2021年5月4日火曜日

■『江藤淳とその時代 』(4) 以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の4回目の原稿の下書きです。 ーーーーーーーーーーーー 漱石は、東京帝国大学教授を目前にして、突然、誰もが羨望の目で見ていただろう、その職を辞職し、当時、二流の民間企業の一つに過ぎなかった朝日新聞社に「小説作者」として転職した。何故、漱石は、「東京帝国大学講師」という出世街道を投げ捨て、新聞社に就職したのか。漱石に何が 起こったのか。これは大きな謎だが、江藤淳や吉本隆明の「共通性」(一致)を考える時、この問題は重要な問題である。漱石だけではなく、江藤淳や吉本隆明にとっても、大学や学問に対する「違和感」と「嫌悪感」、あるいは「距離感」・・・という存在感情は、彼等の「小説」や「批評」、あるいは「詩」の重要問題であり、存在根拠であり、ともに共有している存在感情であった。「大学」や「学問」「学者」というものについて、漱石は、朝日新聞社への『入社の弁 』で、こういうようなことを言っている。江藤淳の『 漱石とその時代 第四部』から借用する。 《 大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思はなかつた。(中略)。大学の様な栄誉ある位置を●つて、新聞屋になたから驚くと云ふならば、やめて貰いたい。》

 ■『江藤淳とその時代 』(4)  以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の4回目の原稿の下書きです。

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漱石は、東京帝国大学教授を目前にして、突然、誰もが羨望の目で見ていただろう、その職を辞職し、当時、二流の民間企業の一つに過ぎなかった朝日新聞社に「小説作者」として転職した。何故、漱石は、「東京帝国大学講師」という出世街道を投げ捨て、新聞社に就職したのか。漱石に何が 起こったのか。これは大きな謎だが、江藤淳や吉本隆明の「共通性」(一致)を考える時、この問題は重要な問題である。漱石だけではなく、江藤淳や吉本隆明にとっても、大学や学問に対する「違和感」と「嫌悪感」、あるいは「距離感」・・・という存在感情は、彼等の「小説」や「批評」、あるいは「詩」の重要問題であり、存在根拠であり、ともに共有している存在感情であった。「大学」や「学問」「学者」というものについて、漱石は、朝日新聞社への『入社の弁 』で、こういうようなことを言っている。江藤淳の『 漱石とその時代 第四部』から借用する。

《 大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思はなかつた。(中略)。大学の様な栄誉ある位置を●つて、新聞屋になたから驚くと云ふならば、やめて貰いたい。》