2021年9月20日月曜日

■「イスラム研究者」を自称する飯山陽に問う。米軍は正義の軍隊なのか。タリバンやイスラム国(isis=k? )だけが残虐なテロ集団なのか。米軍は一般市民を虐殺なぞしたことはないのか。ヒロシマやナガサキに原爆投下したことはないのか。米軍のアフガン撤退前後、自爆テロで米軍兵士やアフガン市民が、多数、殺されたが、それに対する復讐として、大統領の指示のもとに米軍がアフガン市民一家を空爆し、そのアフガン市民一家は子供も含めて皆殺しにされたが、これが誤爆だったらしい。バイデン大統領や米政府は、米軍の復讐=空爆は誤爆だった、と認めたらしいが、「誤爆ですみませんでした」で済むのか。

 ■「イスラム研究者」を自称する飯山陽に問う。米軍は正義の軍隊なのか。タリバンやイスラム国(isis=k? )だけが残虐なテロ集団なのか。米軍は一般市民を虐殺なぞしたことはないのか。ヒロシマやナガサキに原爆投下したことはないのか。米軍のアフガン撤退前後、自爆テロで米軍兵士やアフガン市民が、多数、殺されたが、それに対する復讐として、大統領の指示のもとに米軍がアフガン市民一家を空爆し、そのアフガン市民一家は子供も含めて皆殺しにされたが、これが誤爆だったらしい。バイデン大統領や米政府は、米軍の復讐=空爆は誤爆だった、と認めたらしいが、「誤爆ですみませんでした」で済むのか。

2021年9月19日日曜日

「安倍晋三包囲網」とは何か。「ネット右翼」包囲である。安倍晋三その人が「ネット右翼」だった。「ネット右翼」は、これからが本番だ。生きるか死ぬかの瀬戸際である。それでも「ネット右翼」を続けられるか。左翼にでも転向するか。あるいはホンモノの「右翼民族主義」「尊皇攘夷論」へ転向するか。見物である。

 「安倍晋三包囲網」とは何か。「ネット右翼」包囲である。安倍晋三その人が「ネット右翼」だった。「ネット右翼」は、これからが本番だ。生きるか死ぬかの瀬戸際である。それでも「ネット右翼」を続けられるか。左翼にでも転向するか。あるいはホンモノの「右翼民族主義」「尊皇攘夷論」へ転向するか。見物である。

■何故、『ネット右翼(ネットウヨ )』は、高市早苗を、熱狂的に支持するのか 。 私は自民党総裁選に、それほど興味がないが、今度の一連の総裁選報道で、明らかになってきたことには、大いに興味がある。「ネットウヨ=ネット右翼」の動向である。私には、総裁選の動向より、こちらの方が面白い。それは、具体的に言えば、「Youtube動画」界隈を中心に蔓延っている「ネットウヨ」(「ネット右翼」 )の動向である。不思議ななことに、このネットウヨ連中が、ことごとく熱狂的に、しかも大真面目に、「高市早苗支持」を歌い上げているこでである。自民党支持なら、同じ自民党の仲間である「岸田文雄支持」でも、「河野太郎支持」でも、「石破茂支持」でも、よさそうなものなのだが、それがまったくいない。逆に、揃いも揃って、横並びに「岸田文雄攻撃(罵倒)」「河野太郎攻撃(罵倒)」「石破茂攻撃(罵倒)」を始める始末。昨日までは、野党攻撃、立憲民主党攻撃、共産党攻撃、朝日新聞攻撃、中国攻撃・・・に忙しかったはずだが・・・。これは、どういうことなのか。と言っても、私はかなり昔から知っているが、とぼけているのである。しかし、ここでは、とぼけたママ、話を進めよう。「高市早苗支持」のほとんどは、「安倍晋三支持者」である。安倍晋三支持者が、そのまま 、「高市早苗支持者」になるのか。それを解く鍵は、誰でも知っているように、安倍晋三首相時代の「官房機密費」である。何十億という金が、どこかに流れていたのである。安倍晋三時代の官房長官は菅義偉だったが、領収書無用の金が、つまり膨大な「官房機密費」が、何処かにながされていたかである。無論、テレビや新聞、特に「産経新聞」やネットウヨ雑誌「正論」「WILL」「HANADA」とその執筆者や関係者に、流されていたことは間違いない。いわゆる『ネット右翼』( ネットウヨ )に、膨大な官房機密費が、流れていたのである。無論、多数のネット右翼やネットウヨは 、官房機密費などとは無縁だろう。自分の思想信条にしたがって、「安倍晋三支持」や「高市支持」を打ち出しているのだろう。しかし、そういう連中も、直接、間接は問わず、何らかの形で、官房機密費の恩恵に浴していたのである。疑われても不思議はないだろう。例によって、私の独断と偏見と妄想に基づいて、言うのだが・・・(笑)、個人をあげると、「百田某」「桜井某嬢」「有本某嬢」「門田某」「kasuya某」「高橋某」「スシロー某」・・・。新聞や雑誌関連で言うと、「産経新聞」「正論」「WILL」「HANADA」・・・などはかなり怪しい。産経新聞の政治記者たちは、現役、OBを問わず、特に酷い。阿比留某、石橋某、有元某・・・。自分の頭で考えた結果なら別だが・・・。組織的に動いているように見える。産経新聞の政治記者は 何故、こんなに「高市早苗支持」で、元気がいいのか。裏がありそうだ(笑)。 話はかわるが、以上のような問題を、対談(鼎談)形式で論じ、ホンモノの右翼民族派思想雑誌『維新と興亜』の次号で取り上げます。出席者は、坪内隆彦さん(『維新と興亜』編集長、思想史研究者)と、金子宗徳さん(里見日本文化学研究所所長、亜細亜大学講師)と、小生(薩摩半島「毒蛇山荘」暴走老人)。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■阿比留某。 https://youtu.be/Mk4ZLbaK-gc ■有元某。 https://youtu.be/hSVq_fmoqWg ■門田某 https://youtu.be/SWdmxgH4xPg ■桜井某、石橋某。 https://youtu.be/4O-nps6fasw ■Will。 https://youtu.be/Dziyu_lvZxo ■上念某。 https://youtu.be/fx90SG-0oRk

