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Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.

2021年5月29日土曜日

 ■藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』第7号のための草稿です。)


水戸学派というと、「尊皇攘夷論」というのが常識であり、学問的固定観念である。もちろん、それは間違いではない。だがそれは、水戸光圀(水戸黄門)を筆頭に、藤田東湖等にいたるまでの水戸学派の政治家や思想家たちが、具体的にどう考え、どう行動していたかということとは別である。私は、水戸学派には、「尊皇攘夷論」という思想とは別の独特の思想的エネルギーが生きていたと思う。その思想的エネルギーが、幕末に、全国的に拡散し、多くの志士たちの思想と行動の原動力になったのだと思う。人は、たとえ命知らずの革命家といえども、思想や理論のために命はかけない。たとえ、思想や理論に命をかけたかのように見えたとしても、そこには必ず、思想的エネルギーの共有がある。たとえば、西郷南洲は、鹿児島の城山で「戦死」する直前まで、徳川幕府の御用学者(笑)だった佐藤一斎の『 言志四録』を持ち歩き、戦死の直前まで読んでいた。西郷南洲は、佐藤一斎の『 言志四録』から何を学び、何を行動の指針にしていうたのだろうか。佐藤一斎は水戸学派の藤田東湖と対立し、論敵だったのではないか。西郷南洲は、藤田東湖から佐藤一斎へ、思想的に転向したのだろうか。

ところで、水戸学派の思想的エネルギーが最高潮に達したのが、藤田東湖亡き後 、水戸藩の脱藩浪人たちによって引き起こされた「井伊直弼暗殺事件」、いわゆる「桜田門外の変」であった。この事件が起きた時、藤田東湖が既に安政の大地震で家が倒壊し、梁の下敷きになり圧死していただけではなく、西郷南洲も、奄美大島に幽閉・蟄居中であった。井伊直弼暗殺が成功したという連絡を受け取った西郷は、密かに祝杯をあげて、喜んだという。

- 5月 29, 2021
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 ■fと西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。)


水戸学派というと、「尊皇攘夷論」というのが常識であり、学問的固定観念である。もちろん、それは間違いではない。だがそれは、水戸光圀(水戸黄門)を筆頭に、藤田東湖等にいたるまでの水戸学派の政治家や思想家たちが、具体的にどう考え、どう行動していたかということとは別である。私は、水戸学派には、「尊皇攘夷論」という思想とは別の独特の思想的エネルギーが生きていたと思う。その思想的エネルギーが、幕末に、全国的に拡散し、多くの志士たちの思想と行動の原動力になったのだと思う。人は、たとえ命知らずの革命家といえども、思想や理論のために命はかけない。たとえ、思想や理論に命をかけたかのように見えたとしても、そこには必ず、思想的エネルギーの共有がある。たとえば、西郷南洲は、鹿児島の城山で「戦死」する直前まで、徳川幕府の御用学者(笑)だった佐藤一斎の『 言志四録』を持ち歩き、戦死の直前まで読んでいた。西郷南洲は、佐藤一斎の『 言志四録』から何を学び、何を行動の指針にしていうたのだろうか。佐藤一斎は水戸学派の藤田東湖と対立し、論敵だったのではないか。西郷南洲は、藤田東湖から佐藤一斎へ、思想的に転向したのだろうか。

ところで、水戸学派の思想的エネルギーが最高潮に達したのが、藤田東湖亡き後 、水戸藩の脱藩浪人たちによって引き起こされた「井伊直弼暗殺事件」、いわゆる「桜田門外の変」であった。この事件が起きた時、藤田東湖が既に安政の大地震で家が倒壊し、梁の下敷きになり圧死していただけではなく、西郷南洲も、奄美大島に幽閉・蟄居中であった。井伊直弼暗殺が成功したという連絡を受け取った西郷は、密かに祝杯をあげて、喜んだという。

- 5月 29, 2021
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2021年5月28日金曜日

 山崎行太郎メルマガ『毒蛇通信 』を配信しました。今回のテーマは《 内閣府参与=高橋洋一更迭と竹中一派》です。


●スガ政権は竹中平蔵政権である。

●高橋洋一は竹中組の主要メンバーです。

●竹中平蔵は高橋洋一失言 更迭を、なぜ 

弁護するのか。竹中組の組員だから?

●テレビに出ずっぱりの野村修也(中央大学教授)も、田原総一朗も竹中一派です。


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https://www.mag2.com/m/0001151310.html

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- 5月 28, 2021
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2021年5月27日木曜日

 竹中平蔵と高橋洋一と「ポリシー・ウオッチ」。


竹中平蔵や高橋洋一というと経済学専攻の大学教授だと考えるのが普通だろう。しかし、竹中平蔵も高橋洋一も「学者」でも「経済学者」でもない。要するに、まともな経済学の書籍も論文も持ち合わせていない。居酒屋漫談に毛が生えたような経済漫談の本や論文があるだけだ。では、竹中平蔵や高橋洋一の本拠は何処にあるのか。人材派遣業「パソナ会長」の椅子か。


六本木ヒルズを知らない人はいないだろう。しかし、「アカデミーヒルズ」や「ポリシーウオッチ」という怪しい組織を知っている人は 、そんなに多くはないだろう。あまり表に出て来ないからだ。


竹中平蔵は表向きは、長いこと、「慶應義塾大学教授」ということになっていた。この「慶應義塾大学教授」という肩書きから、竹中平蔵を、経済学専攻の大学教授と勘違いし、信用する人は少なくなかっただろう。だが、この肩書きが怪しい。


竹中平蔵を、新設の慶應義塾大学SFC(湘南藤沢)の総合政策学部に教授として呼んだのは 、学部長だった加藤寛だったようだ。それまでの竹中平蔵は、銀行や財務省研究所などを渡り歩く「中途半端」な存在だった。その竹中平蔵に注目し、引き上げてくれたのが、大蔵省研究員時代の上司・長富祐一郎だった。


