2022年6月21日火曜日

■片山杜秀の「 中今(なかいま)」の時間論の解釈について(3)。 片山杜秀は三井甲之について次のように批判している。 《 たとえば右翼歌人、三井甲之は、この「盛りの真中 の世」 を拡大解釈を試みている。『 しきしまのみち原論』(1934年)で三井は、「 中今 」を 「過去なく未来なく ただ現在の生成のみであるといふことの予感的言い現し」とし、宣長の解釈にも、その「 予感的閃きがみとめらる 」という。ここに、「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》(『近代日本の右翼思想』) 片山杜秀の時間論は、最後の《「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》という文章に象徴的に要約されている。要するに、「現在に生きる」こと、「現在を直視する」ことが、否定的にとらえられている。逆に、「過去」や「未来」を考えることが、肯定的にとらえられている。片山杜秀が、どういう時間感覚を持っていようと、どういう哲学的時間論を持っていようとかまわない。テレビのお笑い番組や居酒屋漫談や井戸端会議に夢中になっている「おじさん、おばさん」程度の思想の持ち主だろうとかまわない。問題は、片山杜秀が、自分の議論が、幼稚で、素朴すぎるということを自覚していないことである。驚くべきことに、片山杜秀は、三井甲之だけを批判、嘲笑、愚弄しているわけではなく、西田幾多郎や田辺元、高山岩男・・・のような超一流とまでは言わないが、少なくとも、一流に属すると思われる思想家や哲学者までを、上に引用したような幼稚な時間論を武器に、批判し愚弄しようとしている。

■片山杜秀の「 中今(なかいま)」の時間論の解釈について(3)。 片山杜秀は三井甲之について次のように批判している。 《 たとえば右翼歌人、三井甲之は、この「盛りの真中 の世」 を拡大解釈を試みている。『 しきしまのみち原論』(1934年)で三井は、「 中今 」を「過去なく未来なく ただ現在の生成のみであるといふことの予感的言い現し」とし、宣長の解釈にも、その「 予感的閃きがみとめらる 」という。ここに、「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》(『近代日本の右翼思想』) 片山杜秀の時間論は、最後の《「中今」なる語に、現在あるがあま、目の前にあるもののみに充足しようとする特殊時代的志向が投影されたことを見ることは容易だtろう。》という文章に象徴的に要約されている。要するに、「現在に生きる」こと、「現在を直視する」ことが、否定的にとらえられている。逆に、「過去」や「未来」を考えることが、肯定的にとらえられている。片山杜秀が、どういう時間感覚を持っていようと、どういう哲学的時間論を持っていようとかまわない。テレビのお笑い番組や居酒屋漫談や井戸端会議に夢中になっている「おじさん、おばさん」程度の思想の持ち主だろうとかまわない。問題は、片山杜秀が、自分の議論が、幼稚で、素朴すぎるということを自覚していないことである。驚くべきことに、片山杜秀は、三井甲之だけを批判、嘲笑、愚弄しているわけではなく、西田幾多郎や田辺元、高山岩男・・・のような超一流とまでは言わないが、少なくとも、一流に属すると思われる思想家や哲学者までを、上に引用したような幼稚な時間論を武器に、批判し愚弄しようとしている。

2022年6月5日日曜日

■「 れいわ新撰組」の大石あきこ議員の国会質問が面白い。最近は、日本国内の政治に、すっかり興味を失って、昼寝ばかりしている小生だが、大石あきこ議員の国会質問には 、久しぶりに爆笑した。どんな街頭演説よりも面白い。是非、ごらんいただきたい。 ⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ https://youtu.be/nPKAKfPcIig https://youtu.be/nPKAKfPcIig

■「 れいわ新撰組」の大石あきこ議員の国会質問が面白い。最近は、日本国内の政治に、すっかり興味を失って、昼寝ばかりしている小生だが、大石あきこ議員の国会質問には 、久しぶりに爆笑した。どんな街頭演説よりも面白い。是非、ごらんいただきたい。 ⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ https://youtu.be/nPKAKfPcIig https://youtu.be/nPKAKfPcIig