 ■何故、『ネット右翼(ネットウヨ  )』は、高市早苗を、熱狂的に支持するのか 。


私は自民党総裁選に、それほど興味がないが、今度の一連の総裁選報道で、明らかになってきたことには、大いに興味がある。「ネットウヨ=ネット右翼」の動向である。私には、総裁選の動向より、こちらの方が面白い。それは、具体的に言えば、「Youtube動画」界隈を中心に蔓延っている「ネットウヨ」(「ネット右翼」  )の動向である。不思議ななことに、このネットウヨ連中が、ことごとく熱狂的に、しかも大真面目に、「高市早苗支持」を歌い上げているこでである。自民党支持なら、同じ自民党の仲間である「岸田文雄支持」でも、「河野太郎支持」でも、「石破茂支持」でも、よさそうなものなのだが、それがまったくいない。逆に、揃いも揃って、横並びに「岸田文雄攻撃(罵倒)」「河野太郎攻撃(罵倒)」「石破茂攻撃(罵倒)」を始める始末。昨日までは、野党攻撃、立憲民主党攻撃、共産党攻撃、朝日新聞攻撃、中国攻撃・・・に忙しかったはずだが・・・。これは、どういうことなのか。と言っても、私はかなり昔から知っているが、とぼけているのである。しかし、ここでは、とぼけたママ、話を進めよう。「高市早苗支持」のほとんどは、「安倍晋三支持者」である。安倍晋三支持者が、そのまま 、「高市早苗支持者」になるのか。それを解く鍵は、誰でも知っているように、安倍晋三首相時代の「官房機密費」である。何十億という金が、どこかに流れていたのである。安倍晋三時代の官房長官は菅義偉だったが、領収書無用の金が、つまり膨大な「官房機密費」が、何処かにながされていたかである。無論、テレビや新聞、特に「産経新聞」やネットウヨ雑誌「正論」「WILL」「HANADA」とその執筆者や関係者に、流されていたことは間違いない。いわゆる『ネット右翼』( ネットウヨ )に、膨大な官房機密費が、流れていたのである。無論、多数のネット右翼やネットウヨは 、官房機密費などとは無縁だろう。自分の思想信条にしたがって、「安倍晋三支持」や「高市支持」を打ち出しているのだろう。しかし、そういう連中も、直接、間接は問わず、何らかの形で、官房機密費の恩恵に浴していたのである。疑われても不思議はないだろう。例によって、私の独断と偏見と妄想に基づいて、言うのだが・・・(笑)、個人をあげると、「百田某」「桜井某嬢」「有本某嬢」「門田某」「kasuya某」「高橋某」「スシロー某」・・・。新聞や雑誌関連で言うと、「産経新聞」「正論」「WILL」「HANADA」・・・などはかなり怪しい。産経新聞の政治記者たちは、現役、OBを問わず、特に酷い。阿比留某、石橋某、有元某・・・。自分の頭で考えた結果なら別だが・・・。組織的に動いているように見える。産経新聞の政治記者は 何故、こんなに「高市早苗支持」で、元気がいいのか。裏がありそうだ(笑)。