実は、この長富祐一郎という人物も、竹中平蔵と同様にかなり「怪しい」人物だった。ー種の「ダーテイワーク」を平然とやってのける竹中平蔵に、自分の分身を見たのだろう。裏金作り、寄付金集め 

人脈作り・・・。大蔵省や財務省では見かけない人物だったのだ。そのころ、竹中平蔵の部下の一人だったのが高橋洋一である。


竹中平蔵は、母校の一橋大学に、博士号を得ようと 、論文(『開発研究と設備投資の経済学』東洋経済新報社 1984年7月)を提出するが、「初歩的すぎる」という理由で、拒絶されている。仕方なく、大阪大学で博士号を取得した。要するに、純粋の経済学者ではなく、「経済学者」という肩書きが欲しかったのだろう。


その後 、大阪大学の教授となるが 、この人事も、本間正明という怪しい大阪大学教授の介入で実現している。しかし、竹中平蔵の真の目標は、経済学者=大学教授ではなかったらしく、大学の講義には不熱心だった。休講も多く 、クビになりそうになった時 、ハーバード大学へ。このハーバード大学は、一年も経たないうちに帰国 、先に述べた加藤寛の招きで、慶應義塾大学教授に就任する。


慶應義塾大学教授就任とともに、加藤寛を後ろ楯に、「フィクサー」的な、あるいは「シンクタンク」的な、つまりく口八丁手八丁の特技を駆使して、怪しい「政商」的な活動が本格化する。小泉純一郎と連携して、いわゆる「郵政民営化」へ突き進むと同時に、加藤寛と連携して、「アカデミーヒルズ」とか、「ポリシーウオッチ」とかいうようなシンクタンク的な研究団体を築き上げ、加藤寛亡き後は、そのボスにのし上がる。


竹中平蔵というと、すぐに「パソナ」という言葉が浮かぶが、もちろん「人材派遣業・パソナ会長・竹中平蔵」は、重要問題だが、それと同様に、あるいはそれ以上に、「アカデミーヒルズ」とか、「ポリシーウオッチ」とかいうようなシンクタンク的な研究団体の存在は重要である。


竹中平蔵は個人ではない。竹中平蔵が代表をつとめる「ポリシーウオッチ」という組織の勉強会=講演会=シンポジュウムは、頻繁に開かれているが、そこの専属メンバーに、高橋洋一や岸博幸、原英史等、竹中組の面々が、属している。この組織の周辺には、多くの学者や実業家、ジャーナリスト等が控えている。だから、竹中平蔵個人を、批判、罵倒、攻撃しても、竹中平蔵にとっては、痛くも痒くもないのである。日本社会の中枢部に 、竹中平蔵が築き上げた人脈とそのネットワークが、竹中平蔵「親分」を守っているのだ。


竹中平蔵は、昨年か一昨年か、慶應義塾大学教授を定年退職し、東洋大学に移り、東洋大学教授に就任。それに反対して抗議活動を展開した東洋大学の学生もいたが、逆に大学側から退学を強制される始末だった。何故、東洋大学だったのか。東洋大学副学長の「松原聡」が、竹中一派の一人だからだ。


高橋洋一も以前は、銭湯での時計ドロ事件の時までは 、東洋大学教授だった。東洋大学は、竹中平蔵の縄張りなのだ。高橋洋一は、東洋大学をクビになった後、嘉悦大学教授になっているが、この嘉悦大学も、竹中平蔵が、故加藤寛(慶應義塾大学教授)から受け継いだなわばりだからだ。


昨年度(2020)の「チーム・ポリシーウオッチ」のシンポジュウムの「登壇者」のリストがあるが、以下の通りだ。東洋大学副学長の「松原聡」の名前も出ている。もちろん、「高橋洋一」「岸博幸」「原英史」の名前も・・・。

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 登壇者 

竹中 平蔵(東洋大学教授/慶應義塾大学名誉教授/アカデミーヒルズ理事長)

冨山 和彦(株式会社経営共創基盤代表取締役CEO)

ロバート・フェルドマン(モルガン・スタンレーMUFG証券シニアアドバイザー)

松原 聡 (東洋大学副学長・教授) 

高橋 洋一 (嘉悦大学教授) 

原 英史(株式会社政策工房社長)

岸 博幸(慶應義塾大学大学院教授)

※自民党国会議員を予定しています。

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- 5月 27, 2021
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2021年5月26日水曜日

 

高橋洋一とスガ=ネットウヨ政権。

「小泉純一郎」「竹中平蔵」「高橋洋一」という「構造改革トリオ」(郵政民営化トリオ)が、日本経済をボロボロに解体した・・・。


「小泉純一郎」「竹中平蔵」「高橋洋一」という「構造改革トリオ」(郵政民営化トリオ)が、日本経済をボロボロに解体した・・・という歴史的現実を、直視出来ないどころか、それを賞賛・賛美する「ネットウヨ文化人」と「ネットウヨ民衆」・・・。高橋洋一の「内閣府参与/首切り」事件は、ようやく 、その一角が、切り崩されたということだ。次は誰か。もちろん、お前だよ。いずれにしろ、小泉純一郎以後の、この「悪夢の15年間の自公政権」(笑)が  、日本を、後進国並の 発展途上国に突き落としたのである。第二、第三の「敗戦」であった。


この転落劇を主導して来たのが、常に 、政権の取り巻き、政権の腰巾着として、屋台骨を蝕み、食い潰して来たのが、竹中平蔵=高橋洋一コンビだった。日本を取り戻すためには、この「亡国コンビ」を追放することが、必須だ。


「  竹中平蔵=高橋洋一コンビ  」は、小泉政権以来、民主党政権もふくめて安倍=スガ政権に至るまで、常に政権中枢に食い込み、政権の取り巻きとして、政権を壟断してきた。獅子身中の毒虫とも言うべき「竹中平蔵=高橋洋一コンビ』とその周辺で、甘い汁を吸ってきた「竹中一派』とも言うべきネットウヨとネットウヨ系文化人に、今こそ鉄槌を下すべきだ。


