Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.
2025年4月1日火曜日
■大江健三郎と藤岡信勝(6)
■大江健三郎と藤岡信勝(6)
藤岡信勝が、『 日本保守党の言論弾圧から被害者を守る会』を立ち上げ、その会長に就任したそうである。この人は 、この手の会長になるのが好きなようである。『 自由主義史観研究会』会長とか『 新しい歴史教科書をつくる会』会長とか。最近は『 南京事件はなかった・・・の会』会長とか。この人は、そもそも、何がしたいのだろうか。私は、この人が、書いた本を一冊も読んでいないが、そもそも、著書というものがあるのだろうか。この人は、学問や研究に専念する人ではなく、市民運動だか、大衆運動だか知らないが、なんらの集団をかき集め、会を組織し、その会長に就任して、叫びたてることが、趣味の人のようだ。《 言論の自由を守れ 》《 民主主義を守れ 》《 平和を守れ 》と叫び。そのまんま『 共産党』じゃないか、と思う。共産党や共産主義が嫌いな訳ではないが。というようなことを思っていたら、元共産党員という言葉を思い出した。藤岡信勝も、今は《保守の重鎮 》だそうだが、若い頃は、共産党の熱心な活動家だった。その頃の熱心な活動が認められて、北海道から上京し、共産党人脈を上手く利用して、東大教育学部教授にまで出世したのであった。ところが 、東大教授に就任した途端に、《 転向 》し、見事に《 保守》に寝返り、たちまち保守運動の先頭に立ち、ラッパを吹き鳴らし、今は、《保守の 重鎮 》(笑)。さて、私がこだわるのは、左翼系と思われていたノーベル賞受賞作家の大江健三郎を法廷に引き摺りだし、袋叩きにした《 大江・岩波裁判 》、つまり《沖縄集団自決裁判 》のことである。その頃 、大江健三郎も、もう晩年に差し掛かって、作家としての《総仕上げ 》をしようとしていた矢先だったが、その大江健三郎の文学活動を、三流作家に過ぎない曽野綾子等と共に、まさに《 言論弾圧 》を行ったのが、藤岡信勝だったのである。その藤岡信勝が、《言論弾圧から 被害者を守れ》と、騒いでいるというわけだ。しかも《会長 》だって。大江健三郎は、左翼であろうが リベラルであろうが、《 日本の宝 》である。どう見ても、 日本の歴史と文化、伝統を守っているのは、大江健三郎である。藤岡信勝ではない。何が、『 日本保守党の言論弾圧から被害者を守る会』だよ。藤岡信勝がやってきたこと、そして今、やろうとしていることこそ、《 言論弾圧 》そのものではないか。
●大江健三郎と藤岡信勝(5)
●大江健三郎と藤岡信勝(5)
曽野綾子に触れようとしたが、曽野が亡くなって 、それほどの時間も経っていない現在、曽野綾子を批判することには 、私の中にも、若干の躊躇いがあるので、ここでは、ひとまず、藤岡信勝の話題に戻ることにする。
大江健三郎と藤岡信勝。(4)
●大江健三郎と藤岡信勝。(4)
『沖縄集団自決論争』とは、大江健三郎の『沖縄ノート』を、現地取材の上で、徹底批判し、論破したと称する曽野綾子女史の『ある神話の背景』に始まる。曽野綾子は、同世代のライバル作家であり、川端康成に続いてノーベル文学賞まで受賞した大江健三郎に、かなり強い対抗心を持っていたらしく、『月刊WILL』などを主な舞台に、保守・右翼陣営の言論人を巻き込んで、荒唐無稽な《大江健三郎批判》を展開し 、裁判闘争にまで持ち込んだ上で、大江健三郎という日本近代文学史上、稀有な存在である文学的権威を打ち砕こうとしたが、見事に返り討ちを浴びて、自滅・自爆したのだった。私は、佐高信氏と対談集(以下引用)を出版して、この『沖縄集団自決論争』 に、それなりの決着をつけたつもりだった。Facebookによると、あの論争と裁判から、もう、11経過したらしい。その間に、数年前に大江健三郎が亡くなり 、そして今年二月には、曽野綾子が亡くなったという。そして付け加えるならば 、最近、一部で話題沸騰中の『日本保守党論争』に、『沖縄集団自決論争』でも裏で《大江健三郎批判》を策動した藤岡信勝が登場してきたこともあって 、改めて、この問題を思い出したというわけだ。
大江健三郎と藤岡信勝(3)。
●大江健三郎と藤岡信勝(3)。
藤岡信勝は《徒党》を組み、内部対立を悪用し、内ゲバ的言論にはげむことが好きである。私は、根っからの《共産党嫌い》ではないが、内ゲバ的言論を好むとは、いかにも元共産党活動家らしい振る舞いである。藤岡信勝が、先頭に立って立ち上げたらしい『新しい歴史教科書をつくる会』とやらも、会長職や代表の地位をめぐって《会長追放》など、内部対立や内部抗争が、つまり《内ゲバ的言論》がたえなかったようだ。私も、誰かの誘いで、一時、この会に出入りしていたが、私が知るかぎりでも、《八木秀次会長追放劇》や《西尾幹二会長追放劇》などが、あいついだ。私の見るところ、肝心の歴史教科書をつくることより、会長職をめぐる権力闘争に熱心だったようだ。ところで、今回、私が問題提起したいのは、いわゆる大江健三郎の『 沖縄ノート』をめぐる大江健三郎と版元の岩波書店を相手取って、訴えた『大江/岩波裁判』における藤岡信勝の動きである。
大江健三郎と藤岡信勝(2)
●大江健三郎と藤岡信勝(2)。
藤岡信勝には専門がない。他人の専門的研究成果を横取りして騒ぎ立てるだけが専門の野次馬。たとえば南京事件。中国政府発表の記録や主張、それに同調する連中の資料や主張に、専門的分析を加えたり、綿密な取材やテクスト分析で、批判し、追求する専門研究者は、他に、いる。たとえば、東中野修道、阿羅健一・・・など。しかし、ネットウヨ雑誌の『月刊WILL』やネットウヨ新聞『産経新聞』などで、先頭に立って大騒ぎするのは 、ドシロートの藤岡信勝。南京事件だけではない。『従軍慰安婦』問題、『沖縄集団自決』問題、あげたらきりがない。繰り返して言うが、藤岡信勝は、いづれの分野でも、専門家でも専門的研究者でもない。ドシロートの野次馬にすぎない。後から参加して、先行者の研究成果を横取りした上で、その分野の第一人者を 偽装し、大騒ぎする。今回の『日本保守党』騒動、あるいは別名『イスラム研究者の某女史』騒動も、同じである。終わりかけた論争に油をぶっかけて、庭先の小さい焚き火を、山火事並みの大火事に仕立て上げ、今度は消火活動の先頭に立って、あの陰険な目付きで、《犬笛はやめろ》と叫び、その道の第一人者を気取るのが、藤岡信勝センセー(笑)。いつもの事ながら、《よー、やるよ、このボケ老人めが!》。自分の文章は自分で書けよ。赤ペン先生(飯山某)に、添削など頼むんじゃないよ。
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