話はかわるが、以上のような問題を、対談(鼎談)形式で論じ、ホンモノの右翼民族派思想雑誌『維新と興亜』の次号で取り上げます。出席者は、坪内隆彦さん(『維新と興亜』編集長、思想史研究者)と、金子宗徳さん(里見日本文化学研究所所長、亜細亜大学講師)と、小生(薩摩半島「毒蛇山荘」暴走老人)。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


■阿比留某。

https://youtu.be/Mk4ZLbaK-gc


■有元某。

https://youtu.be/hSVq_fmoqWg


■門田某

https://youtu.be/SWdmxgH4xPg


■桜井某、石橋某。

https://youtu.be/4O-nps6fasw


■Will。

https://youtu.be/Dziyu_lvZxo


■上念某。

https://youtu.be/fx90SG-0oRk

2021年9月16日木曜日

■ムジャヒディン、タリバン、CIA.。 「イスラム教も知らないくせに〜」と、飯山陽( いいやまあかり)センセーに批判・罵倒された無知蒙昧の「独居暴走老人」(笑)ですが 、その無知蒙昧の小生から見ても、飯山陽という馬鹿女の無知蒙昧ブリも、相当にひどい。無知蒙昧の小生が言うのだから間違いない。よくも、こういう馬鹿女( ネットウヨ)に、いつまでも、「東大博士」を名乗らさせているいるものだ。東大イスラム学の「底の浅さ」( ? )が知れるというものだ。飯山陽女史は、「東大博士( バカセ )」が自慢らしいから、ここで、飯山陽だけではなく、飯山陽が自慢する「師匠」のエセ東大教授=池内恵を含めて、「東大博士」がいかに馬鹿かを、論じてみよう。と、ここまで書いて、私の勘違いに気づいた。池内恵は、飯山陽の「師匠」ではなかった。しかも池内恵は、「東大先端科学技術センター」の教授らしい。イスラム学科(イスラム学専攻 )の教授かと思っていたが、どうもそうではないらしい。いづれにしろ、私の勘違い。飯山陽がTwitterのアイコンに若い時の写真を使っているので、もっと若い女性かと、勘違いした。別にアイコンにどういう写真を使おうと、勝手だが、読者を騙すのもいい加減にしろ、と言いたい。実際は、かなりの「ババー」(笑)らしい。 どーでもいい話だが、そもそも東大の「イスラム学」の伝統は、どの程度、あるのか。飯山陽に「東大博士」を与えるぐらいだから、いい加減な「伝統(電灯)(笑)」にほかなるまい。まさに、昼なお暗い「ひるあんどん( 昼行燈 )」にほかなるまい。 さて、私が、イスラムやアラブ、イスラエル、中東・・・などに興味を持ち始めたのは、「ロッド空港銃乱射事件」との遭遇からである。日本人青年三人が、イスラエルのロッド空港で銃を乱射、二人はその場で自殺、一人が自殺しそこなって、イスラエル官憲に逮捕された事件である。私は、この銃乱射事件に 、深い思想的衝撃を受けた。テロ事件からの衝撃ではなく、あくまでも思想的衝撃である。奥平、安田、岡本。私は、政治思想的には必ずしも彼等に共感したわけではないが、彼等の「生き方」には深く共感し、感動した。「命懸けの飛躍」としてのテロリズム。私は、「全共闘」以後 、あるいは「三島由紀夫事件」以後の「テロリズムの時代」が、なぜだか、奇妙に好きだった。したがって、私は、アラブ・ゲリラとかジハードとかテロリズムとかいう言葉や思想に異常に強い関心を持つようになった。現在のタリバンやISIS( アイシス )、アルカイダまで続くアラブ・テロリズムの歴史に、私は、批判的ではない。むしろ、私は、「国際社会」という名の「欧米中心主義」「米帝国主義」「米軍」・・・に「反感」を持つ。私は、欧米中心主義の手先となることによって、ノーベル賞を受賞した「マララ・ユスフザイ」が好きになれない。というより、大嫌いである。彼女は、その後、英国に渡り、オックスフォード大学を卒業したそうだが、その正体はバレバレだろう。 ところで、私は、人がどういう思想の持ち主だろうと気にしない。その信じる思想が、保守であろうと右翼であろうと、民族主義だろうと、あるいは逆に、左翼だろうと共産主義だろうと、共和主義だろうと、気にしない。私が気にするのは、その思想がホンモノかどうかだけである。小生の見るところ、明らかに、飯山は、ニセモノである。飯山の「ウリ」は、アラビア語の通訳の経歴、要するに語学力である。そして言うことが、「イスラム教もろくに知らないくせに・・・」「アラビア語も話せないくせに・・・」「ポスト・モダンのくせに・・・」というような小学生レベルの幼稚な思想的論理である。たとえば、ギリシャ哲学を論じようとすると、「ギリシャ語も知らないくせに・・・」「ラテン語も知らないくせに・・・」と言い出す無能な学者先生が、何処の大学にもいるものだが、飯山も、そのたぐいである。飯山は、欧米中心主義の視点から、タリバンを徹底的に批判し、悪しざまに誹謗中傷するが、それが、飯山の「思想」である。つまり、日本の言論空間にはびこる「ネットウヨ」である。実に単純素朴な、幼稚な「思想」である。飯山は若くない。結構、いい歳であるらしい。つい最近、Twitter界隈で話題になり、「ネットウヨのイスラム研究者」ということで、小生も知ったわけだが 、それまで、何をしていたのだろうか。アラビア語の通訳でもやっていたのだろうか。鳴かず飛ばず人生を過ごしてきたのだろう。そして、「ネットウヨ」(笑)に変身することによって、世間の注目を浴びることになった、というわけである。 話は変わるが、「ムジャヒディン」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ムジャヒディンとは、タリバンの源流というか元祖とも言うべき組織である。意味は「ジハードを行う者たち」ということらしい。実は、ムジャヒディンという組織を作るのに貢献したのが米国のCIAである。そして、ムジャヒディンの後継組織がタリバンというわけである。タリバンとは、「イスラム教神学校の学生たち」という意味らしい。ムジャヒディンをさらに思想的に先鋭化し、過激化したのがタリバンである。言い換えると、タリバンと米軍は、元々は仲間なのである。 ムジャヒディン=タリバンという組織は、CIAが、アフガンに侵攻してきたソ連軍に対する抵抗運動、ソ連軍排斥運動のために作った軍事組織だったのである。そのムジャヒディン=タリバンが、ソ連軍に続いて侵攻してきた米軍に牙を向けたのである。歴史の皮肉である。 ■ネットウヨ動画に出演の飯山陽。 https:p//youtu.be/qNFkBh-6s6c

