2021年12月3日金曜日

■会沢正志斎の『新論』を読みながら、私が考えたこと。 後期水戸学派を代表する思想家の一人が会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)であり、彼の主著が『新論』である。『新論』は、幕末の尊皇攘夷派の志士たちのバイブルであったらしい。つまり、幕末の志士たちは、会沢正志斎の『新論』を読んで、尊皇攘夷思想で理論武装していたらしい。なるほど、そうだろうなあ、と思う。ここには、水戸学派の思想の精髄が詰め込まれているといっていい。たとえば 、『新論』には「国体論」とか「神国」とかいう目新しい言葉も登場する。言葉(言語)は重要である。名は体を表す、からだ。命懸けで革命運動に参加するには、頑強な肉体だけではなく、新しい思想も必要だ。「そのために生き、そのために命をかけてもいいというイデー」(キルケゴール)としての新しい革命思想が。幕末の尊皇攘夷派の志士たちにとって、その「新しい革命思想」の役割を果たしたのが、水戸学派の尊皇攘夷思想であり、とりわけ、会沢正志斉の『新論』であったのだろう。その意味で、会沢正志斉の『新論』は、水戸学派の原典の一つに当たるものだと言っていいだろう。思想活動や言論活動には「原典」を読むことは必須だ。入門書や解説書、啓蒙書・・・などの、その思想や哲学の周辺の第二次資料や第三次資料を読みあさることによって、表層的理解は得られるだろうが、その思想や哲学の精髄は理解できない。原典には原典にしかない「何か」がある。それは、入門書や解説書、啓蒙書・・・などには決定的に欠如している「何か」だ。それを、西田幾多郎は「ガイスト」と読んだ。水戸学派には、はかの近代的な歴史学や歴史研究にはない、いわゆる歴史学を超えた「ガイスト」がある、と。私は、激しく西田幾多郎に同意する。 さて、会沢正志斎について、私が理解できないことが、一つ、ある。それは、会沢正志斎が、藤田東湖らとともに、産み育てたはずの水戸学派の改革派の政治行動と、「戊午の密勅」をめぐって、袂を分かったことである。 ■会沢正志斎の『新論』を読みながら、私が考えたこと。(2) 会沢正志斎は、藤田東湖

 ■会沢正志斎の『新論』を読みながら、私が考えたこと。


後期水戸学派を代表する思想家の一人が会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)であり、彼の主著が『新論』である。『新論』は、幕末の尊皇攘夷派の志士たちのバイブルであったらしい。つまり、幕末の志士たちは、会沢正志斎の『新論』を読んで、尊皇攘夷思想で理論武装していたらしい。なるほど、そうだろうなあ、と思う。ここには、水戸学派の思想の精髄が詰め込まれているといっていい。たとえば 、『新論』には「国体論」とか「神国」とかいう目新しい言葉も登場する。言葉(言語)は重要である。名は体を表す、からだ。命懸けで革命運動に参加するには、頑強な肉体だけではなく、新しい思想も必要だ。「そのために生き、そのために命をかけてもいいというイデー」(キルケゴール)としての新しい革命思想が。幕末の尊皇攘夷派の志士たちにとって、その「新しい革命思想」の役割を果たしたのが、水戸学派の尊皇攘夷思想であり、とりわけ、会沢正志斉の『新論』であったのだろう。その意味で、会沢正志斉の『新論』は、水戸学派の原典の一つに当たるものだと言っていいだろう。思想活動や言論活動には「原典」を読むことは必須だ。入門書や解説書、啓蒙書・・・などの、その思想や哲学の周辺の第二次資料や第三次資料を読みあさることによって、表層的理解は得られるだろうが、その思想や哲学の精髄は理解できない。原典には原典にしかない「何か」がある。それは、入門書や解説書、啓蒙書・・・などには決定的に欠如している「何か」だ。それを、西田幾多郎は「ガイスト」と読んだ。水戸学派には、はかの近代的な歴史学や歴史研究にはない、いわゆる歴史学を超えた「ガイスト」がある、と。私は、激しく西田幾多郎に同意する。

