦場ジャーナリストを相手に質問していた。ウクライナの「元コメディアン氏」は、NATOやCIA、バイデンらをバックに、身分不相応の猿芝居「火遊び」をしていたのだ。ところで、私は、多くの日本人のように、ロシアという国にも、ロシア人という人種にも、ほとんど抵抗感もアレルギーもない。私は、中学や高校の頃から、ロシアの文学や思想、音楽が好きだった。特にロシア文学。ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフは、私の思考の源泉で、言うなれば「育ての親」である。とりわけ、私は、ドストエフスキーから全てのものを学んだという点において、かなり自信を持っている。私が、毎日毎日、書き続けるのは、ロシア文学を土台にしているからだ。

 ■ウクライナの大統領は元「コメディアン」である。コメディアンを大統領に選んでいるウクライナ国民。不謹慎かもしれないが、自業自得というものだろう。


ロシアのウクライナ攻撃が始まったようだ。日本のマスコミ、学者、文化人は、すべて当てにならない。ほとんど全ての情報源が、米国政府、CIA・・・だ。いうまでもなく、それらは客観的な情報ではない。加工された二次情報、三次情報である。「国際社会」という奇怪な陣営では、「ロシア非難」「プーチン批判」一色だが、私のような全くの門外漢で、テレビも新聞も見みない後期高齢の暇人の眼を通して見ると、様相は全く逆だ。現象学の哲学者=フッサールの言葉に、「事象そのものへ」というものがある。「事象」とは「現実」の言い換えに他ならない。言うならば 、「真の現実」のことだ。そして、真の現実としての「事象」に至る有効な方法として、「思考停止」を主張した。ウクライナ問題を具体的な例として、言い換えると、ウクライナ問題を正しく理解するためには、「情報を遮断せよ」ということだろう。つまり欧米マスコミやそれに洗脳された日本国内のマスコミや学者らが情報を垂れ流す情報を「遮断せよ」ということだろう。さて、戦争を 、一番、待ち望でいたのは米国CIAとバイデンであった。ウクライナ国内では、すでに早い段階で、米国CIAとその要員が、多数、潜入し 、軍事行動を含めて 、活発に動いていた。小学校爆破や地雷攻撃による住民虐殺など・・・・・。ウクライナは内戦状態にあった。ロシア系住民(東部2州)への攻撃を繰り返し、ロシアのプーチン大統領を、米国CIAが仕掛ける「侵略戦争」という罠に引き摺りこもうと暗躍してきた。それが、小生の見る現実だが、西側マスコミも、ロシアを専門とする「学者たち」も ,「軍事ジャーナリスト」も、それらの情報を、エセ情報として無視してきた。いよいよ、米国CIAやバイデンの望み通り、プーチンが動いたわけだが、次にバイデンは、どう出るのか。バイデンは 、何も出来ないだろう。このウクライナ問題で、最初に、重大な警告(コメント)を出していたのは、佐藤優と鈴木宗男だった。佐藤優も鈴木宗男も、欧米川からではなく、ロシアサイドから 、ウクライナ問題を分析していた。佐藤優は、TBSの番組(プライムニュース?)で、「ウクライナの大統領は、元何者だったかを知っているか・・・」と、専門家や戦場ジャーナリストを相手に質問していた。ウクライナの「元コメディアン氏」は、NATOやCIA、バイデンらをバックに、身分不相応の猿芝居「火遊び」をしていたのだ。ところで、私は、多くの日本人のように、ロシアという国にも、ロシア人という人種にも、ほとんど抵抗感もアレルギーもない。私は、中学や高校の頃から、ロシアの文学や思想、音楽が好きだった。特にロシア文学。ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフは、私の思考の源泉で、言うなれば「育ての親」である。とりわけ、私は、ドストエフスキーから全てのものを学んだという点において、かなり自信を持っている。私が、毎日毎日、書き続けるのは、ロシア文学を土台にしているからだ。