 ■ムジャヒディン、タリバン、CIA.。


「イスラム教も知らないくせに〜」と、飯山陽(  いいやまあかり)センセーに批判・罵倒された無知蒙昧の「独居暴走老人」(笑)ですが 、その無知蒙昧の小生から見ても、飯山陽という馬鹿女の無知蒙昧ブリも、相当にひどい。無知蒙昧の小生が言うのだから間違いない。よくも、こういう馬鹿女( ネットウヨ)に、いつまでも、「東大博士」を名乗らさせているいるものだ。東大イスラム学の「底の浅さ」( ? )が知れるというものだ。飯山陽女史は、「東大博士( バカセ )」が自慢らしいから、ここで、飯山陽だけではなく、飯山陽が自慢する「師匠」のエセ東大教授=池内恵を含めて、「東大博士」がいかに馬鹿かを、論じてみよう。と、ここまで書いて、私の勘違いに気づいた。池内恵は、飯山陽の「師匠」ではなかった。しかも池内恵は、「東大先端科学技術センター」の教授らしい。イスラム学科(イスラム学専攻  )の教授かと思っていたが、どうもそうではないらしい。いづれにしろ、私の勘違い。飯山陽がTwitterのアイコンに若い時の写真を使っているので、もっと若い女性かと、勘違いした。別にアイコンにどういう写真を使おうと、勝手だが、読者を騙すのもいい加減にしろ、と言いたい。実際は、かなりの「ババー」(笑)らしい。

どーでもいい話だが、そもそも東大の「イスラム学」の伝統は、どの程度、あるのか。飯山陽に「東大博士」を与えるぐらいだから、いい加減な「伝統(電灯)(笑)」にほかなるまい。まさに、昼なお暗い「ひるあんどん( 昼行燈 )」にほかなるまい。