「高橋洋一/首斬り」を受けて、Twitter辺りで、さかんに高橋洋一を擁護している連中が、ネットウヨです。次々とあぶりだされてきました。ネットウヨの一網打尽です。


以下の写真は、「HANADA」と並んで、ネットウヨ雑誌として有名な「WILL」です。ここに、高橋洋一も出ています。このネットウヨ雑誌の執筆メンバーは、すべて「ネットウヨ」と思って間違いないです。多くは「定年右翼」=「年金右翼」=「ビジネス右翼」です。ほとんどドシロート(笑)ばかりです。まともな右翼思想家や保守思想家は登場しません。


ネットウヨ雑誌「HANADA 」や「WILL」「正論」・・・の次号では、全ページを総動員して 、「高橋洋一擁護論」をぶち上げるでしょうね。


高橋洋一は、「Youtube動画」界隈で、たとえば「エセ文化人報送局」や「虎の巻ニュース」「高橋洋一ネコババ・チャンネル」・・・などで、かなりいい加減な発言を繰り返している。「さざ波発言」についても、堂々と居直り発言を繰り返すなど、意気軒昂だった。私は、高橋洋一の発言内容に、それほど深い関心も興味もない。「おいおい、大丈夫か、お前、病気じゃないのか」と思っただけだ。


さすがのスガも 、これまでのように、高橋洋一や竹中平蔵の助言を真に受けて、「コロナなんてインフルエンザのようなもので、コロナの蔓延も『 さざ波』に過ぎない。無視せよ」などと、居直り発言を繰り返すわけにはいかなかったのたのでしょう。

- 5月 26, 2021
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2021年5月22日土曜日


- 5月 22, 2021
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2021年5月20日木曜日

 



■あらためて、最近の深田萌絵女史の言論活動を、断固、支持する。


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https://yamazakikoutarou.hatenadiary.com/((山崎行太郎blog))

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詳細が分からないので 、軽々しいことは言えないが、最近の日本の「エセ保守業界」界隈の思想的貧困と思想的堕落を、次々と批判=告発し、粉砕し続ける深田萌絵女史の言論活動は、出色ものである。あらためて支持を表明し、深田萌絵女史の「エセ保守」系の政治家(安倍晋三、佐藤正久、長塚たかし 、青山繁晴・・・)や文化人もどきの言論人(百田尚樹 、金美齢、カスヤ、文化人包装局、虎ゑ門ニュース、チャンネル・ウバ桜・・・)たちへの批判=告発に声援を送りたい。深田萌絵女史は、「台湾問題」や「半導体問題」「TSMC問題」など、IT関連の話題を突破口として、日本の経済的停滞と転落の実態と病巣を明らかにしてきた。私にとっても、寝耳に水のごとき問題提起の連続だった。深田萌絵女史の批判=告発によって明らかになったことは少なくない。小泉純一郎=竹中平蔵改革以後、その「小泉・竹中改革」を批判、罵倒する人は少なくないが、いずれも、単なる印象批評に終始してきた感が深い。エセ保守系政治家やエセ官僚、エセ保守・・・等に的を搾った最近の深田萌絵女史の言論活動は、台湾の半導体メーカー「TSMC」という具体的な企業の実態と問題を、掘り返すことによって、日本の経済的停滞と沈没の実態を明らかにしている。それ故に、反発や抵抗も激しいようだ。詳細は、わからないが、「刑事告発」や「銀行口座差し押さえ」「支援金口座凍結」・・・など、様々な嫌がらせにあっているようだ。しかし、無駄だろう。深田萌絵女史が放った数々の言葉は、いかなる手段を弄しようとも 、誰にも消すことは出来ない。昨夜だったか・・・。数学バカ、理数系バカのエセ経済学者=「高橋洋一」を槍玉にあげて、ボロクソに批判していたが、さすが、目の付け所がいい。高橋洋一は、竹中平蔵の子分(パシリ)であり、菅義偉(よしひで)の取り巻き(腰巾着)である。スガ政権が迷走=脱線を繰り返しているのは 、竹中平蔵や高橋洋一というような取り巻き(腰巾着)がアホとクズばかりだからだ。竹中平蔵や高橋洋一等が、小泉純一郎の腰巾着(取り巻き)として、ピンボケの「さざ波の経済学」で、構造改革に狂奔して以後、どれだけ日本の経済状況が悪化したか、数学ボケの「バカボンのパパ=高橋洋一」は知っているだろう。説明してみろよ。ブルガリの時計をこそ泥する知恵はあるようだが、「TSMC問題」同様、無知をさらけ出すだけだろう・・・。


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深田萌絵のYoutube動画

「高橋洋一批判」

https://youtu.be/DSClhvRL7hE

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- 5月 20, 2021
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2021年5月16日日曜日

 『山崎行太郎公式ブログ「毒蛇山荘日記」 』

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https://yamazakikoutarou.hatenadiary.com/


■日比谷高校時代の江藤淳について。(『江藤淳とその時代 (5)』草稿)


柄谷行人が、江藤淳の「日比谷高校時代」について、「追悼文」で、面白いことを書いている。

《七0年代に、江藤淳を通して、彼を若い時から知っている人たちと知り合いになったが 、たとえば、日比谷高校で江藤淳と同級生だった小説家の故柏原兵三は、江藤淳が学生大会でストライキに反対して演説し、ストをつぶしたと語った。あの温厚な柏原兵三がかなり激しくその時の恨みを語ったので、驚いた記憶がある。(余談だが、彼は、江藤淳は抜群に優秀であったのに数字だけがまったくだめだだったともいっていた。三島由紀夫もそうであっただけに、私はそれを興味深く思う。)そうだとすると、一九六0年前後に江藤淳が「転向」したというのは、錯覚だといわねばならない。彼自身が認めているように、湘南中学時代にマルクス主義的であったことが確かだとしたら、日比谷高校に移る時点で変わったということができる。しかし、そう簡単ではない。それなら、先行世代に江藤淳を左翼だと思いこませたようなラディカルな著作を、どう説明するのか。》(柄谷行人『江藤淳と私』文学界『』)