2022年1月29日土曜日

小生は1月26日で、75歳になりました。2022/1/26。75歳。後期高齢者の仲間入りということです。ほとんど実感はありません。

小生は1月26日で、75歳になりました。2022/1/26。75歳。後期高齢者の仲間入りということです。ほとんど実感はありません。しかし、そうは言っても、節目は節目です。ささやかながら、近所のイタリアンレストランで、安いイタリア・ワインで祝杯をあげました。「サー頑張るぞ」というわけです。私は、高校の卒業式も大学の卒業式も、そして成人式も、あるいは還暦も古希も無縁だった。いずれも出席したたことも祝ったこともありません。今、75歳に際して、私は、我が人生の「節目」を、素直に祝う気になりました。「よく、ここまで生き延びて来たものだ」と。昔 、高校時代ですが、「北上夜曲」という歌が好きでした。そこに、こんな歌詞がありました、「僕は生きるぞ、生きるんだ〜」。実は 、私は、大学一年の時 、初めてKISSを体験しました。相手の女子学生に、「あなたは長くは生きられないわね」と言われました。病弱だったわけではありません。今にも死にそうな絶望的な顔をしていたからです。私も、「多分、そうだろうな」と思ったものです。私は、その頃、「絶望」という言葉が好きでした。吉本隆明が、「もっと深く絶望せよ」と言っていた頃です。キルケゴールの『死に至る病』やリルケの『マルテの手記』が愛読書でした。アルベール・カミュの『シジフォスの神話』には、「哲学の重要問題はただひとつしかなぃ。それは自殺だ」とありました。ところで、私に、生きる希望を与えてくれた、その女子学生は、再会を楽しみにしていたのですが、はるか昔に亡くなったようです。人生は不思議なものです。


今は亡き両親に感謝しつつ。

絶望から希望へ、75歳の再出発を、イタリア・ワインで祝う。

2022年1月5日水曜日

 ■本年度(2022)のYouTube動画の第一弾です。《安倍は終わった。さっさと隠退しろ!!!》


今年は、YouTube動画をもっと重視していきたいと思います。YouTube動画の役割は、政治評論だけではなく、文学評論や思想・哲学評論の分野でも、無視できないもの

になりつつあります。特に文芸評論は、文芸雑誌から姿を消してしまい、今や文芸雑誌は、芸能週刊誌レベルの御用雑誌=娯楽雑誌に転落=堕落して、文芸雑誌としての存在価値を失っています。YouTube動画で、文芸評論や思想・哲学評論もやっていこうと思います。今年は、『文芸思潮』という文芸雑誌から、『同人雑誌評』の連載を依頼されたので、やってみようと思っています。私は、今、文芸は、商業文芸雑誌ではなく、身銭をきって雑誌を刊行し、書きたいものを書き、発表する・・・という同人誌、同人雑誌にしかないと思っています。YouTube動画も、一種の同人雑誌的なものだと思います。

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山崎行太郎チャンネル

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https://youtu.be/v3QLos-078k

https://youtu.be/v3QLos-078k


■本年度(2022,令和四年)のYouTube動画の第二弾です。『「新自由主義」の哲学的源流(1)~ミルトン・フリードマンとロバート・ルーカス』。

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山崎行太郎チャンネル

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https://youtu.be/ThdEEcQToEY

https://youtu.be/ThdEEcQToEY


■YouTube動画の第三弾です。《「ヨシムラ」と「テレビ朝日」と「大阪維新の会」はグルだ。》


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山崎行太郎チャンネル

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https://youtu.be/y6iXcuN6xYU

https://youtu.be/y6iXcuN6xYU

https://youtu.be/y6iXcuN6xYU



2022年1月2日日曜日

 あけましておめでとうございます。

(山崎行太郎)


2021年12月31日金曜日

 「新自由主義」の哲学的原点ーケインズ経済学と反ケインズ経済学の「大論争」について。フリードマンとルーカス。(3)


「新自由主義」という経済思想の登場は、ケインズとケインズ経済学への批判、超克に、重要なポイントがある。その道具として採用されたのが現代数学である。数学への過剰な信頼と思い込みが、現代数学理論を駆使すれば、なんでも理解出来るかのような「数学幻想論」が「新自由主義」の大きな学問的特質である。その代表がロバート・ルーカスである。

 ■「新自由主義」の哲学的原点ーケインズ経済学と反ケインズ経済学の「大論争」について。フリードマンとルーカス。(2)