   さて、会沢正志斎について、私が理解できないことが、一つ、ある。それは、会沢正志斎が、藤田東湖らとともに、産み育てたはずの水戸学派の改革派の政治行動と、「戊午の密勅」をめぐって、袂を分かったことである。


■会沢正志斎の『新論』を読みながら、私が考えたこと。(2)


会沢正志斎は、藤田東湖と並んで、後期水戸学派を代表する思想家である。しかし、藤田東湖亡き後の会沢正志斎の思想行動には、われわれ

凡人には理解できないような謎めいたももがある。水戸学派の改革派、ないしは急進派とは、異なる行動をとるからである。晩年の会沢正志斎は、水戸藩存続を第一義として、幕府側の顔色を伺いながら 、水戸学派の精髄であった「尊皇攘夷」思想の抑制・隠蔽へ向かうように見える。「尊皇攘夷」の思想的オピニオン・リーダーたる会沢正志斎の真意はどこにあったのだろうか。私は、まだ、この問題に関する関連資料類を、じゅうぶんに持ち合わせていない。だから、軽々に判断することは差し控えるが、それにしても 疑問が残る。会沢正志斎は、立て続けに繰り返される幕府側の強権発動を前に、萎縮し、転向したのか。一方には、会沢正志斎を「師」と仰ぐ高橋多一郎や金子孫一郎ら、水戸学派急進派がいた。高橋多一郎や金子孫一郎らは、幕府側と妥協し、穏健派となっていた会沢正志斎と、「戊午の密勅」返還騒動で対立し、やがて分裂して、「桜田門外の変」という直接行動へ突き進む。高橋多一郎や金子孫一郎らの直接行動「桜田門外の変」をどう評価するかは、なかなか難しい問題であろう。少なくとも、水戸学派の重鎮・会沢正志斎が、「桜田門外の変」を支持していなかったことは、事実だろう。重要な事実である。しかも、「老耄」と批判されながも、その一方では、「尊皇攘夷」を否定するかのように「開国論」を主張し、幕府にそれを提出する始末であった。天才のすることは、分からない。しかし、そこに、「ガイスト」はあるのだ。


■会沢正志斎の『新論』を読みながら、私が考えたこと。(3)


「尊王攘夷論」の書『新論』の著者である会沢正志斎は、晩年に、「尊王論」も「攘夷論」も捨て、転向したかのように見える。私も、長いこと、そう思っていた。しかし、もうひとつの考え方がありうる 、と私は考えるようになった。思想的な「転向」とは、イデオロギー中心に、ものを考える時に起こる現象である。存在論的に考える人によって、「転向」はありえない。会沢正志斎の『新論』を、「尊王攘夷論」の書として読み、深く影響を受けていた人たちにとっては、会沢正志斎の「戊午の密勅」返還騒動での思想的言動や、あるいは「桜田門外の変」の首謀者=高橋多一郎等との激しい論争や対立・抗争は、「転向」にしか見えなかったとしても、会沢正志斎自身にとっては「転向」でもなんでもなかったのかもしれない。自らの存在論的思考を実践しただけであったのかもしれない。会沢正志斎の思想的言動には、迷いがなく、断固たる決意のようなものが感じられるからだ。独創的な一流の思想家の思考は、常に動いている。躍動している。一箇所にとどまってはいない。一箇所にとどまるとき、思想は「イデオロギー化」し、「概念化」する。思想の「論理的一貫性」なるものも 、考え方によっては、思考停止でしかない場合もある。人間存在は、「論理的一貫性」のために生きているわけでもない。場合によっては、「論理的一貫性」など 、机上の空論に過ぎない時だってあるだろう。


■会沢正志斎の『新論』を読みながら、私が考えたこと。(4)