2022年6月4日土曜日

メルマガ《 山崎行太郎の毒蛇通信》を配信しました。テーマは《ウクライナ戦争の唯我独尊的な中間的総括 》です。《 見たくない人は見るな、読みたくない人は読むな 》がモットーのメルマガです。私は、ウクライナ側かではなく ロシア側から、このウクライナ戦争を見ています。まったく違った風景が見えます。和田春樹(東大名誉教授)や羽場久美子(青山学院大学名誉教授)ら 、いわゆる左翼系のロシア研究者たちが、「即時停戦 」呼びかけているようですが、彼らの方がまだマシです。 https://www.mag2.com/m/0001151310.html https://www.mag2.com/m/0001151310.html

メルマガ《 山崎行太郎の毒蛇通信》を配信しました。テーマは《ウクライナ戦争の唯我独尊的な中間的総括 》です。《 見たくない人は見るな、読みたくない人は読むな 》がモットーのメルマガです。私は、ウクライナ側かではなく ロシア側から、このウクライナ戦争を見ています。まったく違った風景が見えます。和田春樹(東大名誉教授)や羽場久美子(青山学院大学名誉教授)ら 、いわゆる左翼系のロシア研究者たちが、「即時停戦 」呼びかけているようですが、彼らの方がまだマシです。 https://www.mag2.com/m/0001151310.html https://www.mag2.com/m/0001151310.html

2022年6月3日金曜日

松本洋三さんのFacebookからシェアしました。 私は、先頃、20年の刑期を終えて出所した「重信房子 」とは同世代です。私は、左翼も右翼も、学生運動と名のつくものにはいっさい関わりありませんでした。ヘルメットの色も、党派の名称もよく知りませんでした。ただ、赤軍や連合赤軍、アラブ赤軍・・・などには異常に興味はあり、自分の思想や哲学、文学において、深い影響を受けました。その中でも、重信房子が中心的役割をはたしたという「 イスラエル・ロッド空港乱射事件」には、深い感銘と影響を受けました。奥平、安田、岡本・・・。私は、彼ら、テロリストたちと、同世代であったことに、今でも誇りを持っています。 ーーーー以下引用ーーーー 重信房子を讃える言の葉が枯渇した日本左右論壇には、民族の壮大な叙事詩を紡げない。 松本洋三 ーーーー引用終了ーーーー

松本洋三さんのFacebookからシェアしました。 私は、先頃、20年の刑期を終えて出所した「重信房子 」とは同世代です。私は、左翼も右翼も、学生運動と名のつくものにはいっさい関わりありませんでした。ヘルメットの色も、党派の名称もよく知りませんでした。ただ、赤軍や連合赤軍、アラブ赤軍・・・などには異常に興味はあり、自分の思想や哲学、文学において、深い影響を受けました。その中でも、重信房子が中心的役割をはたしたという「 イスラエル・ロッド空港乱射事件」には、深い感銘と影響を受けました。奥平、安田、岡本・・・。私は、彼ら、テロリストたちと、同世代であったことに、今でも誇りを持っています。 ーーーー以下引用ーーーー 重信房子を讃える言の葉が枯渇した日本左右論壇には、民族の壮大な叙事詩を紡げない。 松本洋三 ーーーー引用終了ーーーー

