久しぶりに、メルマガ「山崎行太郎の毒蛇通信」を配信しました。
《 竹中平蔵とオリンピックと「ネット右翼世代」》
https://www.mag2.com/m/0001151310.html
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Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.
■商業文芸誌の書き手の中心は、何故 、文藝評論家から「ライター」にとって代わられたのか。
いつの頃だろうか、多くの有能な文芸評論家たちが、商業主義文芸誌から消えた。文芸誌は、商業主義を追求するあまり、文学の原点を忘れ 、「売り上げ」が文学の基準になり、結果的に文学は、商業主義を追求するあまり、商業的にも衰退し、文学自体も社会的に地盤沈下し、存在意義を失っていった。つまり、文学の重要な存在根拠だった「文芸評論家」が、文芸誌や文壇から排除され 、追放されることによって、文学は衰退していったと言っていい。何故か。ここに、現代日本の文化的貧困化、文化的窮乏化の具体的な見本があると、私は思っている。文芸評論家には、曲がりなりにも「批評」があった。批評とは何か。文学批判や小説批判の能力である。批評的思考力である。しかし、ライターにはそれがない。ライターには、文学や小説を批判したり、批評したり、否定する能力はない。「御用学者」的なゴマすり 、それがライターである。私は、「ライター」という言葉を冷笑的に、侮蔑的に使っている。
たとえば、「武田砂鉄」という「ライター」がいるが、商業文芸誌「文学界」や「すばる」に、コラムを連載している。何故、武田砂鉄のようなライターが、文芸誌に連載を持っているのか、私には不可解だが・・・。その「ライター武田砂鉄」が、「LGBT騒動」について、「水を得た魚」のように積極的に発言している。なるほど、「誰もが否定出来ない」正論である と思う。しかし、こういう小市民的な、人畜無害の「正論すぎる正論」を自信満々に書き続け、掲載することが 、文芸誌の主要な役割で あろうか。私は、「編集者」というサラリーマンが、こういう凡庸な「正論」に傾きがちなことは仕方がないと思う。こういう時のために、「編集者」たちが飼い慣らしておいたのが、自分たちの人畜無害の「エセ正論」を代弁してくれる、いわゆる「御用ライター」なのだろうか。どうもそういう気がする。
竹中平蔵とオリンピックとネット右翼世代。
竹中平蔵が、経済三団体の代表が揃ってオリンピック開会式に欠席するという情報で、本性を露わにして、怒りまくっているようだが、何故、竹中が、オリンピックの開会式不参加ごときに、それほど興奮するのか。不思議だったが、納得がいった。オリンピックに邁進するスガポンコツ首相を影で操っているのが竹中平蔵と竹中一派だったということだろう。オリンピック強行の裏には、政財界の「フィクサー=竹中平蔵」がいたというわけか。なるほど。そうだったのか。そういえば、成田空港の検疫所あたりには 、パソナの「派遣社員」で、しかも「中国人」の派遣社員が溢れているらしいが、オリンピック開催に一番熱心なのが、竹中平蔵だとすれば、納得がいく。
竹中平蔵は 「オリンピック開催反対」を「世論」だと思っているらしい。そして「自分の考えは世論とは逆だ」が、しかし、「世論は間違う」と言いたいらしい。なるほど一理がある。しかし、世論、つまり大衆の世論なるものが「正しい」ということも少なくない。竹中平蔵の意見や主張が、いつも正しいという保証は何処にもない。要するに、一般大衆の激しい「竹中平蔵バッシング」におびえているだけだろう。竹中平蔵は、さんざん「大衆( B層)」を利用しておいて、大衆が「竹中平蔵バッシング」を始めると、今度は大衆を切り捨てる。まったくいい加減な男である。今こそ 、「売国奴=竹中平蔵を叩き潰さなければならない」・・・。