柄谷行人は、伝聞ながら、日比谷高校時代の江藤淳についてその雄姿を伝えると同時に、江藤淳の『ラディカルさ』、つまり思考や行動のラディカリズムについても描いている。日比谷高校時代のこの学生大会の様子については、作家の坂上弘も書いている。


作家の坂上弘は、日比谷高校時代の江藤淳の後輩になる。江藤淳が三年の時  

坂上弘は一年生だったらしい。坂上弘も、学生大会での江藤淳のこと覚えているという。

《 が、私たち後輩をもっともおどろかせたのは、生徒会での理路整然たる雄弁だった。彼は 、いつも戦災でくずれかかった大講堂の一番上から手を上げ、壇上まで駆け下りてきた。江頭淳夫少年一人に、左翼がかった自治会少年や教師たちが、その弁舌で蹂躙されていた。これはその後語らい草になっていた。》(坂上弘

「昭和三十年五月のこと」)

- 5月 16, 2021
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 ■(続)日比谷高校時代の江藤淳について。(『江藤淳とその時代  5』のためのメモ)


漱石が、「東京帝国大学教授」を目前にして 、突然、「東京帝国大学講師」の職を去り、朝日新聞に入社した  、いわゆる「東京帝国大学辞職事件」は、江藤淳のデビュー作『夏目漱石』論は言うまでもなく、晩年の『 漱石とその時代 』でも、重要な意味を持っているが、実は、江藤淳自身にも同じような事件があったことはあまり知られていない。江藤淳は、当時、東大合格者が全国一だった日比谷高校の学生だったが 、東大進学を拒絶し、慶應義塾大学英文科に進学したのではないかという疑惑があるからである。普通の高校生なら、つまり普通の受験生なら、こういうことは 、考えられないことだろう。特に、私のような地方の公立高校出身の受験生には、考えられない話だろう。わずかでも東大合格の可能性があるならば、一浪でも二浪でもして、何がなんでも東大を目指すだろう。東大出身の作家や批評家のなかにも、そういう作家や批評家は少なくない。たとえば大江健三郎や蓮實重彦は、東大受験に失敗し、一浪して、翌年に、東大合格し、東大に進学している。私が、尊敬し、畏怖する哲学者の廣松渉は、三浪か四浪の後に、東大進学し、後に東大教授となっている。言うまでもなく、こんなことは、つまり、東大に合格したか落第したかということは、文学や小説や哲学にとって重大な問題ではない。しかし、文学や小説や哲学に興味を持ち、その研究や評論を書き続ける連中には 、この手の「学歴主義者」が少なくない。「学歴主義的批評」という奴である。特に、江藤淳に対して、上から目線で論じ、見下したかのような語り方をする人が少なくないが、私は、私の『 江藤淳論』(『江藤淳とその時代 』)を書き続ける上で、これは、無視出来ない問題ではないかと思っている。というより、「江藤淳という問題」の文学的本質は、そういう受験勉強的、受験産業的な視点からは 見えないものだからだ。たとえば 、小谷野敦の 江藤淳と大江健三郎』を読むと、なんとなく不愉快な感じになるが、私には、その理由がわかるような気がする。実は、私は、大江健三郎も江藤淳も、同じように評価している。江藤淳と大江健三郎は、デビュー当時は別にして 、その後、お互いに激しい論争を繰り返したこよもあり、一見、まったく違うタイプの文学者と見えるかもしれない。小谷野敦は、そういう視点から 、「江藤淳か大江健三郎か~」という二者択一的に論じている。私には、それが、「学歴主義的批評」、「受験勉強的批評」に 、あるいは「世俗的批評」 、「イデオロギー的批評」に原因があるよいに見える。

- 5月 16, 2021
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2021年5月10日月曜日


■深田萌絵女史の「現在(「Youtube動画」)」などについて。


深田萌絵女史の「Youtube動画」が、次々と警告=削除され、最終的には、スリーカウントで、登録が抹消され、「Youtube動画」そのものが消滅されれそうな状況になりつつあるようですが、今、どーなっているのでしょうか。深田萌絵のが、佐藤正久、青木繁晴、長尾たかし・・・各議員等を、あるいは百田尚樹や金美齢、KAZUYA・・・等を、口先で「保守」だの「愛国心」だの「愛国者」だの、と言いながら、実態は金が欲しいだけの「売国奴」でしかなかった、と批判したために、その中の誰かが、深田萌絵女史を「刑事告訴」したことが、影響しているのかもしれない。一方には、深田萌絵女史の「Youtube動画」が人気沸騰するにつれて 、日和見主義の野次馬が搭乗し、深田萌絵の言説はは「陰謀論」であり、深田萌絵女史の「Youtube動画」の視聴者は、盲目的な「信者」だと、上から目線で批判し、罵倒している「ユーチュウバー」まで、登場している。その「ユーチュウバー」氏に言わせると、小生などは、さしずめ、典型的な「信者」ということだろう。別になんと言われようと構わないが、私は、私の判断に自信を持っている。「信者」などという言葉は、私には通用しない。悔しいなら、今からでも、流行遅れの「信者」にでもなってみろよ。野次馬にしかなれないだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず。野次馬は、いつまでたっても野次馬だよ。

- 5月 10, 2021
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2021年5月9日日曜日

 