会沢正志斎は、晩年に「開国論」を主張している。「攘夷論」から「開国論」へ。会沢正志斎に何が起きたのだろうか。小林秀雄は、芸術家は「直接経験」の世界に生きていると言っている。「論理的一貫性」などそれほど重要ではない、ということだろう。「君子豹変す」という言葉がある。普通は、あまりいい意味ではつかわれない。これは、中国の古典『易経』にある言葉で、原義は違う。原義は、むしろいい意味で使われている。つまり、「君子は豹変しなければならない」と。これは 、状況の変化、時代の流れ・・・などの変化や変動に、特定のイデオロギーや思想に凝り固まることなく、柔軟に対応せよ、ぐらいの意味だろうか。小林秀雄の言う「直接経験」の世界は、変化や変動の避けがたい世界である。会沢正志斎の場合 、どういう状況だったかは、明確には分からない。単なる変節や裏切りだったのか、それとも、大きな時代の変化や変動を読み込んだ上の「実存的決断」だったのか。確かに言えることは、会沢正志斎の決断と決意が、かまり強固なものであり、断固たるものだったことだことだ。会沢正志斎は、この時 、「直接経験」の世界にいたのである。それが、正解だったか、間違いだったかは問題でない。それが、「実存的決断」だったことは間違いない。言うまでもなく、会沢正志斎は、激しい批判や対立を覚悟の上で、「戊午の密勅」の朝廷への返還を主張し、「桜田門外の変」の決起には反対したのだった。つまり、「論理的一貫性」という合理主義的判断より「直接経験」の命じる判断にしたがったのである。



2021年12月2日木曜日

■メールマガジン『哲学者=山崎行太郎の『毒蛇通信』(2021/11/30)を配信しました。 今月のテーマは、「●維新の自爆と立憲の新代表に泉健太が決定」 「●新代表=泉健太よ、自民党=マスコミ=連合からの野党共闘への分断工作を無視しろ!!!」 ■■■■■■■■■■■■ 哲学者=山崎行太郎のメルマガ『毒蛇通信 』 https://www.mag2.com/m/0001151310.html ■■■■■■■■■■■■

 ■メールマガジン『哲学者=山崎行太郎の『毒蛇通信』(2021/11/30)を配信しました。


今月のテーマは、「●維新の自爆と立憲の新代表に泉健太が決定」

「●新代表=泉健太よ、自民党=マスコミ=連合からの野党共闘への分断工作を無視しろ!!!」


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哲学者=山崎行太郎のメルマガ『毒蛇通信 』

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2021年11月23日火曜日

■テレビ芸者=橋下徹の正体。「#橋下徹をテレビに出すな!!! 今朝(11/22)も、橋下徹がテレビ画面で吠えていた。いつものように、一夜漬けの、覚えたばかりの幼稚な雑学を武器に、勇ましく吠えているだけだろう。先日来、山本太郎や大石あきこを相手に吠えて、逆に噛みつかれて、ボロクソに論破され、痛い目にあったばかりなのに・・・。こんな、正体がバレバレのバカを、いまだに、使っているテレビって、何処のテレビ局かとおもって、調べたら、フジテレビだった。フジテレビと橋下徹。どういう関係にあるのだろうか。橋下徹は、「維新の会」の生みの親であり、いまだに「維新の会」の関係者であり、且つ「維新の会」の宣伝係である。何故、こういう特定の政治的党派の宣伝係であるような人物が、選挙特番や討論番組 、バラエティ番組などに 、客観的装いのもとに、頻繁に出られるのか。背後から、誰が、プッシュしているのか。おおいに疑問である。誰かが、橋下徹をプッシュしていることは 、明らかである。では、何処の、誰れが、橋下徹をプッシュしているのか?

 ■テレビ芸者=橋下徹の正体。「#橋下徹をテレビに出すな!!!


今朝(11/22)も、橋下徹がテレビ画面で吠えていた。いつものように、一夜漬けの、覚えたばかりの幼稚な雑学を武器に、勇ましく吠えているだけだろう。先日来、山本太郎や大石あきこを相手に吠えて、逆に噛みつかれて、ボロクソに論破され、痛い目にあったばかりなのに・・・。こんな、正体がバレバレのバカを、いまだに、使っているテレビって、何処のテレビ局かとおもって、調べたら、フジテレビだった。フジテレビと橋下徹。どういう関係にあるのだろうか。橋下徹は、「維新の会」の生みの親であり、いまだに「維新の会」の関係者であり、且つ「維新の会」の宣伝係である。何故、こういう特定の政治的党派の宣伝係であるような人物が、選挙特番や討論番組 、バラエティ番組などに 、客観的装いのもとに、頻繁に出られるのか。背後から、誰が、プッシュしているのか。おおいに疑問である。誰かが、橋下徹をプッシュしていることは 、明らかである。では、何処の、誰れが、橋下徹をプッシュしているのか?