さて、私が、イスラムやアラブ、イスラエル、中東・・・などに興味を持ち始めたのは、「ロッド空港銃乱射事件」との遭遇からである。日本人青年三人が、イスラエルのロッド空港で銃を乱射、二人はその場で自殺、一人が自殺しそこなって、イスラエル官憲に逮捕された事件である。私は、この銃乱射事件に 、深い思想的衝撃を受けた。テロ事件からの衝撃ではなく、あくまでも思想的衝撃である。奥平、安田、岡本。私は、政治思想的には必ずしも彼等に共感したわけではないが、彼等の「生き方」には深く共感し、感動した。「命懸けの飛躍」としてのテロリズム。私は、「全共闘」以後 、あるいは「三島由紀夫事件」以後の「テロリズムの時代」が、なぜだか、奇妙に好きだった。したがって、私は、アラブ・ゲリラとかジハードとかテロリズムとかいう言葉や思想に異常に強い関心を持つようになった。現在のタリバンやISIS( アイシス )、アルカイダまで続くアラブ・テロリズムの歴史に、私は、批判的ではない。むしろ、私は、「国際社会」という名の「欧米中心主義」「米帝国主義」「米軍」・・・に「反感」を持つ。私は、欧米中心主義の手先となることによって、ノーベル賞を受賞した「マララ・ユスフザイ」が好きになれない。というより、大嫌いである。彼女は、その後、英国に渡り、オックスフォード大学を卒業したそうだが、その正体はバレバレだろう。

ところで、私は、人がどういう思想の持ち主だろうと気にしない。その信じる思想が、保守であろうと右翼であろうと、民族主義だろうと、あるいは逆に、左翼だろうと共産主義だろうと、共和主義だろうと、気にしない。私が気にするのは、その思想がホンモノかどうかだけである。小生の見るところ、明らかに、飯山は、ニセモノである。飯山の「ウリ」は、アラビア語の通訳の経歴、要するに語学力である。そして言うことが、「イスラム教もろくに知らないくせに・・・」「アラビア語も話せないくせに・・・」「ポスト・モダンのくせに・・・」というような小学生レベルの幼稚な思想的論理である。たとえば、ギリシャ哲学を論じようとすると、「ギリシャ語も知らないくせに・・・」「ラテン語も知らないくせに・・・」と言い出す無能な学者先生が、何処の大学にもいるものだが、飯山も、そのたぐいである。飯山は、欧米中心主義の視点から、タリバンを徹底的に批判し、悪しざまに誹謗中傷するが、それが、飯山の「思想」である。つまり、日本の言論空間にはびこる「ネットウヨ」である。実に単純素朴な、幼稚な「思想」である。飯山は若くない。結構、いい歳であるらしい。つい最近、Twitter界隈で話題になり、「ネットウヨのイスラム研究者」ということで、小生も知ったわけだが 、それまで、何をしていたのだろうか。アラビア語の通訳でもやっていたのだろうか。鳴かず飛ばず人生を過ごしてきたのだろう。そして、「ネットウヨ」(笑)に変身することによって、世間の注目を浴びることになった、というわけである。

話は変わるが、「ムジャヒディン」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ムジャヒディンとは、タリバンの源流というか元祖とも言うべき組織である。意味は「ジハードを行う者たち」ということらしい。実は、ムジャヒディンという組織を作るのに貢献したのが米国のCIAである。そして、ムジャヒディンの後継組織がタリバンというわけである。タリバンとは、「イスラム教神学校の学生たち」という意味らしい。ムジャヒディンをさらに思想的に先鋭化し、過激化したのがタリバンである。言い換えると、タリバンと米軍は、元々は仲間なのである。

ムジャヒディン=タリバンという組織は、CIAが、アフガンに侵攻してきたソ連軍に対する抵抗運動、ソ連軍排斥運動のために作った軍事組織だったのである。そのムジャヒディン=タリバンが、ソ連軍に続いて侵攻してきた米軍に牙を向けたのである。歴史の皮肉である。


■ネットウヨ動画に出演の飯山陽。

https:p//youtu.be/qNFkBh-6s6c

2021年9月11日土曜日

■飯山陽女史は米と米帝国主義の手先か?

 ■飯山陽女史は米軍と米帝国主義の手先だったのか?