『 漱石とその時代 』(4)~江藤淳と吉本隆明~



江藤淳と吉本隆明の話を続ける。江藤淳と吉本隆明の間には、「共通性」があると私は書いたが、実は、私が、最も関心を持つのは、「大学」や「学問」に関する共通性の部分である。江藤淳も吉本隆明もともに、大学や学問に強烈な違和感や敵愾心を持ちながら 、批評活動や思想活動をおこなった文学者だった。吉本隆明が、生涯、「大学教授」というものになることを拒絶し、「自立」という言葉を力説=強調して 、大学や学問というものを批判し続けたことは、よく知られているが、実は、東工大教授や慶應大学教授、大正大学教授・・・と言うように、形式上は  「大学教授」とい職業を歴任したはずの江藤淳も、対自的=内面的には、大学や学問に違和感と敵愾心を持ち続けていた。私の考えでは、江藤淳の批評的本質の一つは、「大学との闘い」、あるいは「大学的なもの」「学問的なもの」との闘いにあった。江藤淳の「戦後論」や「憲法論」の主題は、「東大法学部」を頂点とする「大学的なもの」や「学問的なもの」への激烈な批評的闘いにあった、ということができる。それは、夏目漱石や小林秀雄にもつながる「批評や文学は学問ではない」「大学には批評も文学もない」という文学自立論的な精神の系譜でもある。その精神は、「自立論」を唱え、大学や学問とは一線を画しつつ、究極の学問や文学や思想をを追究しつづけた吉本隆明とも共通する。

たとえば、江藤淳の『夏目漱石』論の隠れた主題は、漱石の「東京帝国大学講師辞職事件」である。漱石が、東京帝国大学を辞して、朝日新聞に入社した事件である。漱石は、「東京帝国大学」や「大学教授」を栄誉とする世俗的価値観に背を向けて、「博士」にも「大臣」にも、そして目の前にある「東京帝国大学教授」にもならず、それらを拒否し、新聞社に転職して、朝日新聞専属の「小説家」になったのである。厳密に言うと 、近代日本文学は、この漱石の「東京帝国大学講師辞職事件」に始まると言っていいかもしれない。

江藤淳は、その背景について書いている。

《英国留学の直接の所産である「文学論」の 、最も重要な部分は私見によればその序文であるが、 その中で、漱石は次のようにいっている。》(江藤淳『夏目漱石』)


こう書いた後で、漱石の「文学論」序文を引用している。漱石は言う。

《 余は少時好んで漢籍を学びたり。之を学ぶ事短きにも関わらず文学は斯くの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。ひそかに思ふに英文学も亦かくの如きものなるべし、斯くの如きものならば生涯を挙げて之を学ぶも、あながち悔ゆることなかるべしと。・・・・・・春秋は十を重ねて吾前にあり。学ぶに余暇なしとは云はず。学んで徹せざるを恨みとするのみ。卒業する余の脳裏には何となく英文学に欺かれたるごとき不安あり。 》(夏目漱石『 文学論 』)


漱石は、何を、ここで、言おうとしているのだろうか。漱石は、幕末とはいえ  、徳川幕府の時代に育ったから、受けた教育は、「漢籍」中心の儒教的なものだった。しかし 、時代は、明治維新を経て大きく変わる。明治維新以後の教育は「洋学」中心の教育となり 、教育内容も大きく変わる。漱石も 、時代の変化に適応すべく「英文学」を学び、その英文学で身を立てようとする。そして、「東京帝国大学講師」にまで上り詰めることに成功する。しかし、その英文学は、文学とは言っても、「漢籍」の中で学んだ「漢文学」とは、似て非なるものだった。《 卒業する余の脳裏には何となく英文学に欺かれたるごとき不安あり。 》漱石の「東京帝国大学講師辞任事件」の動機の一つは、ここにあった。漱石が、生涯をかけてやろうとしたのは、「漢文学」のような文学だったが、現に、漱石が学び 、そして二年間のロンドン留学を経て、「東京帝国大学」の英文学講座で、教師として教えなければならなかったのは、漢文学とは似ても似つかぬ英文学としての文学だった。


要するに、漱石は、東京帝国大学教授を目前にして、突然、誰もが羨望の目で見ていただろう、その職を辞職し、当時、二流の民間企業の一つに過ぎなかった「朝日新聞社」の「専属小説家」に転職した。何故、漱石は、「東京帝国大学講師」という出世街道を、つまり当時のエリートコースを投げ捨て、民間企業にすぎない新聞社に就職したのか。漱石に何が 起こったのか。これは大きな謎だが、江藤淳や吉本隆明との「共通性」(ひと回りして一致?)を考える時、この問題は重要な問題である。漱石だけではなく、江藤淳や吉本隆明にとっても、大学や学問に対する「違和感」と「嫌悪感」、あるいは「距離感」・・・という存在感情は、彼等の「小説」や「批評」、あるいは「詩」の重要問題であり、存在根拠であり、ともに共有している存在感情であった。「大学」や「学問」「学者」というものについて、漱石は、朝日新聞社への『入社の弁 』で、こういうようなことを言っている。江藤淳の『 漱石とその時代 第四部』から借用する。

《 大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思はなかつた。(中略)。大学の様な栄誉ある位置を擲つて、新聞屋になたから驚くと云ふならば、やめて貰いたい。》


漱石は、『 入社の辞』で、続けて、こういうことも書いている。ここには、「大学」への嫌悪と批判と拒絶が、露骨に表現されている。

《 新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなからう。月俸を上げてもらふ必要はなからう。勅任官になる必要はなからう。新聞が商売であるが如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業してゐるのと、御上で営業になるとの差丈である。》(夏目漱石『入社の辞』)


漱石の大学(東京帝国大学)への嫌悪は、激しい。こういう激しい嫌悪や批判や拒絶は、何処から生まれ出てきたのだろう。何か、根本的な、生理的な感情が、漱石を包んでいたようだ。江藤淳は、この文章を引用したあと、こういう感想を述べている。

《 控え目にいっても、これが不穏当な文章であることは今更あらためて指摘するまでもない。「新聞屋」に「大学屋」、それに「下卑た商売」 などという挑発的な言辞、わざわざ向きになって並べ立てて見せたという趣きがあるからである。

》

《不穏当なばかりではなく、この文章にはまたなにがしか異常な響きも底流している。 》

《そうせずにはいられないある兇暴な 衝動が、われにもなく彼を駆り立てているからである。》(江藤淳『 漱石とその時代 』第四部)