2021年11月17日水曜日

■維新の吉村よ。 お前は、6年前の2015年10月、文通費を、一日在職で、 =「100万円」= 貰っていたそうじゃないか。チャンチャラおかしいね。 今頃、寄附だと・・・(笑)。 https://youtu.be/eSBpXlWrq_s https://youtu.be/eSBpXlWrq_s

 ■維新の吉村よ。

お前は、6年前の2015年10月、文通費を、一日在職で、

=「100万円」=

貰っていたそうじゃないか。チャンチャラおかしいね。

今頃、寄附だと・・・(笑)。


https://youtucbe/eSBpXlWrq_s

https://youtu.be/eSBpXlWrq_s


2021年11月16日火曜日

■橋下徹の恥の上塗り。(笑) 橋下徹よ、お前の《経済理論》は、根本から間違っている。100年古い。議員への交通費=100万円の無駄使い、だって・・・。コストカット、節約、無駄使い、そして構造改革だって・・・。それって、《小泉=竹中改革》のモノマネ、二番煎じだろう。 橋下よ、お前は、竹中平蔵の二代目だろ。 お前の後ろにいる黒幕は、何処の、誰れだよ。 100万円の交通費にブーブー言って、その見返りに ⭕⭕億円が、お前らの懐に・・・。 https://lm.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FEhDxfozNKsQ%3Ffbclid%3DIwAR0jEaQJx_2yc9wjVzcK42e0pd7GOT0oaO9f7ratm4ZSCHM_ZWg5wl04j4A&h=AT2JRuK1Gk9DYjzzfzq8Wqbuh_94y-x55viOVz6IhnNyeWHBBCpAV82GnrTzxWSa3hCKIiBgbv2MTibYQbyc2riQhs5o2WZUxwutHH9qZ3m_A2nCevYdrjY1iraM_7kym95_3DoTFPfYruc5PcE7zEMcPssmann_4Wfb2O7e

 ■橋下徹の恥の上塗り。(笑)


橋下徹よ、お前の《経済理論》は、根本から間違っている。100年古い。議員への交通費=100万円の無駄使い、だって・・・。コストカット、節約、無駄使い、そして構造改革だって・・・。それって、《小泉=竹中改革》のモノマネ、二番煎じだろう。

橋下よ、お前は、竹中平蔵の二代目だろ。

お前の後ろにいる黒幕は、何処の、誰れだよ。

100万円の交通費にブーブー言って、その見返りに ⭕⭕億円が、お前らの懐に・・・。


https://lm.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FEhDxfozNKsQ%3Ffbclid%3DIwAR0jEaQJx_2yc9wjVzcK42e0pd7GOT0oaO9f7ratm4ZSCHM_ZWg5wl04j4A&h=AT2JRuK1Gk9DYjzzfzq8Wqbuh_94y-x55viOVz6IhnNyeWHBBCpAV82GnrTzxWSa3hCKIiBgbv2MTibYQbyc2riQhs5o2WZUxwutHH9qZ3m_A2nCevYdrjY1iraM_7kym95_3DoTFPfYruc5PcE7zEMcPssmann_4Wfb2O7e

2021年11月8日月曜日

江藤淳

とその時代』


■江藤淳とその時代。(9)


江藤淳は、サルトルの『ボードレール』論を読むことによって、母の死を嘆き、哀しむという不幸な少年、つまり「母不在コンプレックス」から解放される。私は、ここで、江藤淳は、「母権性」的思考から「父権性」的思考へ転換するのだと思う。もちろん、明確に転換するわけではない。おそらくその転換の狭間で精神的に右往左往し、激しくゆれ動いていたと思われる。結核の再発や自殺未遂事件、義弟殴打事件なども、その転換の狭間で起きたことであろう。いずれにしろ、江藤淳の処女作『夏目漱石』が書かれるのは、この「母親コンプレックス」から解放されて以後である。それから、しばらくして、江藤淳は、頻繁に「母の死」や「母の喪失」に言及するようになるが、おそらくその頃は、「母の死」という深刻な幼児体験を、実存主義的な精神分析の手法を借りて、冷静に、客観的に自己分析できるようになっていたとういうことだろう。


