2021年10月3日日曜日

■サルトルは、『ボードレール』を、どう描いているか。 サルトルは、『ボードレール』について、 《父親が死んだ時、ボードレールは六歳だった》 と書くことから始めている。そして、さらに、こう書いている、 《一九二八年十一月、これほど愛していた母が、ある軍人と再婚した。ボードレールは寄宿舎に入れられた。この時期から、彼の有名な『ひび』が始まる。》 まさに、サルトルの描くボードレールの生涯は、ここから始まると言っていいだろう。そして、おそらく、江藤淳が、敏感に反応したのもこの部分であろう。ここから始まるサルトルの『ボードレール』の「実存的精神分析」は、江藤淳にとって、理論や知識として、あるいは教養や学問的方法論としての「実存的精神分析」ではなく、文字通り、自分自身の存在の精神分析だった。江藤淳自身が、幼くして(4歳)、母親と死別し、その後、父親は再婚している。ボードレールとは、母親と父親の違いはあるが、複雑な人間関係の中に放り出され、そてが文学へ向かう転機になったことは共通している。ちなみに、サルトルも、6歳で父親と死別し、母親が直ぐに再婚している。おそらく、その意味で、サルトルの『ボードレール』論は、「サルトル論」そのものだと言っていいかもしれない。したがって、サルトルの『ボードレール』を読んだ江藤淳が、深く思うところがあったのは、単に実存的精神分析という新理論に導かれたというより 、もっと切実なものだったのである。サルトルやサルトル哲学、あるいは実存主義や実存主義的精神分析というものを、単に知識や教養として学んだものと、自分自身の存在の問題として、つまり、内的体験として学んだものとの間には、大きな違いがある。当時は、そしていまでも、サルトルや実存主義について多くの文章が書かれ、多くの書籍が刊行されているが、ほとんど、見る影もなく消え去っている。それたは、後世に残すに足りないからだ。そこへいくと、江藤淳の『夏目漱石』論は、サルトルや実存主義、あるいは実存的精神分析などとい言葉への言及はないが、今でも充分に読む価値がある。その違いは何か。知識や教養として学んだもの(サルトル体験)と、内的体験を通じて学んだもの(サルトル体験)との違いである。 (写真は、ロシア、サンクト・ペテルブルク。エカテリーナ宮殿、前庭で。)

 ■サルトルは、『ボードレール』を、どう描いているか。


サルトルは、『ボードレール』について、

《父親が死んだ時、ボードレールは六歳だった》

と書くことから始めている。そして、さらに、こう書いている、

《一九二八年十一月、これほど愛していた母が、ある軍人と再婚した。ボードレールは寄宿舎に入れられた。この時期から、彼の有名な『ひび』が始まる。》

まさに、サルトルの描くボードレールの生涯は、ここから始まると言っていいだろう。そして、おそらく、江藤淳が、敏感に反応したのもこの部分であろう。ここから始まるサルトルの『ボードレール』の「実存的精神分析」は、江藤淳にとって、理論や知識として、あるいは教養や学問的方法論としての「実存的精神分析」ではなく、文字通り、自分自身の存在の精神分析だった。江藤淳自身が、幼くして(4歳)、母親と死別し、その後、父親は再婚している。ボードレールとは、母親と父親の違いはあるが、複雑な人間関係の中に放り出され、そてが文学へ向かう転機になったことは共通している。ちなみに、サルトルも、6歳で父親と死別し、母親が直ぐに再婚している。おそらく、その意味で、サルトルの『ボードレール』論は、「サルトル論」そのものだと言っていいかもしれない。したがって、サルトルの『ボードレール』を読んだ江藤淳が、深く思うところがあったのは、単に実存的精神分析という新理論に導かれたというより 、もっと切実なものだったのである。サルトルやサルトル哲学、あるいは実存主義や実存主義的精神分析というものを、単に知識や教養として学んだものと、自分自身の存在の問題として、つまり、内的体験として学んだものとの間には、大きな違いがある。当時は、そしていまでも、サルトルや実存主義について多くの文章が書かれ、多くの書籍が刊行されているが、ほとんど、見る影もなく消え去っている。それたは、後世に残すに足りないからだ。そこへいくと、江藤淳の『夏目漱石』論は、サルトルや実存主義、あるいは実存的精神分析などとい言葉への言及はないが、今でも充分に読む価値がある。その違いは何か。知識や教養として学んだもの(サルトル体験)と、内的体験を通じて学んだもの(サルトル体験)との違いである。


(写真は、ロシア、サンクト・ペテルブルク。エカテリーナ宮殿、前庭で。)