江藤淳が、漱石の「大学辞任」発言(「入社の辞」)を、「不穏当」とか、「異常な響き」「凶暴な衝動」と呼び、重く受け止めていることは明らかである。漱石は、何故、「東京帝国大学教授」への道を、「喧嘩別れ」のような捨て台詞を残して、捨て去ったのか。江藤淳が、ここに、漱石文学の本質の一端に関わる問題があると見ていることは間違いない。

実は、江藤淳もまた、「大学」とか「学問」とかいうものに、激しい嫌悪と批判と拒絶の感情を、漱石と共有していたからである。江藤淳は、日比谷高校生の時、既に「東大進学」を断念していた。自分の学力が合格基準に達していなかったということもあるかもしれないが、それだけではないように見える。江藤淳の年譜には、「東大を落ち」て、「慶應義塾大学英文科へ」進学と書いているが、これを素朴に信じ込むことは危険である。普通の受験生ならばそうかもしれないが、江藤淳は、普通の受験生ではなかった。江藤淳(江頭敦夫)は、日比谷高校でも、名の知れた日比谷高校生だった。数学が苦手だったとはいえ、「東大合格」の可能性は高かった。負けず嫌いの江藤淳が、東大という大学にこだわっていれば、一年、浪人し、翌年、もう一度 、受験するはずであるが、江藤淳は、そうしなかった。江藤淳が「東大を落ちて 、慶應に行った」ということにこだわり  、江藤淳が、それだけの学力しかなかったかのように言う人が少なくないが、私は、それは違うと思う。江藤淳には江藤淳独自の計画と戦略があったのである。「東大に落ちた」ということにこだわるならば、たとえば、大江健三郎も蓮實重彦も、そして『 江藤淳と大江健三郎』を書いた小谷野敦も、「東大に落ち」ている。そして、その後、「一浪」して、東大に合格し、東大に進学している。それは、普通の受験生の話だろう。江藤淳は 、彼等とは何かが違っていた。江藤淳の「東大」への嫌悪、批判、拒絶は、漱石と同様に、かなり激しいものがあったのではないか。しかも、江藤淳は、慶應義塾大学に進学後も、だれが、どう見ても、飛び切りの秀才でありながら、慶應の英文科の中心的な教授であった「西脇順三郎」と対立し、衝突し、大学院を中退している。私見によれば、江藤淳は、「東大」を拒絶しただけでなく、「慶應」をも、「西脇順三郎」をも拒絶している。「慶應義塾大学教授」になることが夢であり 、理想であったはずだが、それを目前にして「慶應」をも拒絶しているのだ。何があったのか。漱石の前に「小説」があったように、江藤淳の前には「批評」があったのだ。


 
- 5月 09, 2021
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2021年5月7日金曜日

 ■深田萌絵と金美齢と共謀罪。


深田萌絵女史が、「刑事告訴」されているようですが、その内容がおぼろげながら、分かってきたようです。深田萌絵女史に、その仮面を剥ぎ取られた「エセ保守系政治家」(佐藤正久、青山繁晴 、長尾たかし〜)や「エセ保守系文化人」(百田尚樹、金美齢〜)等が、深田萌絵女史を黙らせる目的で、共謀罪という道具を使って、「刑事告訴」したもののようです。要するに口封じ、つまりスラップ訴訟です。深田萌絵女史によると、中心的な役割を果たしているのは、「台湾独立運動」をネタに、日本の保守論壇のボスに上り詰めた、台湾出身の台湾ロビーの女帝で、最近、日本に帰化したらしいエセ日本国民の「金美齢」のようです。かっての植民地=台湾からやって来た「植民地の女」に、愛国者である日本人女性が、共謀罪で「刑事告訴」されたというわけです。真相は、まだまだ不鮮明ですが・・・。いずれにしろ、日頃、「愛国者」だの「愛国心」だの、「国家観」だの「憲法改正」だの・・・と騒いでいる自称「保守文化人」等が、深田萌絵女史が暴露したように、実は、典型的な「売国奴」だったということが分かります。愛知県大村知事リコール問題でも、偽装署名が発覚すると、記者会見までして、大騒ぎしていた「自称=保守文化人」等が、一斉に姿を見せなくなりましたが、大村知事リコール運動を威勢よくぶち上げた「百田尚樹」や「有本香」「武田邦彦」・・・等は、今頃、どーしているんでしょうね。また威勢よく「記者会見」をやったら、どうですか。「われわれは騙されていた〜」と。「イエス・クリニック」や「河村市長」だけに責任をおっかぶせて逃げるなよ。それとも、また誰かに騙されて、次のカモ(ネタ)でも探しているのかな(笑)。馬鹿だから、何回も何回も、騙されるんだよ。馬鹿は、さっさと消えろ!闘うんだったら、最後まで闘え。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

深田萌絵チャンネル

⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎

https://youtu.be/92Ml62Db3RA


https://youtu.be/92Ml62Db3RA

- 5月 07, 2021
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2021年5月5日水曜日

■続『江藤淳とその時代 』(4) 以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の4回目の原稿の下書きです。 ーーーーーーーーーーーー 漱石は、『 入社の弁』で、続けて、こういうことも書いている。ここには「大学」への嫌悪と批判と超絶が、露骨に表現されている。 《 新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなからう。月俸を上げてもらふ必要はなからう。勅任官になる必要はなからう。新聞が商売であるが如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業してゐるのと、御上で営業になるとの差丈である。》(夏目漱石『入社の弁 』) 漱石の大学(東京帝国大学)への嫌悪は、激しい。こういう激しい嫌悪や批判や拒絶は、何処から生まれ出てきたのだろう。何か、根本的な、生理的な感情が、漱石を包んでいたようだ。江藤淳は、この文章を引用したあと、こういう感想を述べている。 《 控え目にいっても、これが不穏当な文章であることは今更あらためて指摘するまでもない。「新聞屋」に「大学屋」、それに「下卑た商売」 などという挑発的な言辞、わざわざ向きになって並べ立てて見せたという趣きがあるからである。 》 《不穏当なばかりではなく、この文章にはまたなにがしか異常な響きも底流している。 》 《そうせずにはいられないある兇暴な 衝動が、われにもなく彼を駆り立てているからである。》(江藤淳『 漱石とその時代 』第四部) ところで、漱石が、東京帝国大学に「講師」としいて勤務したのは、わずか「4年」であった。その前は、いわゆる「ロンドン留学」の「2年間」であった。そのあたりのことも、『入社の弁 』で、漱石は書いている。 《大学で四年間講義した。特別の恩命を以て洋行を仰せつけられた二年の倍を義務年限とすると四月で丁度年期はあける訳になる。年期はあけて食へなければ、いつ迄も齧り獅噛みつき、死んでも離れない積であつた。所へ突然朝日新聞から入社せぬかとと云ふ相談を受けた。 》