飯山陽女史は、「妊娠中の女性の〜、夫と子供の前で〜、頭をかち割って脳みそを引き摺り出して~」などと言うが、米軍はアフガンだけでなく、中東各国を侵略して、「十字軍」気取りで  、イスラ教徒を「虐殺」「爆殺」「人権蹂躙」「強姦」・・・の限りをつくしてきただろう。米軍は、「正義の軍隊」だから、なんでも許されるというのか。この馬鹿女(飯山陽)こそ 、米英の侵略者の植民地支配の手先か。終戦直後の戦後日本にも、この種の女が、米兵相手に、夜の街に溢れていたんだろう。ベトナムやイラク、アフガン・・・で  、米軍兵士たちが何をやってきたか。帰国した米軍兵士たちが   、次々と自殺したり、精神疾患になったり 、犯罪者になりムショ生活を余儀なくされているという現実からも明らかだろう。そもそもアルカイダやタリバンが、イスラム教徒の世界で  、何故、登場=台頭して来たのか。学歴ロンダリングで「東大博士」となり、米英のキリスト教徒に迎合、土下座するしか能のない馬鹿女(飯山陽)に、何を言っても無駄だろう。馬鹿女につける薬はない。馬鹿女の師匠だという池内恵についても同じだろう。この「東大博士」を名乗る馬鹿共は、イスラム教徒に改心したのか。イスラム教を理解できるわけないだろう。彼、彼女らが理解しているイスラム教は、キリスト教的に解釈・改変されたエセ・イスラム教だろう。マララ・ユフザイの亜種。


実は、この問題も、右翼民族主義思想雑誌『維新と興亜』でも、若手の民族派の思想家たちとの対談で、取り上げる予定だ。過激な思想雑誌『維新と興亜』の次号に御期待ください。エセ保守やエセ・イスラム研究者を叩き潰せ。



「飯山陽(いいやま・あかり )」という美人のイスラム研究者(笑)、がいる。Twitter界隈で、そのネットウヨ的言動が人気になり、その方面では、すっかり有名人となっている「人物」らしい。何を勘違いしたのか、イスラム研究者の代表的存在であるかのような言動が、目障りなので、ちょっと「皮肉」をこめて、チョッカイをしてみたところ、威勢のいい反応が帰ってきた。面白いので、小生も、反論することにする。飯山陽女史は、「東大博士」らしく、「ドクター・飯山陽」と称している。この「ご印籠が見えないのか」ということだろう。ますます面白くなってきた。 実は、『維新と興亜』というマイナーな右翼民族派の思想雑誌で、最近のネットウヨ雑誌( HANADA、WILL、正論・・・)を、批判する企画が進行しているらしい。小生にも、声がかかったので、暇を持て余している「独居暴走老人」は、喜び勇んで参加することにした。 この飯山陽( いいやまあかり)女史の師匠は、池内恵らしい。池内恵なら、まったく知らないわけではない。東大教授の、あの池内恵だろう。飯山陽( いいやまあかり)は、池内恵の「教え子」だということが自慢らしい。「立派なエリート一家だなー」と小生は思はない。「クダラネーナ」と思うだけだ。「東大教授」や「東大博士」には、ろくなものはいない。小林秀雄や柄谷行人、廣松渉も、夏目漱石も東大出身だが、「東大博士」ではない。「東大博士」を馬鹿にしていたはずだ。池内恵や飯山陽は、その種の馬鹿だろう。

 「飯山陽(いいやま・あかり  )」という美人のイスラム研究者(笑)、がいる。Twitter界隈で、そのネットウヨ的言動が人気になり、その方面では、すっかり有名人となっている「人物」らしい。何を勘違いしたのか、イスラム研究者の代表的存在であるかのような言動が、目障りなので、ちょっと「皮肉」をこめて、チョッカイをしてみたところ、威勢のいい反応が帰ってきた。面白いので、小生も、反論することにする。飯山陽女史は、「東大博士」らしく、「ドクター・飯山陽」と称している。この「ご印籠が見えないのか」ということだろう。ますます面白くなってきた。

実は、『維新と興亜』というマイナーな右翼民族派の思想雑誌で、最近のネットウヨ雑誌( HANADA、WILL、正論・・・)を、批判する企画が進行しているらしい。小生にも、声がかかったので、暇を持て余している「独居暴走老人」は、喜び勇んで参加することにした。