江藤淳が、「母の死」を、繰り返し繰り返し、とっておきの秘話として語るようになるのは、江藤淳自身が中心になって創刊した同人雑誌(?)『季刊芸術』(昭和42年)を創刊した頃からであって、最初からそうだったたわけではない。江藤淳は『夏目漱石』論を執筆する頃はともかくとして、デビュー当時から長いこと、「母の死」について書くことも話すこともなかった。『季刊芸術』は、マスコミや文芸ジャーナリズムからの制約や言論弾圧(言論統制)を受けることなく、「書きたいものを自由に書く」ために創刊した雑誌であった。その創刊号に掲載される記念すべき最初の文章が『一族再会』であり、「母」と題され、「言葉と私」と題されていたことが象徴するように、「母の死」という主題は、単に江藤淳の個人的な体験にとどまるものではなく、それは、江藤淳の思想的な中心命題を語るための舞台装置でもあったのである。

だから、江藤淳の「母の死」という個人的な存在論的原体験を、素朴に受け取ってはならない。江藤淳の母親の思い出話には、思想的仕掛けがある。むしろ、「母と子」の密着と癒着を批判・告発するために強調されるエピソードなのである。たとえば、江藤淳の代表作の一つである『成熟と喪失』では、「母の喪失」こそが「成熟」であるという論理が主張されるが、そこには、母との密着・癒着関係から、なかなか自由になれなず、孤立と孤独と自立を恐れる日本人、つまり近代の日本人、閉ざされた言語空間で安眠をむさぼっている戦後の日本人への江藤淳的批判が仕掛けられている。『夏目漱石』論には、「母の死」とか「母の喪失」という具体的なテーマは出てこないが、しかし、『夏目漱石』論ーの背後に、そのテーマが隠されていたことは言うまでもない。夏目漱石

こそは、母にも父にも捨てられ、塩原家に養子に出され、早くから自立を強いられた「孤独な子供」だったからである。

江藤淳が次のように書くのは、「母の死」を嘆き悲しんでいるのではない。むしろ、「母の死」に立ち向かっているのである。それまで、分析不可能であった「母の死」という深刻な幼児体験が、サルトルの『ボードレール』論に出会って、冷静に自己分析できるようになったということであろう。


《母の死をきっかけにして、私は自分の周囲から次々に世界を構成する要素が剥落して行ったように感じている。敗戦や戦後の社会変動がそれに拍車をかけたことは否定できない。しかし、そういう外側からの原因だけで私のまわりから現実が崩れ落ちて行ったとは考えられない。少なくとも一人の人間が世界を喪失しつつあるとき、その原因を彼の外側にある時代や社会のなかだけに求めようとするのは公正を欠いている。こういう人間にとっては、すでに「時代」とか「社会」とかいう概念そのものが崩壊して行く現実の一部と感じられているからだ。 》(『一族再会』)




江藤淳は、「母の死」をそれ自体として、素朴に書いているわけではない。「母の死」は、世界の剥離、そして戦後日本の問題や国家論にまで広がっていくテーマとして書いている。そして何よりも「言葉」の問題として書いている。


《大久保の家に連れかえられたとき、母はまだ南を枕にして横臥していた。そうすることによって父は

「生きている」母に私を対面させようとしたのかも知れない。父は私に

 「ここへ来てお別れをなさい」

といった。私は進み出て大人の真似をして正座し、両手をついて母にお辞儀をした。母はそこにいるが、同時に無限の彼方にいて、私はどうしても手をのばして母の頬に触れることができない。そのとき、いわば私は自分と世界との間の距離を識った。それは言葉によって埋めるほかないものである。その言葉に、私は学校ではなく母の死後その遺品が納められた納戸のなかで、感覚というよりは意識のとらえた沈黙にひたっているうちに出逢ったのである。 》(同上)