■カール・ポパーとジョージ・ソロス・・・ グローバリズムとは何か?グローバリズムの主導者の一人であり、「ロシア・ウクライナ 戦争 」の影の仕掛人の一人だとも言われているのがジョージ・ソロスだが、彼の愛読書が、カール・ポパーの『 開かれた社会とその敵』だと聞いて、ちょっと驚いたのだが、よくよく考えて見ると、「なるほど 」と思った。カール・ポパーは、私が大学生だった頃、よく読まれていた英国の科学哲学者の一人だった。『 歴史主義の貧困』が、ベストセラーになっていた頃だ。カール・ポパーの思想は、「 科学」や「 科学主義」を根拠に、「共産主義」「 ヘーゲル歴史哲学」「 マルクス主義」などを、科学的根拠がないと批判するものだった。たとえば、『 開かれた社会とその敵』における「開かれた社会」とは自由主義陣営の資本主義社会、つまり西側の国家や社会のことであり、「 その敵」に当たるのは共産主義社会であり、ソ連や中共などの国家や社会のことであった。当時は、東西対立の激化、つまり冷戦の渦中にあった時代だ。単純素朴な「 二元論」的思考が横行していた時代だ。ジョージ・ソロス等の「グローバリズム 」も、その具体的実例だろう。

■カール・ポパーとジョージ・ソロス・・・ グローバリズムとは何か?グローバリズムの主導者の一人であり、「ロシア・ウクライナ 戦争 」の影の仕掛人の一人だとも言われているのがジョージ・ソロスだが、彼の愛読書が、カール・ポパーの『 開かれた社会とその敵』だと聞いて、ちょっと驚いたのだが、よくよく考えて見ると、「なるほど 」と思った。カール・ポパーは、私が大学生だった頃、よく読まれていた英国の科学哲学者の一人だった。『 歴史主義の貧困』が、ベストセラーになっていた頃だ。カール・ポパーの思想は、「 科学」や「 科学主義」を根拠に、「共産主義」「 ヘーゲル歴史哲学」「 マルクス主義」などを、科学的根拠がないと批判するものだった。たとえば、『 開かれた社会とその敵』における「開かれた社会」とは自由主義陣営の資本主義社会、つまり西側の国家や社会のことであり、「 その敵」に当たるのは共産主義社会であり、ソ連や中共などの国家や社会のことであった。当時は、東西対立の激化、つまり冷戦の渦中にあった時代だ。単純素朴な「 二元論」的思考が横行していた時代だ。ジョージ・ソロス等の「グローバリズム 」も、その具体的実例だろう。

2022年5月31日火曜日

■YouTube動画「山崎行太郎と内山卓也の反論壇時評チャンネル」です。 #成田悠輔 #竹中平蔵 《「成田悠輔と竹中平蔵」成田悠輔は竹中平蔵のパシリにすぎない。》を配信しました。 是非、ご覧下さい!! ⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩ https://youtu.be/3Vig13G7rLo

■YouTube動画「山崎行太郎と内山卓也の反論壇時評チャンネル」です。 #成田悠輔 #竹中平蔵 《「成田悠輔と竹中平蔵」成田悠輔は竹中平蔵のパシリにすぎない。》を配信しました。 是非、ご覧下さい!! ⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩ https://youtu.be/3Vig13G7rLo