この飯山陽(  いいやまあかり)女史の師匠は、池内恵らしい。池内恵なら、まったく知らないわけではない。東大教授の、あの池内恵だろう。飯山陽(  いいやまあかり)は、池内恵の「教え子」だということが自慢らしい。「立派なエリート一家だなー」と小生は思はない。「クダラネーナ」と思うだけだ。「東大教授」や「東大博士」には、ろくなものはいない。小林秀雄や柄谷行人、廣松渉も、夏目漱石も東大出身だが、「東大博士」ではない。「東大博士」を馬鹿にしていたはずだ。池内恵や飯山陽は、その種の馬鹿だろう。

2021年9月10日金曜日

■『江藤淳とその時代 』(2)〜サルトル哲学とその影〜 江藤淳も、日比谷高校時代は、「仏文学」に憧れる、一介の「文学青年」だった。しかし、江藤淳は、「文学青年ごっこ」をいつまでも演じ続けられるほど、呑気な立場にはいなかった。一家の家計は逼迫し、江藤淳自身も結核で高校を一年休学し、留年しているほどである。「死」や「病気」や「貧困」に憧れるのは「文学青年」や「文学少女」の特権であるが、しかし、「死」や「病気」や「貧困」に現実的に直面している人間に、そんな余裕はない。慶應大学入学後も、結核を発病し病床に伏していた。日比谷高校時代は、まだ、文学好きの同級生たちと「文学青年ごっこ」にうつつを抜かしていられた。その頃は、堀辰雄の「軽井沢文学」に憧れ、同級生たちと軽井沢の別荘で合宿するというような文学青年でもあった。しかし、次第にそういう状況に違和感を感じはじめていた。やがて江藤淳の中に大きな転機が訪れる。その転機、つまり思想的転向について、江藤淳は「文学と私」で、こういいふうに、回想している。 《そのうちに私にある転換がおこった。ひと言でいえば 、私はある瞬間から死ぬことが汚いことだと突然感じるようになったのである。》(「文学と私」) 「死ぬことが汚いこと」だと感じはじめたとは、どういうことだろうか。これは、言い換えれば、それまで「死ぬことが美しいこと」だと、江藤淳が、あるいは江藤淳の仲間の文学青年たちが、思っていたということではないだろうか。ここで、江藤淳の中で、文学青年たちとの訣別、いわゆる「歌のわかれ」(中野重治)がおこなわれたということではないか。つまり、この時、江藤淳は「死ぬこと」より「生きる」ことに転向する。言い換えれば、「文学」と訣別すると同時に「批評家」になるのである。さらに続けて、江藤淳は書いている。 《さりとて人生に意味があるとは依然として思えなかったので、私に逃げ場がなくなり、自分を一個の虚体と化すこと、つまり書くことよりほかなくなった。だがそのとき、死んだ山川方夫が、私が口から出まかせにいった「夏目漱石論」のプランを積極的に支持してくれなかったら、臆病で傲慢な私はまだ批評を書かずにいたかも知れない。》 「 さりとて人生に意味があるとは依然として思えなかったので ・・・ 」とは、どういうとか。それは、おそらく、文学という虚業と訣別し 経済学や法学、あるいは医学や理工学というような「実学」へ転じることを意味しているだろう。しかし、江藤淳は、その方向にも 、つまり「実学」にも意味を見いだせなかった、ということだろう。日比谷高校の友人や同級生たちの中には、文学青年たちはいたが、ほとんどのひとが、「実学」へ転向し、官僚や実業家、学者への道を進んでいいる。文学部へ進学しした者も、ほとんどが文学研究者(学者)となっている。小説家や詩人、批評家という「文学」の道を進んだものは皆無だ。安藤元雄のように、東大仏文科へ進学し、「詩人」になった者もいたが、あくまでも「仏文学者」の兼業、あるいは副業としての詩人にすぎない。一見、「文学」を貫き通したように見えるが、私は、違うと思う。文学研究者は、文学者ではない。大学教授という健全な小市民である。 江藤淳が進んだ道は、そういう安全な道ではない。「筆一本」で生計を立てながら、文学を批判しながら、文学を専業として生きていくという「作家」や「批評家」「詩人」の道であった。 江藤淳は、日比谷高校時代の文学的ロマン主義の時代から、文学を批判し、否定する反文学的リアリズムの時代へと変身転向していく。その具体例が、「堀辰雄」から「夏目漱石」への転換であった。江藤淳は、慶應入学後も、東大仏文科に進学した日比谷高校時代の友人=安藤元雄との交流を続けながら 、安藤元雄の主催する同人雑誌に、エッセイや小説の習作などを発表していた。それが、慶應仏文科の学生ながら、「三田文学」編集長だった山川方夫の目にとまり、原稿を依頼され、その結果、江藤淳のデビュー作となる『夏目漱石論』を執筆することになる。