不況や恐慌を前にすると、自由放任主義的な経済学は無力になる。「国家の介入」による景気回復の経済政策と経済学が要求される。逆に好景気や成長が続くと、「国家の介入」による規制や政策が批判され、自由主義的な経済学が盛り返す。これに国際政治的な要因(たとえばマルクス主義や共産主義の台頭)が加わると、この傾向は、さらに複雑になる。つまり、共産主義革命の脅威がある限り、資本主義=自由主義=民主主義陣営では、共産主義陣営と対抗するために、貧困対策や福祉政策や失業対策・・・などが必要だったが、ソ連崩壊や冷戦終結とともに、過剰な自由主義が主張されることになる。それが、いわゆる「新自由主義」である。それを数学を駆使して、理論的に定式化し、社会思想運動として主導したのがミルトン・フリードマンやロバート・ルーカスら、いわゆる「シカゴ学派」の面々である。彼等の当面の敵はケインズとケインズ経済学であった。ケインズ経済学は、マルクス主義経済学とは内容は異なるが、社会民主主義的な貧困対策、福祉対策があった。いわゆる「国家の介入」による景気回復政策である。シカゴ学派は、国家の介入による規制や政策を、あるいは過保護的な貧困対策や福祉政策を激しく攻撃し、「市場の自由」を主張した。現在、日本に蔓延っているのも、小泉純一郎や竹中平蔵や橋下徹等に象徴される「構造改革一派」も、この「新自由主義」の流れに追随するものである。「福祉政策批判(カット)」「弱者切り捨て」・・・は、竹中平蔵や橋下徹の考えた自前の思想ではない。シカゴ学派(「新自由主義」)の受け売り、モノマネにすぎない。竹中平蔵が、「私は《新自由主義者》ではない」「私は《弱者切り捨て論者》ではない」とシラが切れるのは、自分の頭で考えた思想ではないからだ。エピゴーネン(竹中平蔵、橋下徹、吉村洋文、ネットウヨ・・・)ほど危険なものはない。

 ■「新自由主義」の哲学的原点ーケインズ経済学と反ケインズ経済学の「大論争」について。フリードマンとルーカス。


竹中平蔵や竹中一派4人組(竹中平蔵、高橋洋一、岸博幸、原知史)、あるいは、今、話題の橋下徹や吉村洋文ら「維新」グループの経済政策の原点は、冷戦終結後、アメリカに登場した「ケインズ経済学批判」にある。その批判運動を先導したのはフリードマンとルーカスという経済学者である。彼等の経済学説の主要ポイントは、国家の介入を極力排除し、市場原理にまかせるという経済理論だ。つまり、経済学的な自由主義とは、国家による管理や統制を排除し、市場経済の自由な活動にまかせよ、というアダ・ムスイス的な、古典経済学的自由主義のことである。こういう「新自由主義」が台頭してきた背景には、ソ連崩壊とマルクス主義の終焉という思想的背景がある。つまり、フリードマンやルーカス、及びフリードマンを頭目とするシカゴ学派の経済学者たちは、「マルクス主義経済学」と「ケインズ経済学」の特徴である「国家の介入」「国家の管理・統制」、つまり「格差対策」や「貧民対策」「福祉政策」を含むケインズ経済学、目の仇にしており、それらを批判、超克することから始まる経済学なのだ。もう少し分かりやすく歴史的背景を説明すると、イギリス古典派経済学であり、「市場の自由にまかせろ」という自由放任主義であるアダム・スミスの時代、アダム・スミスの自由放任主義経済学がもたらした窮乏、貧民、格差に対して、それを救ううべくマルクスが登場する。マルクス主義経済学による「共産主義革命」という過激な革命思想が、時代背景もあって、革命前夜の様相を呈し、一世を風靡するこよになる。これに危機感を持った資本主義陣営の中から、ケインズが、「共産主義革命」を横取りするかのように、「ケインズ革命」を引っさげて登場するというわけだ。ケインズ革命の本質は、「国家の介入」による「需要の喚起」を重視するという反自由主義的な経済学だった。これまた資本主義陣営で、一世を風靡することになる。