さらに、次のようにも書いている。


《私たちのなかにこの暗い淵がうがたれるのは、母の胸に抱かれた幼児の薄明の安息が喪われた瞬間からである。そのときいわば私たちの存在の核をみたす沈黙が変質する。意識は光である日常言語の世界に出逢うのに、沈黙は存在の闇のなかにしりぞいて行く。この暗い沈黙から安息が喪われているのは、それが個体の自覚をともなっているからにほかならない。それは不安であり、孤独であって、たえず触手をのばして安息を回復しようとするが、意識がとらえた日常言語はそのためになにごともなし得ない。もしのばされた触手が「言葉」に転位されないかぎりは、それは存在の核をみたす暗く重いもの、ある動物的なものを、「言葉」という軽ろやかな不在に変身させることである。そうでなければさしのばされた存在の触手は叫び声になるか混沌とした情念になって奔出するかうるだけだ。》(同上)


「母の死」や「母の喪失」を体験することによって、子供は、言葉が不要な沈黙の世界から追放され、言葉でしか他人と接触出来ない世界へと移動させられる。つまろ、母を喪失することによって「成熟」する。それは、言い換えれば、父親の役割に着目する江藤淳の父権制的国家論へと繋がっる。




江藤淳は、「治者」という思想を主張している。「治者」とは何か。治者とは、「弱者」の発想ではなく、どちらかといえば、「強者」の発想である。四歳半で「母の死」を体験し、嘆き苦しんだ幼年、少年時代を経て、江藤淳は、何故、強者の思想、つまり「治者」の思想へたどりついたのだろうか。「強者」という言葉から、私は、唐突かもしれないが、江藤淳とニーチェの思考の類縁性を考える。江藤淳の「治者」は、私を考えでは、ニーチェの「超人」と似ている。いや、似ているだけではなく、ほぼそのまま、江藤淳とニーチェの思考は、同種であり、直結している。ニーチェは、負け犬の遠吠えならぬ負け犬の妬み、僻み、嫉妬でしなない「弱者のルサンチマン」を、激しく憎み、批判し 、否定し、そしてそのアンチテーゼとして主張したのが、「超人の哲学」だった。江藤淳の「治者」の思想は 、「超人の哲学」そのものだと言っていい。江藤淳もまた「弱者の妬み、僻み、嫉妬」を、「弱者の思考」として、厳しく論難し、「治者の思考」を対置したからである。ニーチェの「超人の哲学」が、「ナチズム」との類縁性を指摘されたように、江藤淳の「 治者の思想」も、危険な思想を孕んでいる。では、ニーチェ的「超人の哲学」とは何か。その説明として、私は、ニーチェではなく、ドストエフスキーの『罪と罰』のなかの言葉を引用する。


《『あれだけの事を断行しようと思っているのに、こんなくだらない事でびくつくなんてー』奇妙な微笑を浮かべながら、彼はこう考えた。『ふむ・・・そうだ・・・いっさいの事は人間の掌中にあるんだが、ただただ臆病のために万事鼻っ先を素通りさせてしまうんだ。・・・これはもう確かに原理だ・・・ところで、いったい人間は何を最も恐れてるだろう?新しい一歩、新しい自分自身のことば、これを何よりも恐れているんだ。》(『罪と罰』)


私は、このドストエフスキーの『罪と罰』の一節が好きだ。「新しい一歩、新しい自分のことば・・・」。実は 、

この一節に、ニーチェの「超人の哲学」も江藤淳の「 治者の思想」も、微妙な違いはあれ、明確に表現されている。人間は、自立した人間は少ない。われわれは、しばしば、「自分の頭で考えよ」と言うが、そういうお説教じみた言説さえ、既に、他人の口真似であり、模倣である。それほど、われわれは、「新しい一歩、新しい自分のことば・・・」を、踏み出し、つむぎ出すことが出来ない。江藤淳が「治者」という時、それは、「新しい一歩、新しい自分のことば・・・」を創造出来る人間、つまり「超人」のことである。




2021年11月1日月曜日

 メルマガ「山崎行太郎の毒蛇通信(2021 /10/31)「総選挙なんてしらないよ。」ー「江藤淳とサルトル」を送信しました。「文学と哲学を知らずして政治や経済を語ることなかれ」


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