 ■『江藤淳とその時代 』(2)〜サルトル哲学とその影〜

江藤淳も、日比谷高校時代は、「仏文学」に憧れる、一介の「文学青年」だった。しかし、江藤淳は、「文学青年ごっこ」をいつまでも演じ続けられるほど、呑気な立場にはいなかった。一家の家計は逼迫し、江藤淳自身も結核で高校を一年休学し、留年しているほどである。「死」や「病気」や「貧困」に憧れるのは「文学青年」や「文学少女」の特権であるが、しかし、「死」や「病気」や「貧困」に現実的に直面している人間に、そんな余裕はない。慶應大学入学後も、結核を発病し病床に伏していた。日比谷高校時代は、まだ、文学好きの同級生たちと「文学青年ごっこ」にうつつを抜かしていられた。その頃は、堀辰雄の「軽井沢文学」に憧れ、同級生たちと軽井沢の別荘で合宿するというような文学青年でもあった。しかし、次第にそういう状況に違和感を感じはじめていた。やがて江藤淳の中に大きな転機が訪れる。その転機、つまり思想的転向について、江藤淳は「文学と私」で、こういいふうに、回想している。


《そのうちに私にある転換がおこった。ひと言でいえば 、私はある瞬間から死ぬことが汚いことだと突然感じるようになったのである。》(「文学と私」)


「死ぬことが汚いこと」だと感じはじめたとは、どういうことだろうか。これは、言い換えれば、それまで「死ぬことが美しいこと」だと、江藤淳が、あるいは江藤淳の仲間の文学青年たちが、思っていたということではないだろうか。ここで、江藤淳の中で、文学青年たちとの訣別、いわゆる「歌のわかれ」(中野重治)がおこなわれたということではないか。つまり、この時、江藤淳は「死ぬこと」より「生きる」ことに転向する。言い換えれば、「文学」と訣別すると同時に「批評家」になるのである。さらに続けて、江藤淳は書いている。

《さりとて人生に意味があるとは依然として思えなかったので、私に逃げ場がなくなり、自分を一個の虚体と化すこと、つまり書くことよりほかなくなった。だがそのとき、死んだ山川方夫が、私が口から出まかせにいった「夏目漱石論」のプランを積極的に支持してくれなかったら、臆病で傲慢な私はまだ批評を書かずにいたかも知れない。》


「  さりとて人生に意味があるとは依然として思えなかったので ・・・ 」とは、どういうとか。それは、おそらく、文学という虚業と訣別し 

経済学や法学、あるいは医学や理工学というような「実学」へ転じることを意味しているだろう。しかし、江藤淳は、その方向にも 、つまり「実学」にも意味を見いだせなかった、ということだろう。日比谷高校の友人や同級生たちの中には、文学青年たちはいたが、ほとんどのひとが、「実学」へ転向し、官僚や実業家、学者への道を進んでいいる。文学部へ進学しした者も、ほとんどが文学研究者(学者)となっている。小説家や詩人、批評家という「文学」の道を進んだものは皆無だ。安藤元雄のように、東大仏文科へ進学し、「詩人」になった者もいたが、あくまでも「仏文学者」の兼業、あるいは副業としての詩人にすぎない。一見、「文学」を貫き通したように見えるが、私は、違うと思う。文学研究者は、文学者ではない。大学教授という健全な小市民である。

江藤淳が進んだ道は、そういう安全な道ではない。「筆一本」で生計を立てながら、文学を批判しながら、文学を専業として生きていくという「作家」や「批評家」「詩人」の道であった。

江藤淳は、日比谷高校時代の文学的ロマン主義の時代から、文学を批判し、否定する反文学的リアリズムの時代へと変身転向していく。その具体例が、「堀辰雄」から「夏目漱石」への転換であった。江藤淳は、慶應入学後も、東大仏文科に進学した日比谷高校時代の友人=安藤元雄との交流を続けながら 、安藤元雄の主催する同人雑誌に、エッセイや小説の習作などを発表していた。それが、慶應仏文科の学生ながら、「三田文学」編集長だった山川方夫の目にとまり、原稿を依頼され、その結果、江藤淳のデビュー作となる『夏目漱石論』を執筆することになる。