 ■続『江藤淳とその時代 』(4)  以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の4回目の原稿の下書きです。

ーーーーーーーーーーーー


漱石は、『 入社の弁』で、続けて、こういうことも書いている。ここには「大学」への嫌悪と批判と超絶が、露骨に表現されている。

《 新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなからう。月俸を上げてもらふ必要はなからう。勅任官になる必要はなからう。新聞が商売であるが如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業してゐるのと、御上で営業になるとの差丈である。》(夏目漱石『入社の弁 』)


漱石の大学(東京帝国大学)への嫌悪は、激しい。こういう激しい嫌悪や批判や拒絶は、何処から生まれ出てきたのだろう。何か、根本的な、生理的な感情が、漱石を包んでいたようだ。江藤淳は、この文章を引用したあと、こういう感想を述べている。

《 控え目にいっても、これが不穏当な文章であることは今更あらためて指摘するまでもない。「新聞屋」に「大学屋」、それに「下卑た商売」 などという挑発的な言辞、わざわざ向きになって並べ立てて見せたという趣きがあるからである。

》

《不穏当なばかりではなく、この文章にはまたなにがしか異常な響きも底流している。 》

《そうせずにはいられないある兇暴な 衝動が、われにもなく彼を駆り立てているからである。》(江藤淳『 漱石とその時代 』第四部)


ところで、漱石が、東京帝国大学に「講師」としいて勤務したのは、わずか「4年」であった。その前は、いわゆる「ロンドン留学」の「2年間」であった。そのあたりのことも、『入社の弁 』で、漱石は書いている。

《大学で四年間講義した。特別の恩命を以て洋行を仰せつけられた二年の倍を義務年限とすると四月で丁度年期はあける訳になる。年期はあけて食へなければ、いつ迄も齧り獅噛みつき、死んでも離れない積であつた。所へ突然朝日新聞から入社せぬかとと云ふ相談を受けた。 》

- 5月 05, 2021
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 深田萌絵女史は 、「TSMC問題」(台湾半導体メーカー)をめぐって 、アメリカで情報活動中のようです。さて、深田萌絵女史の言論活動に関して、日本の「親台湾派保守文化人」等が、誰かは分かりませんが、「深田萌絵」を、「アメリカ政府に重要情報を密告した」とかいうことで、「刑事告訴」しているようです。深田萌絵女史が、実名を上げて批判した佐藤正久参議院議員か、青木繁晴参議院議員、金美齢、その他「親台湾派文化人」の誰か、でしょう。「愛国心」や「愛国者」を叫ぶ保守文化人にろくな奴はいません。「愛国者」は「売国者=売国奴」~と思った方がいいです。

- 5月 05, 2021
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2021年5月4日火曜日

■『江藤淳とその時代 』(4) 以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の4回目の原稿の下書きです。 ーーーーーーーーーーーー 漱石は、東京帝国大学教授を目前にして、突然、誰もが羨望の目で見ていただろう、その職を辞職し、当時、二流の民間企業の一つに過ぎなかった朝日新聞社に「小説作者」として転職した。何故、漱石は、「東京帝国大学講師」という出世街道を投げ捨て、新聞社に就職したのか。漱石に何が 起こったのか。これは大きな謎だが、江藤淳や吉本隆明の「共通性」(一致)を考える時、この問題は重要な問題である。漱石だけではなく、江藤淳や吉本隆明にとっても、大学や学問に対する「違和感」と「嫌悪感」、あるいは「距離感」・・・という存在感情は、彼等の「小説」や「批評」、あるいは「詩」の重要問題であり、存在根拠であり、ともに共有している存在感情であった。「大学」や「学問」「学者」というものについて、漱石は、朝日新聞社への『入社の弁 』で、こういうようなことを言っている。江藤淳の『 漱石とその時代 第四部』から借用する。 《 大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思はなかつた。(中略)。大学の様な栄誉ある位置を●つて、新聞屋になたから驚くと云ふならば、やめて貰いたい。》

 ■『江藤淳とその時代 』(4)  以下は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の4回目の原稿の下書きです。

ーーーーーーーーーーーー

漱石は、東京帝国大学教授を目前にして、突然、誰もが羨望の目で見ていただろう、その職を辞職し、当時、二流の民間企業の一つに過ぎなかった朝日新聞社に「小説作者」として転職した。何故、漱石は、「東京帝国大学講師」という出世街道を投げ捨て、新聞社に就職したのか。漱石に何が 起こったのか。これは大きな謎だが、江藤淳や吉本隆明の「共通性」(一致)を考える時、この問題は重要な問題である。漱石だけではなく、江藤淳や吉本隆明にとっても、大学や学問に対する「違和感」と「嫌悪感」、あるいは「距離感」・・・という存在感情は、彼等の「小説」や「批評」、あるいは「詩」の重要問題であり、存在根拠であり、ともに共有している存在感情であった。「大学」や「学問」「学者」というものについて、漱石は、朝日新聞社への『入社の弁 』で、こういうようなことを言っている。江藤淳の『 漱石とその時代 第四部』から借用する。

《 大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思はなかつた。(中略)。大学の様な栄誉ある位置を●つて、新聞屋になたから驚くと云ふならば、やめて貰いたい。》




