2022年3月4日金曜日

■『江藤淳とその時代』〜『夏目漱石』論からも『小林秀雄』論へ(2)~ 繰り返すが 、私は 、江藤淳の初期作品の中では、『夏目漱石』論より 『小林秀雄』論から大きな影響を受けた。私が 、「現代日本文学」というものに目覚めたとき 、江藤淳はすでに『夏目漱石』論 だけではなく、『小林秀雄』論をも書き上げて、アメリカに留学 、途中からプリンストン大学の教師として採用され、アメリカに滞在中であった。私は 、当時、江藤淳のアメリカ留学の前後の事情については、詳しくは知らなかったが、上野千鶴子や加藤典洋らのように、江藤淳の「アメリカ留学体験」を過大評価する気にはあらない。要するに 「アメリカ留学体験」を経て 、「保守」に 、つまり「反米保守派」に転向したなどというわかりやすい説明を鵜呑みにする気にはなれない。そういう、分かりやすい「転向論」より、『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ、あるいはアメリカ留学前からアメリカ留学後まで、一貫している江藤淳の批評的思考力の純粋性と過激性に興味がある。要するに 、江藤淳が転向したとか変節したとかいう話は 、そういう下世話な話に興味のある人たちにとっては 重大問題だろうが 、すくなくとも 、私にとっては、そんなことは 、 それほど重大問題ではない。では、なにが重大問題なのか。私は、江藤淳がデビュー作『夏目漱石』論できりひらいた「存在論的批評」こそが重大問題である、と思う。その「存在論的批評」は、『夏目漱石』論から『小林秀雄』論までいっかんしている。江藤淳は、デビュー作『夏目漱石』論で、倫理的批評に対して存在論的批評を対置したが、その姿勢は、『小林秀雄』論でもま変わらない。『小林秀雄』論で、こう書いている。 《小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではあい。彼以前には自覚的批評家はいなかった。「自覚的」 というのは、批評といj行為が彼自身の存在の問題として意識されている、というほどの意味である。》(『小林秀雄』)

 ■『江藤淳とその時代』〜『夏目漱石』論からも『小林秀雄』論へ(2)~


繰り返すが 、私は  、江藤淳の初期作品の中では、『夏目漱石』論より 『小林秀雄』論から大きな影響を受けた。私が  、「現代日本文学」というものに目覚めたとき 、江藤淳はすでに『夏目漱石』論 だけではなく、『小林秀雄』論をも書き上げて、アメリカに留学 、途中からプリンストン大学の教師として採用され、アメリカに滞在中であった。私は  、当時、江藤淳のアメリカ留学の前後の事情については、詳しくは知らなかったが、上野千鶴子や加藤典洋らのように、江藤淳の「アメリカ留学体験」を過大評価する気にはあらない。要するに 「アメリカ留学体験」を経て 、「保守」に 、つまり「反米保守派」に転向したなどというわかりやすい説明を鵜呑みにする気にはなれない。そういう、分かりやすい「転向論」より、『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ、あるいはアメリカ留学前からアメリカ留学後まで、一貫している江藤淳の批評的思考力の純粋性と過激性に興味がある。要するに 、江藤淳が転向したとか変節したとかいう話は 、そういう下世話な話に興味のある人たちにとっては 重大問題だろうが 、すくなくとも 、私にとっては、そんなことは 、 それほど重大問題ではない。では、なにが重大問題なのか。私は、江藤淳がデビュー作『夏目漱石』論できりひらいた「存在論的批評」こそが重大問題である、と思う。その「存在論的批評」は、『夏目漱石』論から『小林秀雄』論までいっかんしている。江藤淳は、デビュー作『夏目漱石』論で、倫理的批評に対して存在論的批評を対置したが、その姿勢は、『小林秀雄』論でもま変わらない。『小林秀雄』論で、こう書いている。

《小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではあい。彼以前には自覚的批評家はいなかった。「自覚的」

というのは、批評といj行為が彼自身の存在の問題として意識されている、というほどの意味である。》(『小林秀雄』)