2021年10月27日水曜日

■江藤淳は、サルトルの『ボードレール』論を読んで、どう変わったか。 江藤淳にとって、サルトルの『ボードレール』論ほど重要な書物はないように、私には思われる。この書物を読むことによって、文学的に開眼したことも重要だが、それよりももっと重要なことがあった。江藤淳は、幼年時代から「家庭的トラブル」をかかえていた。4歳で、母親を喪い、翌年、父親が再婚し 、新しい母親を迎える。そして義弟や義妹が誕生する。それに江藤淳はうまく順応できなかった。4歳から小中高校時代を経て、大学入学の時点まで、精神状態は 、常に不安定だった。登校拒否や引きこもり、家庭内暴力、自殺未遂事件など。とても江藤淳のイメージからは想像できないような波乱万丈の少年・青年時代を過ごしている。江藤淳が、鎌倉の義祖父の家にあずけらられたのも、「家庭的トラブル」から逃れるためだった。高校時代には、義母と添い寝していた義弟を殴りつけるという事件もおこしている。また大学入学後には、自殺未遂事件までおこしている。その頃まで 、江藤淳は 「母の死」という精神的トラウマを抱え、そのトラウマの中で、荒れ狂い、右往左往していたと言っていい。そこで出会ったのがサルトルの『ボードレール 』論だった。この書物を読むことによって、ボードレールを反面教師として、「母の死」というトラウマから解放されれることになるからである。つまり、サルトルの『ボードレール 』論を読むことで、江藤淳は、江藤淳自身の生涯のテーマである「母の死」という問題を冷静、かつ客観的に自己分析する方法を身につけ、ある意味で「母の死」というトラウマから開放される。それ以後、比較的に安定した精神状態を維持していく。つまり 、サルトルの『ボードレール』論は、父の死と、その直後の母の再婚・・・。そして母から捨てられるように寄宿舎へ入れられるという幼児体験によって、ボードレールの人生は、反抗的 、かつ破滅的なものになる、そして、そこから立ち直ることはなかったと分析する。江藤淳は、そのサルトルの「実存主義的な精神分析」と出会うことによって、ボードレールの生き方に、自分自身を重ねると同時に、自分自身の家庭的トラウマを、冷静に、かつ客観的に分析できるようになる。言い換えれば、この頃から、ボードレールのような「反抗的」「破滅的」な生き方ではなく、それとは逆の生き方を、積極的に模索していく。

 ■江藤淳は、サルトルの『ボードレール』論を読んで、どう変わったか。


江藤淳にとって、サルトルの『ボードレール』論ほど重要な書物はないように、私には思われる。この書物を読むことによって、文学的に開眼したことも重要だが、それよりももっと重要なことがあった。江藤淳は、幼年時代から「家庭的トラブル」をかかえていた。4歳で、母親を喪い、翌年、父親が再婚し 、新しい母親を迎える。そして義弟や義妹が誕生する。それに江藤淳はうまく順応できなかった。4歳から小中高校時代を経て、大学入学の時点まで、精神状態は 、常に不安定だった。登校拒否や引きこもり、家庭内暴力、自殺未遂事件など。とても江藤淳のイメージからは想像できないような波乱万丈の少年・青年時代を過ごしている。江藤淳が、鎌倉の義祖父の家にあずけらられたのも、「家庭的トラブル」から逃れるためだった。高校時代には、義母と添い寝していた義弟を殴りつけるという事件もおこしている。また大学入学後には、自殺未遂事件までおこしている。その頃まで 、江藤淳は 「母の死」という精神的トラウマを抱え、そのトラウマの中で、荒れ狂い、右往左往していたと言っていい。そこで出会ったのがサルトルの『ボードレール 』論だった。この書物を読むことによって、ボードレールを反面教師として、「母の死」というトラウマから解放されれることになるからである。つまり、サルトルの『ボードレール 』論を読むことで、江藤淳は、江藤淳自身の生涯のテーマである「母の死」という問題を冷静、かつ客観的に自己分析する方法を身につけ、ある意味で「母の死」というトラウマから開放される。それ以後、比較的に安定した精神状態を維持していく。つまり 、サルトルの『ボードレール』論は、父の死と、その直後の母の再婚・・・。そして母から捨てられるように寄宿舎へ入れられるという幼児体験によって、ボードレールの人生は、反抗的 、かつ破滅的なものになる、そして、そこから立ち直ることはなかったと分析する。江藤淳は、そのサルトルの「実存主義的な精神分析」と出会うことによって、ボードレールの生き方に、自分自身を重ねると同時に、自分自身の家庭的トラウマを、冷静に、かつ客観的に分析できるようになる。言い換えれば、この頃から、ボードレールのような「反抗的」「破滅的」な生き方ではなく、それとは逆の生き方を、積極的に模索していく。