2021年5月16日日曜日

 ■(続)日比谷高校時代の江藤淳について。(『江藤淳とその時代  5』のためのメモ)


漱石が、「東京帝国大学教授」を目前にして 、突然、「東京帝国大学講師」の職を去り、朝日新聞に入社した  、いわゆる「東京帝国大学辞職事件」は、江藤淳のデビュー作『夏目漱石』論は言うまでもなく、晩年の『 漱石とその時代 』でも、重要な意味を持っているが、実は、江藤淳自身にも同じような事件があったことはあまり知られていない。江藤淳は、当時、東大合格者が全国一だった日比谷高校の学生だったが 、東大進学を拒絶し、慶應義塾大学英文科に進学したのではないかという疑惑があるからである。普通の高校生なら、つまり普通の受験生なら、こういうことは 、考えられないことだろう。特に、私のような地方の公立高校出身の受験生には、考えられない話だろう。わずかでも東大合格の可能性があるならば、一浪でも二浪でもして、何がなんでも東大を目指すだろう。東大出身の作家や批評家のなかにも、そういう作家や批評家は少なくない。たとえば大江健三郎や蓮實重彦は、東大受験に失敗し、一浪して、翌年に、東大合格し、東大に進学している。私が、尊敬し、畏怖する哲学者の廣松渉は、三浪か四浪の後に、東大進学し、後に東大教授となっている。言うまでもなく、こんなことは、つまり、東大に合格したか落第したかということは、文学や小説や哲学にとって重大な問題ではない。しかし、文学や小説や哲学に興味を持ち、その研究や評論を書き続ける連中には 、この手の「学歴主義者」が少なくない。「学歴主義的批評」という奴である。特に、江藤淳に対して、上から目線で論じ、見下したかのような語り方をする人が少なくないが、私は、私の『 江藤淳論』(『江藤淳とその時代 』)を書き続ける上で、これは、無視出来ない問題ではないかと思っている。というより、「江藤淳という問題」の文学的本質は、そういう受験勉強的、受験産業的な視点からは 見えないものだからだ。たとえば 、小谷野敦の 江藤淳と大江健三郎』を読むと、なんとなく不愉快な感じになるが、私には、その理由がわかるような気がする。実は、私は、大江健三郎も江藤淳も、同じように評価している。江藤淳と大江健三郎は、デビュー当時は別にして 、その後、お互いに激しい論争を繰り返したこよもあり、一見、まったく違うタイプの文学者と見えるかもしれない。小谷野敦は、そういう視点から 、「江藤淳か大江健三郎か~」という二者択一的に論じている。私には、それが、「学歴主義的批評」、「受験勉強的批評」に 、あるいは「世俗的批評」 、「イデオロギー的批評」に原因があるよいに見える。