- 5月 04, 2021
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深田萌絵女史の『 戦争宣言』(冒頭声明)を読む~。 https://youtu.be/92Ml62Db3RA 深田萌絵女史を、ここまで、追い詰めているものは何か。だらしない日本の男どもではないのか。日本の「自称・保守」ではないのか。「虎ノ門ニュース」や「文化人放送局」「チャンネル桜」「松田チャンネル」「高橋洋一チャンネル」その他・・・で、「保守ごっこ」に耽っている、頭の弱いエセ保守とその取り巻きの馬鹿どもではないのか。誰が、何をやろうと構わないが、井戸端会議は井戸端でやれ、居酒屋漫談は居酒屋でやれ、と冗談の一つも言ってみたくなる。それにしても、左派にしろ右派にしろ、馬鹿が多すぎる。自称「天才クン」も含めて~。「馬鹿はさっさと死ね」と、小林秀雄が、講演会で言ったことがある。私が、まだ高校生だった頃、厳密に言うと、受験のために上京した頃、私は、「共立講堂」で、小林秀雄の講演を聴いた。私の耳は、「馬鹿は、さっさと死ねばいいんです」という小林秀雄の言葉をはっきり覚えている。「日本人よ、目覚めよ」などと、私は、「ネットウヨ」(「ネット右翼」)のように、言うつもりはない。「さっさと死ね」と言いたいだけだ。 https://youtu.be/92Ml62Db3RA https://youtu.be/92Ml62Db3RA

 




深田萌絵女史の『 戦争宣言』(冒頭声明)~を読む。

https://youtu.be/92Ml62Db3RA


真相は謎ですが、深田萌絵自身が語るところでは、刑事告訴されたと言うことです。深田萌絵女史を、ここまで、追い詰めているものは何か。だらしない日本の男どもではないのか。日本の「自称・保守」ではないのか。「虎ノ門ニュース」や「文化人放送局」「チャンネル桜」「松田チャンネル」「高橋洋一チャンネル」その他・・・https://youtu.be/wqHK-hhBKhEさっさと死ね」と、小林秀雄が、講演会で言ったことがある。私が、まだ高校生だった頃、厳密に言うと、受験のために上京した頃、私は、「共立講堂」で、小林秀雄の講演を聴いた。私の耳は、「馬鹿は、さっさと死ねばいいんです」という小林秀雄の言葉をはっきり覚えている。「日本人よ、目覚めよ」などと、私は、「ネットウヨ」(「ネット右翼」)のように、言うつもりはない。「さっさと死ね」と言いたいだけだ。それにしても、深田萌絵女史の最近の発言は衝撃的だ。ネットウヨ(ネット右翼)のエセ保守政治家やエセ保守文化人等の仮面を次々と剥ぎよっていったからだ。


https://youtu.be/92Ml62Db3RA


https://youtu.be/92Ml62Db3RA






https://youtu.be/92Ml62Db3RA


https://youtu.be/92Ml62Db3RA

- 5月 04, 2021
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2021年5月1日土曜日

 




■台湾ロビー=金美齢の正体(4)


金子宗徳氏という読者(実は面識あり!)からのコメントで、金美齢の長女がテレビ局(TBS)の部長をしているということを知った。何処の、誰の、馬鹿息子や馬鹿娘が、何処の大会社に就職し、どんなに出世していようと、私は関心も興味もない。勝手に出世してくれ、この俗物どもよ 、とでも言うだけだ。しかし、金美齢の長女がTBS部長という情報には、ちょっと驚いた。金美齢の日頃の言動と辻褄が合うというか、合わないというか。早速、調べてみたら、どうも、本当のようだ。しかも、その長女の夫になるひとは、NHK勤務のようだ。さらに言うと、金美齢の夫は、東京理科大教授だったはずだ。なるほど、金美齢が、上から目線で、高飛車に、日本人に向かって、時代錯誤的な「お説教」を垂れるはずだ。私の勘違いでなければ、金美齢は、「日本の若者よ、戦前の日本人のように、戦場に行って 、勇敢に戦え」というようなメッセージを、送っていたはずだが・・・。私の勘違いだったのかもしれない。いずれにしろ、金美齢の威勢のいい言論には、裏があったということだ。自分は、安全地帯を確保した上で 、「日本の若者よ、さっさと死ね」と、アジテーションを繰り返していたということではないか。さすが「植民地の女」の「ずるがしこさ」である。おそらく、最近の保守論壇やその周辺に屯する「エセ保守文化人」や「エセ保守老人」、「エセ保守少年・少女」たちは、植民地からやって来た「植民地の女」=金美齢の戦闘的なメッセージを 、日本と日本人への「励ましの言葉」として素直に受け止め、目に涙を浮かべて、歓喜していたのだろう。馬鹿か。お前ら。何が 、「保守」だよ。保守とは、馬鹿とクズの代名詞かよ。


~~戦う君の歌を、~~

~~戦わない奴らが笑うだろう。~~

~~ファイト~~(中島みゆき)

- 5月 01, 2021
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山崎行太郎
●(やまざき・こうたろう)。●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●大西巨人との論争や、小泉・竹中批判、安倍批判、「青色発光ダイオード」の中村教授批判。●STAP細胞論争で「小保方晴子」擁護論 。「日大アメフト・バッシング」を批判。●「沖縄集団自決裁判」問題で、曽野綾子や小林よしのり、及び保守論壇の守旧派・渡部昇一、秦郁彦……等を徹底批判。●現在、「竹中平蔵批判」を再開、「竹中平蔵研究」を連載中。●文壇・論壇に蔓延する予定調和的言説の脱構築的解体を目指すー。●というわけで、山崎行太郎の思想・表現活動の拠点たる「Blog」と「Twitter」「Facebook 」「Youtube動画」「MailMagazine」をよろしくお願いいたします!!!●緊急連絡は、コチラ。tel=090‐6007-0726。 yama31517@gmail.com
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