開会式の演出(小林某)や音楽担当者(小山田某)たちが、続々、過去の言動を暴露、告発され、辞任や追放に追い込められているようだが、この連中の多くが「ネット右翼世代」とでも呼ぶべき世代に属しているらしいことは、何を意味しているだろうか。それにしても、三流、四流の場末の芸人崩れたちが、オリンピックという「国際的イベント」を仕切っていたというのだから、笑える。ユダヤ人のホロコーストを揶揄したとか、身体障害者をいじめたとか、そういう過去の言動を、今頃、ドシロートに批判、告発されたぐらいで、オタオタするということが、三流、四流の芸人崩れのすることだ。おそらくこの連中は、安倍政権時代に、選ばれたメンバー、典型的な「ネット右翼世代」なのではないか。しかも、「ホロコースト」を揶揄したというSNSの記事を、ユダヤ人権保護団体「サイモン・ヴィゼンタール・センター」に内通・密告したのが自民党代議士の中山某( 防衛副大臣)だったというから笑わせる。スパイは自民党内部に、つまり自民党という「ネット右翼政党」の内部にいたということだろう。この中山防衛副大臣は、イスラエル空爆問題でも、イスラエル擁護という政府無視の「スパイ活動」の前歴があるらしい。
夏野剛という、怪しいネット右翼系の慶應SFCのインチキ教授がいる。このインチキの出稼ぎ教授が、オリンピック開催反対の日本国民大衆に対して、ネット番組で、「アホ」「クソ」と愚弄し、それをSNSで批判されると、即、反省し謝罪したらしい。慶應の教授を名乗るのは辞めてくれよ。それにしても 慶應SFCって、竹中平蔵あたりから、ネットウヨ大学のアホクソ学部に成り下がったね。慶應経済学部も、東大や京大や官僚の天下り先に成り下がっている。昔、「植民地大学」という言葉があったが、今や、慶應こそ「植民地大学」と言うべきだろう。
■(続)■商業誌としての文芸雑誌は滅びよ。全ての文芸雑誌が滅びた後に、文学は蘇るはずだ。ーー文芸雑誌撲滅論。
「新潮45事件」とも言うべき「LGBT騒動」における新潮社の編集者たちや、新潮社と関係あるらしい作家、評論家たちの「LGBT騒動」に関する言動と思想を見ていると、文学精神の退廃と衰退、没落は、行くところまでいくほかはないだろうと思う。彼らの思想と行動は、社会的には間違ってはいないだろうが、文学的には、その意味も価値もほぼゼロというより、マイナスと呼ぶしかない、と私は思った。新潮社の編集者たちの言動を改めて見なおしていくと、何のために文芸出版社に入社したのかと、疑わざるをないものがほとんどだ。「文学と悪」という問題と言うより、まず、たとえば「文学と人間」という問題についてでも、一度でも、考えたことはないのだろうか。人間は「善」なる行為を行う存在であるべきかもしれない。が、同時に、「犯罪」や「殺人」「強姦」「不倫」も、行う存在だろう。文学を道徳教育の一環と考える人がいてもいいだろう。それも別に悪いことではない。しかし、それに満足しない人間がいてもおかしくない。そんなことは小学生でもわかっているだろう。私は、小学低学年残ろ、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を読んだ時、正確には「紙芝居」で、『蜘蛛の糸』を見た時、何か奇妙な胸騒ぎを覚えた。これはなんだろうと思った。「善なるもの」への懐疑と不安。後にドストエフスキーの『罪と罰 』を読んだ時、私は、人間という存在は、なんと恐ろしくも、魅力的なのだろうと思った。私は、すっかり「悪」というものの魅力の虜になっていた。
「新潮」編集長の「矢野優」さんが、次のような文章を編集後記に書いていた。私は、一読して 、絶望的な気分になった。ああ、この人は「いい人」だなあ、と。
《 「新潮45」二0一八年十月号特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈 』論文」について、少誌の寄稿者や読者から多数の批判が寄せられました。
同企画に掲載された「政治は『 生きづらさ』という主観を救えない」において筆者の文芸評論家・小川榮太郎氏は「LGBT」と「痴漢症候群の男」を対比し、後者の「困難こそ極めて根深かろう」と述べました。これは言論の自由や意見の多様性に鑑みても、人間にとって変えられない属性に対する蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない差別的表現だと小誌は考えます。
このような表現を掲載したのは「新潮45」ですが、問題は小誌にとっても他人事ではありません。だからこそ多くの小誌寄稿者は、部外者ではなく当事者として怒りや危機感の声をあげたのです。
文学者が自身の表現空間である「新潮」や新潮社を批判すること。それは自らにも批判の矢を向けることです。
小誌はそんな寄稿者たちのかたわらで、自らを批判します。そして、差別的表現に傷つかれた方々に、お詫び申し上げます。