■片山杜秀『日本の右翼思想』を読む(1) 片山杜秀は、日本の戦前の右翼思想について、かなり詳しいようだが、しかし残念ながら、その理解と分析は根本的に間違っている。右翼思想を甘くみて、真剣に理解しようとしていないからである。水戸学から西田幾多郎まで、あるいは本居宣長から小林秀雄まで、延々と続く民族主義的な右翼思想は、片山杜秀が、想像しているような浅薄な思想ではい。そもそも、「戦後民主主義」的な通俗的常識にとらわれたような凡庸な思想研究者に、日本の右翼思想の真髄が理解できるはずがない。たとえば、片山杜秀は、日本の右翼思想の「時間論」というものが、全く理解できないようである。『日本の右翼思想』の第五章は 、「右翼と時間 」となっているが、そのサブタイトルに「 変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる」とある。このサブタイトルからも 、片山杜秀が、「 時間論」に無知だということがわかる。片山杜秀は、日本の右翼思想(天皇制ファシズム?)の「 時間」は、「現在主義 」だと考えているようだが 、時間論的現在主義そのものを理解できていない。 もっと詳しくみてみよう。片山杜秀は、こう書いている。 《 しかし、とマンハイムはいう。ファシズムはこれらと態度を異にする。ファシズムの 時間感覚の最大に特徴は、「歴史が現在という瞬間的状況に解消されてしまうこと 」。人々が「 目の前にあるもの」にしか関心を示さなくなることにあるからだ。ファシズムは「 歴史の区分け」を否定する。そこでは、過去、現在、未来の独自な連関は消滅し、「すべての時代にかかわりなく起こるもの 」が平然と受容される。過去の経験の蓄積も、未来への理論的ヴィジョンも、もはや役割をもちえない。なぜなら、ファシズムが依拠するのは、「歴史の区分け 」以前の、「永遠に変わることなくどんな歴史の出来事の底にも基盤として横たわっている 」ような「 領域」であるのだから。》(片山杜秀『 日本の右翼思想』) 片山杜秀は、あの「マンハイム先生 」(笑 )が言っているのだから、間違っているはずがない、思っているようだが 、その「 マンハイム先生」が 、間違っているというより、そもそも「 時間論」というものが理解できていないのだから 、どうしようもない。片山杜秀は、ニーチェやハイデッガーも読んだことはないのだろう。いや、ニーチェやハイデッガーより「マンハイム先生 」の方が、正しいと思っているのだろう。そんなことはどうでもいいが 、片山杜秀は、「 時間論」というものを、もっと原理的に、あるいは本質論的に、考えてみたほうがいいだろう。「時間とは何か」・・・。

■片山杜秀『日本の右翼思想』を読む(1) 片山杜秀は、日本の戦前の右翼思想について、かなり詳しいようだが、しかし残念ながら、その理解と分析は根本的に間違っている。右翼思想を甘くみて、真剣に理解しようとしていないからである。水戸学から西田幾多郎まで、あるいは本居宣長から小林秀雄まで、延々と続く民族主義的な右翼思想は、片山杜秀が、想像しているような浅薄な思想ではい。そもそも、「戦後民主主義」的な通俗的常識にとらわれたような凡庸な思想研究者に、日本の右翼思想の真髄が理解できるはずがない。たとえば、片山杜秀は、日本の右翼思想の「時間論」というものが、全く理解できないようである。『日本の右翼思想』の第五章は 、「右翼と時間 」となっているが、そのサブタイトルに「 変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる」とある。このサブタイトルからも 、片山杜秀が、「 時間論」に無知だということがわかる。片山杜秀は、日本の右翼思想(天皇制ファシズム?)の「 時間」は、「現在主義 」だと考えているようだが 、時間論的現在主義そのものを理解できていない。 もっと詳しくみてみよう。片山杜秀は、こう書いている。 《 しかし、とマンハイムはいう。ファシズムはこれらと態度を異にする。ファシズムの 時間感覚の最大に特徴は、「歴史が現在という瞬間的状況に解消されてしまうこと 」。人々が「 目の前にあるもの」にしか関心を示さなくなることにあるからだ。ファシズムは「 歴史の区分け」を否定する。そこでは、過去、現在、未来の独自な連関は消滅し、「すべての時代にかかわりなく起こるもの 」が平然と受容される。過去の経験の蓄積も、未来への理論的ヴィジョンも、もはや役割をもちえない。なぜなら、ファシズムが依拠するのは、「歴史の区分け 」以前の、「永遠に変わることなくどんな歴史の出来事の底にも基盤として横たわっている 」ような「 領域」であるのだから。》(片山杜秀『 日本の右翼思想』) 片山杜秀は、あの「マンハイム先生 」(笑 )が言っているのだから、間違っているはずがない、思っているようだが 、その「 マンハイム先生」が 、間違っているというより、そもそも「 時間論」というものが理解できていないのだから 、どうしようもない。片山杜秀は、ニーチェやハイデッガーも読んだことはないのだろう。いや、ニーチェやハイデッガーより「マンハイム先生 」の方が、正しいと思っているのだろう。そんなことはどうでもいいが 、片山杜秀は、「 時間論」というものを、もっと原理的に、あるいは本質論的に、考えてみたほうがいいだろう。「時間とは何か」・・・。