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想像力と差別は根底でつながっており、想像力が生み出す文芸には差別や反差別の芽が常に存在しています。
そして、すぐれた文芸作品は、人間の想像力を鍛え、差別される者の精神、差別してしまう者の精神を理解することにつながります。
「新潮45」は休刊となりました。しかし、文芸と差別の問題について、小誌は考えていきたいと思います。
二0一八年九月二十八日
「新潮」編集長・矢野優
》
まことに、立派な、それ故に人畜無害な、健康的な文章である。私は、そこを批判しているのではない。これが、文芸雑誌「編集後記」に書かれていること違和感を持つというだけである。つまり、健全なる小市民的文章だが、私の眼には、どう見ても、文学的・芸術的な文章には見えないということだ。
矢野編集長は、「文芸と差別の問題について、小誌は考えていきたいと思います」と力強く宣言しているが、私には、この文章は、「文学と差別の問題について、小誌は考えることを放棄・拒絶します。」としか読めない。無責任な政治家の場当たり的、口から出任せの言葉にしか見えない。実際、その後、この「文学と差別」の問題を取り上げた気配はない。
「LGBTには生産性がない」と言った杉田某女史や、それを擁護した文芸評論家・小川榮太郎の方が「逃げた」わけではない 。逆である。杉田某女史や小川榮太郎が議論や論争の継続を呼びかけたが、議論や論争から「逃げた」のは、矢野編集長や作家や評論家たちの方である。
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■薩摩藩と水戸藩と日下部伊三次( 『 藤田東湖と西郷南洲』 余録)
桜田門外の変で、井伊直弼暗殺に成功しながら、現場近くで彦根藩の武士に切られて負傷し、逃亡を断念、その場で自決した有村次左衛門は、前夜、日下部伊三次の娘=マツ( 松子)と婚姻の儀式を行っていた。日下部伊三次とは何者か。日下部伊三次と有村次左衛門は、どういう関係にあったのか。有村次左衛門は、有村家の三男であり、日下部伊三次の長女と婚約することで、日下部家の家督を相続する予定だったものと思われる。しかし、有村次左衛門が、桜田門外の変で自刃・自決したことで、日下部伊三次の長女と再婚したのが、有村次左衛門の長兄・有村俊斎( 後に「海江田信義」)だった。有村俊斎は、弟の婚約者だったマツ( 松子)と再婚し、日下部家を相続する同時に、日下部の旧姓であった「海江田」を名乗ることになる。それが、明治維新の激動期を生き延び、明治新政府で、貴族院議員や枢密院顧問などの要職を勤めた海江田信義である。
ところで、西郷南洲も、日下部伊三次を人間として高く評価していた。日下部伊三次は「水戸藩士」だったが、島津斉彬の懇願で、「薩摩藩士」となっている。実は、ここには、不思議な歴史的背景があった。日下部家は、元々、薩摩藩の武士であったが、薩摩藩の「ある事件」に巻き込まれたらしく、薩摩藩から逃亡し、水戸の地に住み着いていた。その元薩摩藩士が、日下部伊三次の父、海江田連である。海江田連は、名前を「日下部」に変え、水戸藩の太田で、私塾をひらいて、青少年の教育に励んでいた。教育者としての海江田連は、人格、識見、ともに高い評価を得て、太田学館の幹事にまでなっていた。その息子が日下部伊三次である。日下部伊三次は 、父の後を継いで太田学館の幹事となるが、父と同様に、その人格識見を買われ、水戸藩士に取り立てられている。日下部伊三次を見た徳川斉昭は、その人格を認めると同時に、親交のある薩摩藩主・島津斉彬に推薦し、薩摩藩士として復帰出来るようにと取り計らった。島津斉彬もまた、日下部伊三次の力量に注目し、薩摩藩江戸屋敷詰めの薩摩藩士として、喜んで受けれたのだった。それからは、日下部伊三次は、薩摩藩と水戸藩の連絡役となり、両藩を股にかけて、尊皇攘夷派の武士として重要な役割を演じることになる。「安政の大獄」事件のきっかけともなった水戸藩の「戊午の密勅」事件の主役の一人が日下部伊三次だった。日下部伊三次は、水戸藩の鵜飼吉左衛門らとともに 、密勅を水戸藩江戸屋敷へ運ぶ。この「戊午の密勅」事件で、幕府と水戸藩は、激しく対立し、一触即発の危機的状況になる。その結果が、井伊直弼が発動した「安政の大獄」事件である。この安政の大獄で、多くの尊皇攘夷派の志士たちつおともに日下部伊三次も、尊皇攘夷派の志士として捕縛され、獄死した。